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功治vs柏木 

九回裏ツーアウト、満塁。


球場のボルテージは、すでに最高潮にまで達し、沸騰したようになった球場の空気は真っ青な空に放たれていた。スタンドから功治や柏木を叫ぶ声、両ベンチからのやじ。それらがグラウンドでぶつかり合う。功治の応援歌が管楽器で吹き鳴らされる。バッターボックスに向かいながら、柏木を見る。短い左腕にグローブを載せ、頬を伝う汗を右手の指先で拭っている。


歓声、悲鳴、罵声、声援、無数の声の溶け合う坩堝の中央で二人は向き合うのだ。


「安物で腹を膨らませて、安物で着飾って、そのうちみんな汚ねえものになり果てていくんだ」


いつか自分が言った言葉がどこからか跳ね返ってきた。細身の肢体、褐色の肌、そして肘までの左腕。自分たちを追い詰める柏木に、功治は安物ではない何かを確かめていた。安物ばかりに囲まれて、汚いものに成り果てることだけにはなりたくない。功治は両手にしていたバッティンググローブを外した。


柏木の表情は相変わらず深くかぶった帽子の陰で窺えない。涼しげな目をしてるのか、あのインドの少年のような目をしているのか。

柏木はゆっくりと振りかぶる。左足を大きく上げてためを充分につくって、腕を撓らせる。アウトローぎりぎりいっぱいにストレートが決まった。キャッチャーミットが乾いた音を上げる。今日一番の球威だった。


「っしゃー」


主審の手の上がる前に、柏木が叫んだ。


「ストライークッ!」


一瞬、間を置いて主審が大声で告げる。2アウト満塁、討ち取ればゲームセット。ここへ来て、柏木は本来の球威を取り戻した。打たれれば逆転サヨナラ負けという戦況が柏木の最も勢いのある球を投げさせていた。


キャッチャーから返された球をもぎ取るように取ると、サインにすぐに頷いた。二球目は、真ん中から切れの良いスライダーがアウトコースに切れる。柏木が力んだ分だけ早く曲がりストライクゾーンから外れた。打ち気に逸った功治はバットを途中で止めが止め切れず、ハーフスイングになった。


「ストライクッ!」


0‐2。


 あっという間に功治は柏木に追い込まれた。

この自分が簡単に打ち取られるはずがない。根拠のない自信が知らず知らずのうちに功治の胸に湧いてきた。投手が細心の注意と最大の力をもって向ってくるのが四番だ。そんな投手との真剣勝負を今までいくつも制してきた。そんな自分が、ここで簡単に負けるはずがない。鷹揚とバットを構え、視界の所定の位置に柏木をとらえた。


 三球目。ストレートがインコースの腰の高さに入ってきた。弱くなった握力が、コントロールを狂わせた。功治が、上手く腰を引かなければ当たっていた。


全てを懸けた勝負だ。俺の身体が知っている野球の全てを使って、お前に負けるはずがない。お前も自分の全てを乗せて球を投げて来い。


 四球目。ストレートがアウトコースに外れた。苦しい状況に置かれても、決して怯まない功治の構えに、逆に柏木が気後れしたのか、コントロールを失った投球が二球続いた。


カウント2-2。


功治は一度バッターボックスを外した。

今日はタイミングが全く合っていない。当然バッテリーにも見透かされているが、二人は次の球で勝負には出ず、次の球で胸元のインコースを突くに違いない。そして3―2からの六球目が勝負球になる。それは間違いなくアウトローへのスライダー。好調の時なら、どうにかなるが、今日の自分には難しい。次のインコースが胸元近くを掠めたら、避けずに当たってやる。デッドボールで押し出しの一点が入る。そうすれば次の村上がサヨナラヒットを打つ。


功治は左手で柏木を制して、念入りに軸足の穴をホームベース寄りに掘り直した。


 バッテリーのサインの交換はすぐに終わり、柏木は小さく頷いてセットポジションから投球動作に入る。


 功治は軸足を数センチホームベースよりにずらした。


―来い、胸元へ得意なシュートだろ!


 右手が背中からしなるように出てきて、ボールを放った。ボールが滑るように投球軌道入ってくる。


 功治は怯まずに左足を踏み込んだ。ボールはきれいな横の回転をしながら、功治に迫ってきた。


―来るなら、当たってやる。


 功治がそう思った途端、ボールは胸元の高さから顔の高さにふわりと浮き上がった。功治の瞼は一瞬真っ暗になり、次の瞬間には真っ青な空が見えていた。


「あぶね」


思わず呟いたと同時に、ヘルメットが土の上に落ちる音がした。


「・・・・・・」


胸を撫で下ろすように、功治はからからに乾いた唇を舐めた。


一塁側のベンチが騒然となる。チャンスに四番打者に投げられた頭をかすめた危険なボールに高岡高応援スタンドもざわめいた。


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