番外編 交渉
「汐か?呼ばれもしないのにやってくるのは珍しいな」
「お久しぶりです、天上大御神。わたくしはこの度、お願いがあってやってまいりました。」
天上大御神はお力が完全ではない。先代烏姫からの引き継ぎがうまく行っていないのだ。
「荘園は、崩壊しますでしょう?」
わたくしの言葉に天上大御神はさして驚かなかった。やはりそうなのか、滅びるのか。
「荘園の崩壊、それは避けられないことなのでしょう。けれど荘園がなくなるのは困るはず。
天上大御神、取引しましょう。
わたくしが夢見幾世を守ります。命をかけてでも、夢見幾世を天上大御神に捧げましょう。」
これは、わたくしにできるあの子へのせめてもの手向け。
未来あるあの子は、きっと新しい時代を切り開く。そういう世代だ。
ならば、その前にある犠牲は全てこの世代で払うのが道理というものだろう。
「わたくしの持つ境界操作能力を以て、荘園を理からはずします。そして、全てが終わった後に天上大御神に捧げましょう。」
「どうして、それをするのだ?義理はなかろう?」
天上大御神、あなたにも必要なの。拠り所となれるところが。
「見てみたいのです。このままでは、わたくしは確実に崩壊までに命が尽きる。けれど、それでは悲しいではないですか。
この契約によって、最後を見られるのなら、それで十分です」
天上大御神、あなたの苦労は知っている。
先代は外敵を退けるために全力を注ぎ、引き継ぎはできなかった。
外敵との戦いの後の混乱の中、新しい天上大御神は幼いことは許されなかった。
「…わかった。
執政官第一位、汐に神格を与え、橋姫の名を襲名させる。
橋姫に新たな世界を作る許可を与える。そして、荘園が崩壊するまで夢見幾世をそなたの荘園とする。」
「ありがたく拝命いたします」
これで、もう執政界へと戻ることはできない。
あの子と、長。どちらが大切かを考えて、より見てみたい方を選んだ。神は執政官ではない。
第一位を名乗る資格はない。
「そうだ、天上大御神。このことは他の神たちには内密にお願いします。
わたくしが勝手に新場を作ったのだと、そう言っておいてください」
悪役は、わたくしで十分。
その意図を汲み取ったのかどうか、天上大御神は口角を上げた。
「ここか。ずいぶんと荒廃しておるのだな」
降り立っていろいろ歩いてみる。
荘園にするには中心を見つけないといけない。そのためにはとりあえず見ておかないと。
わたくしが理想とするべき荘園を《・》。
「あなた、その格好で出歩いては……」
後ろから声をかけてきたのは雪子だった。あのときは妙に髪の長い人ぐらいに思っていた。
「もしや、執政官様でいらっしゃいますか?」
言い当てられて驚いて、彼女たちについていくことにした。
「わたくしは雪子。この京家で不老不死をやっております。こっちは利音。仕組みは違いますが不老不死です」
「はじめまして、不死の人々。わたくしは執政官第一位だった、汐。今は橋姫だ。汐と呼んでくれ」
雪子は白くて、長い髪が映える子だ。
「なぜこちらへ?その姿で出歩かれるなど危険極まりないですよ?」
そうれは確かにそうなのだけれど……
「この地の中心はどこかわかるか?地理的な中心だ」
「でしたら都のあたりかと。あのあたりは政治、経済、文化、土地の中心ですから」
それで、その次の日は都に向かった。
「どうですか?」
「ああ。少し、離れていろ」
上に飛んで、夢見幾世の輪郭をなぞる。
手を前に出して、わたくしの息を吹きかける。
すると、たちまち大風が吹いて、そこがわたくしの荘園になる。
「空気が変わりましたね」
二人のそばに降りて確認をする。
「領主が変わればそうなるだろうな。ところで、この地に厄災はあったことがあるか?
国をあげて対策しなければならないような」
「それなら降臨でしょう。
約百年前に起きた厄災で、当時の桜巫女優麴内親王様が命を賭して解決なさったとか。
気になるようでしたら桜巫女伝説にもなっておりますし、お読みになりますか?」
基礎教養らしい。口調から常識なぐらいに浸透しているとわかる。
「そなたらをわたくしの補佐に任ずる。
そして、これから外の人が来た時には厄災はこれしかないといえ。いいな?」
「拝命いたします。」
時系列がおかしくなるが気にしない。歴史と口裏は揃えないと。
「そのためにはこちらでも良い役職に就けねばな。何が良いか?」
雪子はいきなり言われて戸惑っている。そんな反応にもなるか。
何がいいかな。
「仙人はどうだ?
雪仙人と音仙人か利仙人だ。不老不死であるし、ちょうどよかろう」
雪子はありがたく拝命したが、利音は渋っている。
「どうかしたのか?」
「わたくしには資格がありません。」
謙虚なことだ。とりあえず利音は仙人の称号は与えないことにした。無理強いするものではない。
「では、これからは橋姫の任務に専念することにする。あとはよろしく頼んだぞ」
結界より上に、さらに上に登る。
風が強い。きっとわたくしに反発しているのだ。
構うものか。
執政界と夢見幾世の境目に手をかざす。
「境界操作…」
全てのものの境界をいじることができる。
そう、生や死の境界すら。決して口には出さないけれど。
「できた」
橋を作り、下に雲を敷き詰め、その下にわたくしの住むところを作る。
橋姫とは、関守神。境界を守る神。わたくしにはピッタリだ。
「随分と立派なのね」
橋がりんとなる。
そこには白い髪を靡かせた霊姫がいた。
「雪姫…大役、お疲れ様でございます。」
「別に、先代に押し付けられただけだもの。むしろ引き受けてくれて感謝しているわ。」
橋の欄干に腰掛ける霊姫。それだけで美しい。
「では一つわがままをよろしいでしょうか。
夢見幾世領主は霊姫のままだということにしてくださいませ。ここがわたくしの荘園なのはは切り札です。なるべく隠したいのです」
霊姫に得はない。
「あなたは誰のためにそれをするの?」
「未来あるあの子達のために」
それを聞いた霊姫はにっこり笑った。
「いいわ、引き受けましょう」
それから、欄干を撫でて雲で遊んだ。
「ここ、なんという名なの?」
「まだありません。よろしければつけていただけますか?」
そうねぇと霊姫はしばらく頬に手を当ててから、にこりと笑った。
「夢浮橋。幻に浮く橋よ。夢を見る地を繋ぐ、きれいじゃない?」
「ありがとうございます。」
それ以来神はここに来ていない。
わたくしはひたすら橋姫の、関守の役割を果たしている。




