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キャンバスの幻像 4:SNSの虚像と嘲笑う歪み

作者: Tom Eny

キャンバスの幻像 4:SNSの虚像と嘲笑う歪み


放課後の美術室に差す夕陽が、健太の心を重く照らした。スマートグラスの騒動は収束したかに見えたが、SNSで拡散し始めた奇妙な現象が、新たな不安の種を蒔いていた。彼の視界の隅にちらつく不自然な光は、デジタルな「歪み」が現実世界にも侵食し始めている証拠のようだった。それは、まるで透明な紗幕の奥に、本来見えないはずの“何か”が蠢いているかのように不穏だった。


美術部員たちの目の周りに現れた「線のような筋」や「影」は薄れた。以前、身体に異変が起きたA君、Bさん、C君の症状もわずかに軽減している。だが、健太は知っていた。この解決は一時的なものに過ぎず、大もとの「歪み」はまだデジタル空間に根を張っていることを。それは、デジタルツールや人間の「ずるさ」、自己保身、真実から目を背けるといった心の歪みと深く繋がっている。顧問が新しいデッサン支援アプリの導入を進めるたび、健太は、デジタルで絵を描く機会が増え、データが流通するほど「歪み」が拡散するリスクが高まっていると感じていた。田中の歪んだ願望がデジタル空間に残留しているという疑念も、彼の脳裏を離れなかった。


SNSの異変:虚飾を暴くデジタルな嘲笑


その日の放課後、健太がスケッチブックを手にペンを握りしめた時、スマートフォンの通知音が鳴り響いた。画面に表示されたSNSのトレンドワード。そこに不気味なほど早く移り変わる奇妙な図形がちらつき、健太ははっきりと新たな「歪み」の気配を感じ取った。それは、まるで彼の視界に直接、デジタルノイズが流れ込んできたかのようだった。


SNSは瞬く間にその話題で持ちきりになった。発端は、学校の生徒たちがInstagramやXにアップロードした写真や動画だった。それは、デジタル空間に蔓延る虚飾と、人々の心に巣食う「歪み」が結びついた、新たな形の浸食だった。


フォロワー数万を誇る学校のアイドル的存在、ユキ先輩の最新投稿動画が問題の始まりだ。いつも完璧な笑顔を披露する彼女の顔に、加工前の肌荒れが目立ち、クマが浮き出た、疲れた表情の彼女が不自然に重なっていた。動画がループするたび、その「偽りの自分」はどこか嘲笑的に歪んでいるように見える。コメント欄は「フィルターのバグ?」「加工ミス?」と混乱と憶測で溢れかえっていた。


美術部のマナミが投稿したストーリー動画も異変に巻き込まれた。「カフェで友達と」と見せかけて、テーブルいっぱいの映えメニューが並び、楽しそうに笑うマナミが映っている。だが、動画の途中で、何テイクも撮り直してうんざりしている彼女の素の顔や、食べ残された山のような料理、そして一人で寂しくカフェにいる様子が、フラッシュバックのように差し込まれた。BGMも、突然不協和音や嘲笑のような電子音に変わっていた。しかも、24時間で消えるはずのそのストーリーが、マナミのスマホ上では何度更新しても消えず、不気味な数字の羅列で構成されたアカウントが「既読」のリストに永久に居座っていた。


さらに衝撃的だったのは、いつもキラキラしたライフスタイルを発信している人気者の投稿だ。高級車を背景にブランドバッグを持ち、豪華な部屋で過ごす様子を演出し、充実した生活を装ったものだ。だが、その動画の先輩の姿は、実際よりもずっと疲弊し、むくんだ顔つきで、高級車がただのレンタカーの車内、ブランドバッグが偽物、豪華な部屋が実は散らかった自室の隅を切り取っただけに見えるように置き換わっていた。その先輩は、普段は本音を漏らす裏アカウントを「鍵アカウント」にしていたはずなのに、その鍵アカの投稿が、なぜか全く知らない外部のアカウントから「いいね」を付けられたり、「お前は偽物だ」という見慣れないコメントが投稿された瞬間、なぜかその鍵アカウント自体が数秒間だけ誰でも見られる状態になっていたと怯えていた。


