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炎上列車

 毅は車輌の中にしゃがみこんでいた。暑い。立ち上がる力のない毅は、何故冷房が効かないのかと、さっきから考えていた。窓からは西陽が差し込み、西の空が絵の具で塗りたくったように染まっている。


隣の車輌からうるさい靴音を立ててぼろぼろの服を着た大柄な男が入ってきた。男は床にしゃがみこんでいる毅には一瞥もくれず、真っ直ぐ正面を見据えていた。男が片腕しかなかった。


「おい! なにやってんだ」


毅は男の向っている方を見た。

誰もいなかったはずの車輌の中央で、白髪を振り乱した老婆が這いつくばっているのが見える。眠っている何人もの女達の服を剥ぎ取っている。服を剥ぎ取られた女達は、目覚める様子はなく、中には髪の毛まで刃物で切られている者もいる。毅はその光景に言葉を失った。衣服や髪の毛を奪われて横たわった女達が隣の車輌まで累々と続いている。


男は後ろから老婆に近づき、一思いに老婆を払いのけたかと思うと、軽々と片手で老婆を窓から投げ捨てた。老婆は列車を飲み込んでいる炎にぼおっと音を立てて焼かれて消えた。知らぬ間に列車は炎に包まれていた。血を塗りたくったような赤が空全体に広がっている。毅は男の背後に駆け寄った。


「おい! おまえも手伝えよ」


男は振り向き毅に図太い声で言った。

男の眼光に怯んで毅の喉からは声が出ない。


「おまえじゃねえ」


男のだみ声に気圧されるように毅は一歩後ずさった。男は血走った目でそんな毅を睨みながら嘲るように口だけで笑って、白くて長い舌をぺろりと出した。


違う靴音を立てて、誰かが背中の方から走りこんで来る。その音はスパイクが土を蹴る音に似ている。毅は振り返った。


「おせえじゃねえか! はやく手伝え」


「わりい」


毅は背筋が凍りついた。後ろから聞こえたその声が自分の声だったからだ。走りこんできた小柄な男は、右手人差し指に眩しいくらいに真っ白な包帯を巻いていた。小柄な男は、再びしゃがみこんで女達の衣服を剥ぎ始めた男の正面に素早く回りこみ、持っていた金棒を思い切り打ち下ろした。鈍い音を響かせて、大柄な男は前に倒れた。


「何をするんだ」


毅は叫んで倒れた男を抱き起こした。目を見開いたまま倒れていた男の顔は古泉の顔だった。


「おまえも手伝えや」


 小柄な男はいつの間にか毅の傍にいて、右手で毅の足首を握りながら、左手で女の体をまさぐっている。

車輌の床はいつの間にか、足の踏み場もないほどに、どこも女の体で埋め尽くされている。

早く逃げなれれば。そう思った時、列車が急停車した。毅は転がった。錯綜としながらも、起き上がる拍子に転がってきた金属バットを右手で握り、昏睡している女にまたがっている男の頭を思い切り叩いた。その瞬間、激痛が毅の脳天から足の裏まで貫き、毅は卒倒した。横たわったまま横を見ると、目を見開いたまま自分が倒れているのが視界に入る。その口からは血が流れ出していた。

熱い。


列車は天井をはじめ、あちこちが崩れ落ちさらに燃え盛る炎に飲み込まれていた。空を見上げると、赤かった空は一面が漆黒に塗り替えられ、大小の無数の星が軌道を無視するように縦横無尽に動いている。


列車の中では、女達がたくさんの虫に姿を変え、床や壁を這いながら、逃げ場を求め、窓や崩れ落ちた天井の隙から出て行く。そのまま闇に消えてゆくもの、小さな音だけを残して、炎に焼かれて消えるもの、様々だった。


動かない列車の横を、一台の列車が、音もなく凄まじい速さで追い越していく。毅は助けを求めようと、窓から両手を振ろうとした。そのとき毅は、自分の両手の肘から先が切り落とされていることに気付いた。すでに膿みはじめている傷口には、真っ黒い蝿が隙間なく群がっていて、米粒のような白い蛆が、ぽとぽとと下に落ちていく。


追い越していく列車の窓に目をやると、抱擁しあう功治と和美が毅を見ていた。

発車のベルがけたたましく鳴った。

  


 スマートフォンのアラームが聞こえる。

13:10。13:00にアラームをかけたはずだった。十分近く自分はアラームが鳴ってからも目覚めなかったことになる。


 冷たいシャワーを浴びる。喉の渇きを覚えた毅はシャワーの水を一口飲んだが、激しくむせた。タイルに吐き出した唾には黒い血のようなものが混じっている。


身体を拭きながらスマホを見る。待ち受け画面は古泉からの着信を知らせていた。

毅は身体を雑に拭き終わると、裸のままベランダに出た。強い陽光を受け、すぐに胸から汗が滲み出る。手すりにもたれて、充子から譲ってもらった枯れ草に火をつける。

ベランダから見下ろす海が日光を受けて鱗の様に白く光っている。

鼻から煙を吸い込む。酸味を思わせるきつい臭いが鼻孔から体に入る。海面の光が揺れている。押し寄せる波の音が鼓膜を通って、焼け焦げた毅の胸に沁みる。


こんなものが、心地よさなのか、瞼を開いて水平線へ目を凝らす。


やがて海面の一つ一つの小さな光が、プリズムを通ったかのように七つの色を帯び始め、ばらばらになって宙に散らばっていく。見上げた空は隙間なく七色の光で溢れている。蒸発するように全身から力が抜ける。その場に座り込む。恐る恐るもう一息煙を吸い込んだ。尻が焼けるように痛く感じる。咳き込んで唾を吐き捨てた。透明な粘液に赤い血と小さな空気の泡が混じっていた。毅は子供の頃にもらったきれいなおはじきを思い出した。

太陽に焦がされながら、汗だくになった毅は、ずっと煙を吸っていた。


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