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ピンチのマウンドで芥川龍之介

六月二十日

 

 メンバー選抜を翌日に控えた六月第三日曜日、毅は初めて練習試合一試合目で守備についた。いつもは二軍中心のスタメンが組まれる二試合目での出場だった。


その試合、紺野が六回に訪れた絶好の逆転のチャンスで送りバントを失敗し、そのペナルティとしてベンチに下げられた。


かわりに左膝の怪我から復帰したばかりの毅が、セカンド二番手の兵藤を差し置いて二番セカンドという不動の紺野の打順とポジションに収まることになった。


六回終了時点で、スコアは三―四。


七回表、富士の下高はヒットとフォアボールと送りバントで、ワンアウト二塁三塁。打順は三番。勝負どころと見て、バッテリーと内野手はその試合二回目マウンドに集まった。


「要は羅生門の下人になれるか、ってことだろ。野村が言いたいのは、そういうことだろ」


マウンドに集まるときに、敢えてそのゲームについての話をしないというのが、今年の取り決めだということは毅も知っていた。


練習でしてきたことを試合でもするだけ。試合中にあれこれと話し合うことなど不要だ。追い込まれた選手の気分を切り替えることが大切。


キャプテンの野村の発案に誰も反論しなかったそうだ。だが、実際にどんな話がピンチを迎えたグラウンドの中央でされているかは補欠の選手は当然知る由もなかった。


「なんか、ちょっと違うところもある気がするけど、簡単に要約すればそういうことだな」

野村が飄々と言う。

どうやら五回のピンチで集まった時の続きを話しているらしい。


「そうした方が論点が明らかになっていんじゃね」


サードの村上がグローブを叩く。


「俺は回答は保留だな。下々の者の意見を聞いてからにしよう」


「なんだよ、それ」


「なら俺はありだ」


「俺も」


毅を除く五人が言い澱むことなく口々に意見を口にする。


「そりゃそうだ、俺も」


「もちろん俺も。飢え死にしそうになればそれくらいのことはするだろうな」


「どうかな・・・・・・」


「みんながありってことになると、逆をいくやつが一人いないとぶっちゃけつまんなくね? 俺は逆をいく。なしだ」


「そう言われるとなしって気もしてくるな・・・・・・」


「法律がどうの言う前に、まず人としてまずくねえか?」


「死ぬか生きるかの時に、人としてなんて理屈は立たないね」


毅はグローブで口元を隠して、ただ討論に遅れずについていくのが精一杯だった。


「いや、老婆も下人も、死ぬか生きるかって瀬戸際には立たされていないだろ。充分に理性が働く状況と俺には読めるよ」


「どうかな、ひどい商売でもしなけりゃ、すぐにでもその瀬戸際に追いやられる状況とも俺には読めたが」


「そもそも、遺族の分からぬ死人の服や髪の毛を剥いでも、誰も不幸にしていない。誰かを殺して身包み剥がしたっていうなら別だけど」


「その理屈では誰にも迷惑をかけなかったら、何してもいいってことになるな。売春だって何ら問題はないって」


「ああ、柴田が言ってるのはそういう理屈だし、俺もそう思う」


「そんなこと言ったら、遅刻な時に車の来ない赤信号を無視したやつを警察は何て言って叱るんだ? 誰も不幸にしてなくね?」


「・・・・・・」


「それは『道路交通法違反です』だろ?」

毅が言った。


笑いとともにマウンドに一陣の柔らかな空気が吹いた。


「よし!バッテリーはこのピンチを乗り切るために善処してくれ」


機を得たかのようにポーカーフェイスで野村が言って、自分の守りに戻っていった。


「次は別の話にしねーか?」


ずっと不服そうだったファースト鍋川がぽつりと言って土を蹴った。


 柴田がミットで口元を隠し、芝川にだけ聞こえる声で一言告げて、毅の尻をミットで叩いた。


「グッジョブ!」


毅は訳も分からず得意げな気分で胸が温かくなった。


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