そして、ライブ配信中に起こった異変も報告された。人気のある生徒がメイク配信をしていると、画面の画質が急激に劣化し、配信者の顔が奇妙に歪んで見えたかと思えば、コメント欄に**「こんなの本当の私じゃない」「疲れた」といった、配信者の本音ともとれるような文字が一瞬だけグリッチのように表示された**。配信者の声も、突然金属がこすれるような不快なノイズに変わる場面があり、視聴者は混乱し、配信は途中で中断された。


これらの異変は、特に過剰な加工を施したり、現実とは異なる理想の自分を演出しようとした投稿に顕著に現れた。まるで、デジタルな虚飾を暴き出し、嘲笑うかのように。


デバイスへの侵食:「心の傷」を映す汚れ


SNSの異変と並行して、生徒たちのスマホやタブレットの画面にも、不気味な「汚れ」が現れ始めた。指で拭いても取れない、インクが滲んだような黒い染みや、微細な砂粒が埋め込まれたような模様、あるいは触るとべたつく油のような感触。特にSNSでの活動が活発な生徒たちのデバイスほど、その汚れは顕著で、まるで嘘の痕跡が物理的に付着したかのような不潔感を伴っていた。スマホを握ると、本来の冷たいはずの感触とは異なる、微かに生ぬるく、ざらつくような感触がした。画面をスクロールする指は妙にぎこちなく、通知が鳴るたびに、彼らはビクッと肩を震わせ、顔を近づけすぎたスマホの画面に眉間の皺を寄せた。


最も恐ろしいのは、「本物の本人には物理的な異変はないが、偽りをまとったSNS上の姿が、本人の実際の姿とかけ離れることで『異変』として現れる」という心理的な浸食だった。第一弾でミナミの頬に物理的な傷が現れたのと同様に、今回はSNSの完璧な姿という虚飾が剥がれ落ち、真実の姿が露呈することが、その人物の「自己像」や「自己肯定感」に深い「傷」をつけていたのだ。


ユキ先輩は、動画に映り込んだ「偽りの自分」の疲れた姿を見て、鏡を見ることを恐れ、SNSの更新も途絶えがちになった。精神的に不安定になり、友人にも会うのを避けるようになった。


マナミは、加工で隠していた肌荒れやクマが「真実」として晒されたことで、深い自己嫌悪に陥り、自信を完全に失っていった。


充実した生活を偽っていた先輩は、友人やフォロワーからの目線に怯え、学校に来ることもできなくなった。


教室では、SNSの異変が起きるたびに、沈黙が訪れ、被害者となった生徒への視線が一斉に集まる。誰かがひそひそ話す声が聞こえ、そのたびに被害者の生徒はビクッと体を硬くする。教室の空気そのものが重くなったように感じられた。


これらの異変は、すべて生徒のスマホやタブレットで撮影・加工され、SNSで公開された写真や動画とリンクしていた。デジタルで作り出された「理想の自分」が、現実の自己を蝕んでいくような、不気味な侵食だった。学校側は、これらの症状を「デジタルの使いすぎによるストレス」と判断し、表向きにはSNS利用の自粛を促す指導をするに留まっていた。しかし、裏では原因不明の現象に困惑し始めていた。


健太は、この新たな「歪み」の形を見て、田中の「完璧な自画像」への執念が、形を変えてSNSという舞台で再燃しているのではないかと感じた。それは、他者を「完璧」に見せようとする歪んだ願望が、逆にその虚飾を暴き出し、ネガティブな現実を晒け出すという、皮肉な形で現れているようだった。


