和美の憧れ
毅は重たくなった自転車を押しながら歩いた。二〇〇メートルほどつづく駅前の商店街は、アーケードにすっぽりと覆われ、中の空気は涼しかった。そこは常に陽射しが入らないためにいつでもほの暗い。眩しい光から逃れるように、毅はその商店街の奥へ奥へと進んだ。
店主たちの高齢化と不況の波に抗えず、毎年数件ずつ店がシャッターを閉じていく。大きな生き物が長い寿命の終わりへ少しずつ向っていくのに似て、毅はそこを通りながらある教師の話を思い出した。
アフリカ象は七〇年近く生きますが、自分の寿命が来たことを察し、自ら群れから離れ、たった一匹になって死ぬ。実は死期を悟る動物は僕たちが考えているよりも多いのです。それはある程度進化を遂げた動物の本能かも知れません。だとすると、われわれ人間はどうでしょうか。勿論医療によってその死期を知らされることはありますが、そこまで厳密にその時を覚って身を処すなど出来る人は少ない。そうすると、人間はとうにその本能を失っていることになりますね。それどころか、われわれは自分が死ぬという実感すら抱けなくなってしまっているとすら僕には見えます。人間は進化の過程で本能のかなりの部分を喪失してしまったのではないか。だとすると、その変化の過程を進化と呼んでいいものか、また新たな問題が提起されてしまいます。
まだ大学院を出たばかりの新米教師はしばしば受験に無関係な話を授業に挟んだ。端正なルックスと涼しげな語り口が女子生徒の人望を集めていた。付き合い始めたばかりの和美が生物の授業中に見せる慕情を湛えた視線に、毅は粟立った。彼は一年で高岡高を去り、また研究の道に戻ってしまった。
退任式に訪れたその教師に、和美が手紙を渡していたという話を毅は人づてに聞いた。しかし毅は、和美を問い質す資格も権利も自分にはないと自分をなだめた。




