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ノックバット

ノックが始まった。

初夏の訪れを匂わせる風が、程よく水気を含んだ茶色のグラウンドの上を心地よく駆けていく。ボールが弾むたびに土がしぶきのように飛び散る。


ボールとバット、硬いもの同士がぶつかる乾いた音が、等間隔で響く。バットに弾かれたボールは命を吹き込まれた生き物のように、まるで飛魚が海面を飛ぶように跳ねていく。打つ者とそれを受けるものとの張り詰めた空気と、その受ける選手に向けられる叱咤や励ましの声が、その空間を別世界に変えてゆく。


高岡高の広いグラウンドで、ダイアモンドと呼ばれるその場所だけが熱を帯びている。打つ者も力を込め、受ける者も全力で受ける。

外野から見ている功治は、その時だけは内野手を嫉む気持ちになった。


毅の動きが良い。

功治はランニングや筋力トレーニング中心の冬場の練習が明けてからの3ヶ月で、毅の守備範囲がレギュラークラスにせまる勢いで広がっていることに気づいている。


もしかしてベンチ入りくらいあるかもな。毅は今までずっとベンチにすら入ることが出来ない補欠組みの選手だった。功治は最後になる夏の大会で毅とベンチに入っていることを頭の隅で想像してみる。


すると背番号の無い小さな背中が思い出された。泥だらけの練習着と真っ白な試合着。そのコントラストが功治の中でひとりでに毅らしさになっている。


――闘っているんだ、みんな。

自分を奮い立たせるように、功治は自分に言い聞かせた。



 全身の汗腺が蛇口を開いたように、汗を体外に放出し、動くたびに顎や鼻先、時には睫毛から汗が滴る。毅の体は徐々に疲労に侵されていた。少しずつ頭の中で考えられることが減っていくようだ。視界も睫毛の上から滴る汗でしばしば曇る。そんな時も毅は自分を俯瞰している。自分は数多い内野手の中で、相変わらず冴えない選手であると。


 まだまだだ、自分はまだこれからだ。


毅は口の中に入った土を脇に吐き捨てた。そしてボールを打ち込んでくるノッカーに叫んだ。


「もういっちょ! さあ来いっノッカー!」

一・二塁間に打たれたボールに毅は最高のスタートを切った。腕を伸ばしても届かないと判断すると、左足で踏み切って飛び込んだ。毅のグラブの先を掠めて、ボールはライトへ抜けていく。


ライトの位置で陸上部やサッカー部の練習を避けながらキャッチボールをしている功治の前にそのボールは転がって行った。


 7月17日に始まる夏の甲子園の県大会予選でベンチに入るためには、6月初めに決まるベンチ入りメンバーに入らなければならない。そのメンバーに入るためには、遅くとも


5月中に監督の坂田に、その実力を認めさせなければならなかった。


――時間はない。今月中に結果を出さなければならない。


 内野のノックが終わり、ノッカーがさらに力を込めてバットを振りぬく。叩かれたボールは、羽ばたく鳥のように、空を切り裂いて飛んでいく。小さいボールがさらに小さくなり、その色すらも確認できないほど小さな点になったころ、走りこんできた外野手のグローブにおとなしく収まっていく。


一人目の外野手がそのボールを取る前に、次のボールが放たれ、同じ方向に次の外野手が走り出す。同じ軌道のボールが等間隔で放たれ、それに合わせて選手が走りこむ。コンピューターに予め選手の走力がプログラミングされたかのように選手の追いつけるぎりぎりのところにボールが打ち放たれる。


 百メートル近くも離れている所から飛んでくるボールは、功治の手前に来てもまだ、飛びたいという欲を失ってはいないようであった。最後の力を振り絞って自分を振り切ろうとするボールを、功治は目いっぱい左手を伸ばして掴み取った。


「ナイスキャッチ!」


 少しオレンジ色が少し染み入った空を仰いで、胸いっぱいに息を吸い込み、額にできたばかりのたんこぶを撫でた。


               つづく

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