1章:通信という名の祈り
あれから、もう一週間が経った。
スマホの通知は突然沈黙し、風が止んだ。空が、少し青すぎた。
電池の切れた携帯をぼんやり見つめた。
今はただのガラクタ。でも、あの日までは僕のすべてだった。
何が起こったのか、誰にもわからない。
最初の混乱は覚えていない。ただ、走っていた気がする。
誰かを呼んで、返事がなかったときの静寂だけが、胸に残っている。
僕はもう、四日間同じ言葉を繰り返している。
「こちらSAITAMA地区、現在、住民おおよそ480名、生存、再接触待機中。」
誰も聞いていないことはわかってる。
でも、僕らにはこれが、最後の希望なんだ。
マイクには送信しなかったけれど、心の中で続ける。
「そこんとこ、よろしく。」
風のない空気が、ほんの少しだけ動いた。
軋むアンテナの音に、僕はもう一度マイクへ指を伸ばした。
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僕はタクト。地元の工業高校を卒業して、親類の電気工事会社に就職した。
無線の扱いが少しできるという理由で、この通信を任された。
あの日以来、町長を中心に緊急対策の自警団が結成された。
みんなで働き、何とか命を繋ぐしかなかった。
物資は配給制。配られたプリントによれば、現状はこうだ。
生存資源(町人口:約480人)
燃料:軽油+灯油系 約45,000L(稼働分32,000L)
- 発電用ディーゼル機2基 → 平均110L/日
- 夜間給湯・暖房 → 最大160L/日
- 車両・ポンプなど最低限稼働 → 約30L/日
- → 合計約300L/日 → 約106日分
「夏だったのに、今はもう冬みたいだ」
水:地下貯水+雨水再利用 → 約 450,000L
- 1人1日12Lで運用 → 約39日間分《雨天ゼロ換算》
「こんなの公表していいのか…略奪が心配になるよ」
食料:備蓄+商業施設+倉庫在庫 → 約192,000食
- 1人1日2食 → 合計約200日分
「正直、腹減ってるよな…」
結局、支援が来なければ、30日後には終わる。
町の外に出て水を探す案も出たけれど、周囲は砂漠らしい。
何が起こったのか、誰にもわからない。けど、わかっても仕方ない。
とにかく、僕の声に、町の命がかかっている。
いや、正確には、社長の爺さんが残した古い無線機に、だ。
苦労してアンテナを立てた。高所作業車で引っかけて、今や10メートル級。
この電波、どこまで届くだろう。
“YAESU FT-757GX”。1980年代製のアマチュア無線機で、当時《とうじ》の最高機能を誇っていたらしい。
HF帯《たい》オールモードトランシーバー。SSB、CW、AM、FMなどに対応《たいおう》している。
もし、ここが地球で、誰かが生きているなら――声は届くはずだ。
でも、賭ける気にはなれない。賭け札は、僕らの命だ。
「こちらSAITAMA地区、現在、住民おおよそ480名、生存、再接触待機中。」
僕は何度でも繰り返す。死にたくはないんだ。
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連邦ビルの一室で、ヨエル・カーンは頭を抱えていた。
彼の拠点である惑星ノヴァは、銀河辺境に分類されるソル3系の監督惑星。
地球――人類の起源がある星を含む地区で、それなりに重要な地位を持つ。
「地球から微弱な電波…しかも救難信号の可能性?」
検出したのは、Gamma-7観測機の記録だった。
銀河標準時0421、断続的に記録された異常な通信波形。
周波数帯は、かつて人類が使用していた“AM短波”領域。
その信号は、まるで空へ向けて繰り返された詩のようだった。
文法は異常なほど単純。冗長な反復。
「旧式すぎる…もはや人ではないのか。あるいは、あまりにも旧い人類…」
カーンはAIとの接続を切った。時間は、残り30日しかない。
救助艇の到着まで15日。連邦本部の承認なんて待てない。
地球に最も近い観測機を該当地域に着陸させ、信号再送信。
さらに、20日後には救援隊が到着予定と放送を続ける。
必要な物資を積んだ宇宙船を準備。カーン自身が乗り込む。
最も早く到達可能な技術者を含むパトロール艇を出すようAIに命じた。
すべて、越権行為。
カーンは静かに言った。
「俺のキャリアも、ここで終わりだな」
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通信を始めて10日が経った。反応は、まったくない。
もう誰かが返してくるはずだと思っていた。
でも、何も届かない。町の空気は沈んでいる。
「こちらSAITAMA地区、現在、住民おおよそ480名、生存、再接触待機中。」
僕は、ただ呼び続ける。
突然だった。
僕の声が、大音量で町中に響いた。
「こちらSAITAMA地区、現在、住民おおよそ480名、生存、再接触待機中。」
町の外に、直径10メートルほどの球体が落ちていた。
それが、僕の声を繰り返しているらしい。
「助かったのか…?」
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あれから20日。水はギリギリだ。
球体の話では、今日あたり救援隊が到着するらしい。
町長たちが確認に行った。球体は沈黙したが、情報だけは残った。
「救援が来る。今日、到着予定」
そして僕は、迎えに行くチームの一員に選ばれていた。
どうやら、向こうの連絡は、すべて僕の声で送られていたらしい。
通信係を外れた僕は、今は倉庫で発電機を整備している。
そこへ一台のパトカーが停まった。警察署長が言う。
「タクトさん、町長が呼んでいます。同行を」
町のはずれには車が五台。自警団の主要メンバーが揃っていた。
僕の場違い感は半端ない。
でも目を上げると、巨大な宇宙船がそこにあった。
「本当に来たんだ…僕の声、宇宙まで届いてたんだ」
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「そろったな」町長が言うと、五台の車は静かに宇宙船へと動き出した。
僕らは砂漠の境界線を越え、金属の巨体に近づく。
宇宙船の側面がスライドし、扉がゆっくりと開く。
冷たい銀色の気圧が流れ出た。中から現れたのは、細身の人物。
肩に装着された翻訳モジュールが光っている。
「私はヨエル・カーン。君たちを救助》にきた。敵意はない。
だが、言語の解釈に限界がある。船にあるAIが会話をサポートする。
代表者一名と、この声の持ち主に入っていただきたい。」
手にしたタブレットから、聞き慣れた音声――僕の声が流れ出す。
町長が、僕を見た。
選択肢はないけど、心の中で小さく肩をすくめてみせる。
僕らは並んで歩き出す。
宇宙船の入口へ。
足音は静かだ。
「ドナドナドーナ、子牛を乗せて…」
僕は、誰にも聞こえないくらいの声で、歌った。
船内はSF映画で見たそれそのまま。ちょっと驚いた。
でも、これは現実だ。
キャビンに通され、椅子が二脚。僕と町長は座った。
声が響く。
「今、話しているのはこの船のAIです。タクトの音声で返してもらえると、解析が安定します」
僕の声が、空間に反響する。
町長の要望を僕が繰り返し、AIが応答する。
やがて、町長の音声パターンが解析された。
「町長の声で充分です」
町長は僕を退席させたいと申し出た。
残りの交渉は、二人で進めたいと。
ありがたい。僕も、これ以上は関わりたくない。
カーンに導かれ、船を降りる。
外にはもう1台のパトカーだけが残っていた。
署長と並んで車に座る。
エンジン音のない静寂の中。
僕は、長かった一日が終わろうとしていることを、
ようやく、受け止められた気がした。
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