健太の葛藤と田中の選択


放課後の美術室で、健太は自身のタブレットとスマホを机に並べた。彼のデバイスの画面にも、ごくわずかだが、指紋とも異なる奇妙な滲みが見え始めていた。それは、まるで彼の「歪みを視る力」が、このデジタルと現実の境界を曖昧にし、彼自身の身体にも影響を与え始めているかのようだった。


彼は、このデジタルな嘲笑の根源にある、人々の承認欲求や自己肯定感の低さといった「心の歪み」に、深く心を痛めていた。それは、かつて田中が抱えていた孤独や劣等感と、根は同じなのかもしれない。


授業が終わった廊下、健太は田中とすれ違った。田中はスマホの画面を伏せるようにして歩いており、健太が横目でちらりと見ると、そのスマホの画面の縁には、拭っても取れない黒い油のような「汚れ」が滲んでいた。それは、彼のデバイスもまた「歪み」に深く関わっている証拠のように見えた。田中は健太の視線に気づいたかのように一瞬顔を上げようとするが、結局は視線を外し、早足で立ち去った。その瞬間、彼は無意識にスマホを強く握りしめ、ポケットに隠すような仕草を見せた。健太は、その無言の圧力に、得体の知れない冷たいものが背筋を走るのを感じた。以前のような憎悪ではない。だが、田中の完璧への執着と、それが引き起こす「歪み」が、今も彼の心に深く根差していることを健太は直感した。彼の無表情な横顔に、まるでデジタルノイズのような、微かな「歪み」の痕跡を健太は視ていた。田中もまた、SNSの「歪み」を監視しているのか、あるいはその一部となっているのか。その問いが、健太の心を重くした。


健太はスケッチブックにペンを走らせた。今回は、SNSの画面に現れる「偽りの自分」たちの歪んだ表情を、ありのままに描いてみた。その一人ひとりの顔には、作り上げられた虚像の裏にある、悲しみや不安、そして助けを求めるような叫びが、微かに宿っているように見えた。彼の「絵の力」が、単に現象を修復するだけでなく、人々の心に生じた「傷」に寄り添う、より高次の役割を担っているかのようだった。


その日の夕方、美術室を出ると、ミナミが入り口で待っていた。「健太君、ちょっといいかな?」彼女の声には、どこか緊張と不安が混じっていた。カフェで撮ったストーリー動画の異変で、心を痛めているマナミのことを心配しているのだろうと健太は思った。「最近、みんなスマホばっかり見て、なんか変だよね。私、自分のタイムライン見るのも嫌になっちゃった」ミナミは俯き加減に呟いた。彼女もまた、SNSに潜む「歪み」の空気を感じ取っているようだった。健太は彼女の言葉に頷いた。ミナミはふと顔を上げて、健太の目を見つめた。「健太君は、どうしてそんなに落ち着いていられるの? 私、なんだか、すごく怖いよ…」彼女の瞳には、以前健太のタブレットに現れたひび割れのような、脆い不安が揺れていた。健太は、言葉を探した。彼女の頬の傷は消えたが、心の奥底にはあの記憶が残っている。今度は、物理的な傷ではなく、見えない「心の傷」が友人たちを蝕んでいる。健太はミナミの手を取り、ぎゅっと握りしめた。彼の「絵の力」は、言葉ではなく、絵を通してしか真実を伝えられない。だが、この手から伝わる温もりだけは、偽りのないものだ。「大丈夫。きっと、何とかしてみせるから」健太の声は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。ミナミは彼の言葉に、わずかに安堵したように見え、少しだけ口元に笑みを浮かべた。健太は、この現象の根源が、田中の歪んだ願望と、それに共鳴する人々の「完璧でありたい」という普遍的な心理にあることを確信し始めていた。


「歪み」の解明と田中の変化


健太が描いた絵は、生徒たちのSNS上の「偽り」と、その裏にある本質を映し出していた。その絵を見た生徒の中には、はっとした表情で自分のスマホを覗き込む者もいた。彼らの心に、微かな変化が芽生え始めたのを感じた。


