芝川、痛打される
その後試合は思いもよらぬ投手戦の様相を呈した。芝川は四回までパーフェクトピピッチング。四回に高岡高は五番村上のソロホームランで先制したが、その後は尻上がりに調子を上げ、高岡高の誇る強力打線にチャンスは作らせるものの、決定打を許さない清水南エース柏木は自信すら持ち始めたようだった。
中盤の六回表。清水南の攻撃、その回先頭の八番バッターはファウルで粘り、十一球芝川に投げさせた末、フォアボールを選んだ。清水南は、初めてのノーアウトでのランナーを出塁させた。
初めてのノーアウトのランナーに三塁側ベンチとスタンドは勢いづいた。セオリーではこの場面、九番バッターは、まず強打せず送りバントだ。バントを決めようとする攻撃側と阻止しようとする守備側の心理戦が繰り広げられる。芝川の初球はアウトコースに外れるカーブでバントの構えを確認した。バッターがバントの構えをしたと同時に一塁手鍋川と三塁手村上が猛然とダッシュしてバッターにプレッシャーをかける。その猛ダッシュを目の当たりにしてバッターが良いバントをさせなければ、バントは成功しない。
二球目はインコース高めストレート。芝川はバントが最も難しいとされるコースに投げ込んだ。鍋川、村上とともに芝川も猛ダッシュ。芝川はこの球でバッターとの勝負を決めたい。バッターはその球筋を見てバットを引いた。
「ストライク」
カウント、1―1。投手と打者、五分五分の状態。ストライクは取ったが、球筋を見極め無理にバントをしなかったバッターの冷静さに芝川の胸が少し騒いだ。三球目、鍋川も村上もバントと決め込んで、より早く前に出た。コースは二球目と同じインコース高めのストレート。バッターはバントの構えからバットを引き、待っていたとばかりに思い切り振り抜いた。タイミング良くバットに叩かれた打球は前進してきた村上の左を掠め功治の守るレフトへ抜けた。高岡高バッテリーと内野陣の裏をかいたベンチの采配が勝ったかたちとなった。
ノーアウト一、二塁。
三人で切り上げてチームに流れを呼び込もうと考えていた芝川の思惑と裏腹に、八番からの攻撃は思わぬピンチを広げ上位打線に繋がった。三塁側の応援スタンドからはコンバットマーチが唸りをあげる。総勢一三〇名の吹奏楽部の応援で高岡高の野手達の声も届きにくい。一塁側の高岡高応援団も勝負時を心得たように、芝川コールで応援席を一つにまとめる。グラウンドは応援合戦に支配されているようだった。
バッターは四番。
一七〇cmと上背はないもののどっしりとした下半身からは鍛えられた打者と分かる。軸のブレないコンパクトな速いスイングがキャッチャーの柴田には不気味に見えた。一・二打席ともに抑えてはいるが、力でねじ伏せたというよりは、かわしたといった内容だった。甘く入ると打たれる恐れはある。
レフトから冷静に戦況を見つめる功治の眼には、芝川のストレートから力が失われているように思われた。打者の手元で伸びて来るいつものストレートではない。いわゆる棒球になっていることが気になった。芝川の気迫のこもったストレートではなかった。最後の大会の緒戦1‐0という僅差の勝負が、冷静かつ強気なはずの芝川の心境に圧力を加え続けているのか。心理的な疲労が徐々に芝川からいつもの球威を奪いつつあるのだとすると、四番バッターにとっては格好の打ちごろの球になる。
監督の坂田が、一塁ランナーの大きなリードを見て、一塁手の鍋川を塁につかせるよう、横にいた控え選手の道端に伝えた。
「逆転のランナーだからな」
外野の間を抜かれたら、一塁ランナーが逆転のホームを踏むことになる。一本のヒットで2塁ランナーがホームインして、同点に追いつかれるのはまだ許せても、逆転は何としても阻止したい。
「はい!」
「センターとレフとはそのままでいい。ライトを少し下げろ」
「はい!」
道端はベンチ一塁の後ろで構えている鍋川を呼んだが、その声は管楽器の音にかき消されてしまうのか鍋川には届かない。道端はベンチのはじまで行って手を振りながら叫ぶ。ようやく鍋川は道端に気がついた。
芝川が柴田のサインに首を横に振る。鍋川は道端の両手を上げて前へ出ろという大げさなポーズを確かめた。鍋川は素早く後ろを向いてライトの内山へ前進守備の合図を送った。内山が足早に二歩三歩、五歩六歩と前へ出た。
「ちがう!」
道端の悲鳴に似た叫びがベンチに響く。
功治は前へ出たライトの内山を見て、怪訝に思いながらも、“外野は前進”のサインが出たと見て、それに合わせて、一歩前へ出た。センターの土屋は動こうとしていないが、外野の前進守備の指示がベンチから出されているのならすぐさま反応しなければいけない。
「二塁ランナーを何としても帰すなということだな」いつもは見せないちぐはぐな野手の動きに、迷いながらも功治はベンチからの指示を読み取ろうと懸命だった。
芝川が坂田との長いサインの交換の末、ようやく首を縦に振った。
ショートの野村からはレフト前進のサインは出ていないが、半信半疑のまま功治はもう一歩前に出た。
芝川の投げたストレートは真ん中高めに甘く入った。それを見て、功治は危ないと思った。四番打者はストレートに的を絞っていたのか、上手くバットにボールにのせた。高く上がったフライがレフトに飛んだ。
打球が上がった瞬間、レフト功治の守備範囲だと柴田は確信し、芝川もアウトを一つ稼げたと胸を撫で下ろした。打球の行方を追いながら二人はそろって肩で大きく安堵の息をした。
次の瞬間、懸命に背走する功治の背中を見て、二人の安堵は焦りに変わった。
打球を追って背走する功治の伸ばしたグラブの少し上を、ボールは越えて、フェンスまで転がっていく。
打球が上がったと同時に思い切りよくスタートを切っていた一塁ランナーも生還し、高岡は清水南に逆転を許した。
清水南高のスタンドは、最高潮の盛り上がりを見せる。応援団が水をかぶり、チアリーダーが飛び跳ね、花吹雪が舞う。
その後も2アウトランナー二塁から芝川は五番打者に詰まりながらもライト前に運ばれ、さらにもう一点追加された。六番打者を三振に打ち取ったものの、マウンドからベンチに帰る芝川の足は重かった。




