追憶
「おばあちゃん、久しぶり!」
久々に孫たちがやってきた。
穏やかに遊ぶこの子達を眺めていると、あの日々が幻だったのではないかという気がしてくる。
あれから何年経っただろう。
荘園の皆は殆どあの日々を忘れてしまって、思い出す人はほとんどいない。
思い出せる人は、ほとんどいない。
私はその間に結婚して、もう孫がいる。
「今日は朝日おばあちゃん来る?」
「おやつの時間にくることになっている。」
やったぁと朝日の方にもう感心が移っている孫を、娘が嗜める。
まあそれも仕方ないかもしれない。
朝日は有名な作家なのだ。
荘園での出来事を三人の視点から綴った『大遠野国物語』が大ヒットして、メディア化や舞台化などしてとても有名人になった。
現代のファンタジー作家の巨匠とまで呼ばれている。
あれがヒットしてくれたおかげで私も仕事がやりやすい面がある。
荘園に帰りたいという思いは、荘園の関係者なら誰にでも芽生えうるものだ。
それが芽生えた時、あのヒット作からここまで辿り着けるように、朝日は仕掛けを施した。
「早良。こんにちは。」
あ、もうそんな時間なのか。
孫たちに朝日の対応は任せて、おやつの用意をする。
「朝日おばあちゃん、いらっしゃい!」
「久しぶり。元気にしていた?」
「もちろん!」
孫たちの声が聞こえる。
穏やかな日々。
ここに、汐凪がいないのがひどく残念だ。
「朝日、どうぞ」
「ありがとう。」
昔は、私たちはそんなに話すほど仲が良い存在ではなかった。
けれど、沃様も露華も冬火も汐凪もいなくなり、荘園のことを覚えている人が少なくなった。
だから、私たちは今でも交流がある。
「朝日おばあちゃん、あのね、」
孫たちは私より朝日に懐いているようだ。
なんだか複雑な気分。
「お母さん、ごめんね。」
「いいのよ汐凪。あの子も楽しそう。」
私はそれだけで充分。
どうか、荘園への郷愁にとらわれませんように。
普通の人として、生を送りますように。
「早良、汐凪って、誰?」
朝日が聞いてくる。
「何を言っているの。この子が汐凪」
私は娘に汐凪という名前をつけた。
決して身代わりではない。後悔はしていない。
誰しもいつか忘れられる。汐凪は、誰の記憶にも残らずに消えてしまった。
その名前は大遠野国物語にも出てこない。
ならば、私だけでも覚えて、ほんの少しでも汐凪を後世に残したい。
私は汐凪が大好きだった。
それなのに、みんなにひとつも覚えられていないのは、あまりにも悲しいから。
朝日は、荘園のことを覚えているだけで詳細は忘れてしまった。
それでいい。
辛い思いをするのは、私だけでいい。
思い出さなくて構わない。
思い出さない方が、朝日にとっては幸せだろう。
汐凪と話したくて、でも何を話せばいいのかわからなくて二の足を踏んでいるうちに、汐凪はいなくなってしまった。
私はこちらの世界で荘園への導き手として生きている。
結は佑を御神体として神社の神主になった。
今では威厳のある立派な神職だ。
でも、佑がなんだったのかは覚えていない。
だから私は佑に決して動くなと言い含めた。
泊は消えてしまった。清も、汐凪も。
それでも私はこちらとあちらの橋渡しをしている。
あちらでどんな生活が送られているのか、今の私には知りようがない。
壺中の天と称された夢見幾世は、今どうなっているのだろう。
風が吹いて花が散る。
日の光をうけて、柔らかく輝きながら。
「美しい世界、か…」
かつて、荘園のことをそう称した人がいた。
間違ってはいないだろう。
確かに、美しい世界だった。
でも、私たちでは決してそこに辿り着くことはできない。
それでも、希望だ。
美しい世界なんて本当はどこにもなかったとしても、それでも。
ふと庭を見ると、柔らかに笑った、夕陽の色の着物を着ている女の人を見た気がした。
けれどそれは一瞬のことで、すぐに跡形もなくかき消えて、そこには何も残らなかった。
最終話です。
今までありがとうございました!