そして、健太は奇妙なパターンに気づいた。**特に強く「歪み」が生じ、醜く現実を晒け出している投稿には、共通して田中の「いいね!」が付いていることが多いのだ。**田中自身も、SNSを監視する中で、その異変に気づき始めていた。彼が「これは完璧な姿だ」と信じて「いいね!」をつけた投稿が、次々とその裏の真実を露呈し、まるで嘲笑うかのように醜く歪んでいく。


田中は、自身のスマートフォンを強く握りしめた。画面に映るのは、自身が「いいね」を付けた投稿が、醜く歪んでいく様。それは、彼がSNSで監視し続けてきた「完璧な者たち」の裏側、そしてかつて彼自身が必死に隠した「不完全な自分」とあまりにも重なる光景だった。吐き気を催すほどの嫌悪感が、胃の奥からこみ上げてきた。これは、彼が求めた「理想」ではない。いや、もっと正確に言えば、これこそが、彼が最も忌み嫌い、隠し通そうとした「偽り」の姿なのだ。


微かに震える手で、田中はとある投稿の「いいね!」をタップして取り消した。それは、まさに彼が「完璧」と信じていた、ユキ先輩の最新の投稿だった。動画が歪み、疲弊した表情がフラッシュバックするのを見て、田中は息を呑んだ。彼が求めた「理想」は、またしても「偽り」だった。その投稿に「いいね」をしていた自分が、まるでその偽りを増幅させていたかのように感じられたのだ。彼の内側に、かつての自分と同じ、完璧を装うことへの虚しさ、そして真実から目を背けることへの嫌悪が、再び湧き上がっていた。「こんなものは……俺の求める『完璧』じゃない」そう呟き、彼は次々と「歪んだ」投稿への「いいね!」を取り消し始めた。それは、彼の歪んだ承認欲求からの、微かな解放の兆しだった。


その時、健太のスマホに通知が届いた。それは、マナミが更新したばかりの投稿だった。以前の加工された自撮りではなく、すっぴんに近い、ありのままの笑顔の写真。以前のような完璧さはないかもしれないが、その表情はどこか清々しく、力強さを帯びているように見えた。そして、その写真には、以前のような不気味な「偽りの自分」の兆候は見られなかった。他の生徒たちの投稿にも、完璧ではないかもしれないが、より自然体な写真や動画が増え始めていることに、健太は気づいた。彼らが投稿後の「いいね!」の数を気にせず、スマホをすぐに閉じるようになった様子を見て、心の中で何かが変わったことを感じた。


SNSに現れた「歪み」は、人々に過剰な演出や虚飾を見つめ直させ、ありのままの自分を受け入れるきっかけを与え始めているのかもしれない。健太の描いた、偽りの自分の奥に潜む本質を捉えようとする絵が、微かに作用し始めたのだろうか。


そして、健太がスマホの画面を確認すると、以前から滲んでいた指紋とも異なる奇妙な汚れが、心なしか薄れているように感じられた。彼のタブレットの画面も同様で、拭っても取れなかったはずの黒い染みや微細な砂粒のようなものが、かすかに減少しているように見えた。完全になくなったわけではないが、その軽減は、確かに「歪み」の勢いが弱まっていることを示唆していた。田中が「いいね」を取り消した投稿は、その「歪み」が顕著に軽減され、元の(加工された)状態に戻る、あるいは自然な状態に落ち着く兆候を見せていた。結果的に、田中が「いいね」を取り消すことで、その投稿にまとわりついていた「呪い」のような「歪み」も解けていったのだ。


しかし、健太は知っていた。これは始まりに過ぎない。デジタル空間に根深く潜む「歪み」の脅威は、個人のデバイスからSNS、そして社会の深層へと、常に新たな形に変貌しながら浸食を続けている。そして、その「歪み」は、健太自身の「描く力」を凌駕するほどに巨大な存在へと育っているのかもしれない。彼が真に「視る」べきものは、まだその奥にあるのだ。

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