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功治の恋人

 

 車内アナウンスが清水川駅へ着いたことを告げた。

 列車が停車し、三輌目の一番前のドアから、彼女は開閉ボタンを押して入って来た。功治の目は方位磁針が北を指すように、彼女に引き付けられた。ローファーのゴム底が木の床と擦れて小さく音を立てる。功治の体温は上昇して、肌とシャツとの合間の空気が急に温められて、微かに汗のにおいする空気が鼻孔に昇る。

 功治は毎朝身を以って人間の心と体は一つだということを思い知らされていた。

 

 彼女は決まって清水南高校のある高田駅で降りた。高岡高とは隣接した学区の清水南高校は静岡でも有数の進学校で、サッカーやラグビーでは全国大会にも出ている文武両道の県立高校だった。きっと彼女も早朝練習で早い時間に通学しているのだろうと功治は踏んでいた。


 彼女はその間の二つの駅を行く二〇分程度の時間の大半を窓から景色を眺めていた。列車は南側に海を臨み、北側にはみかん畑が隙間なく埋め尽くす急斜面を見ながら走っている。山間部の景色は絶景だったが、至るところに小さなカーブがあり、電車は車体を左右に振りながら進む。揺れるたびに彼女の栗毛色の穏やかにカールした髪も揺れる。揺れる髪に朝陽がさすとさらに鮮やかで暖かな色に輝いた。


彼女はいつも南の海が見えるドアの前に立った。遠く海を見る彼女が、窓から入る外光に眼を細め、その閉じていた口が微かに開き、「まぶしい」と呟いたように見えた。


そして、鋭くも薄く優しい朝の光にパチパチとその目が瞬く音を、功治の眼は確実に拾い聴いていた。大きくはないが、目尻が切れ長に伸び、まるで作り物のように綺麗な二重瞼が清新で、近寄りがたい冷たさを持っているように功治は感じる。彼女に神々しいとも言うべきものを見つけ、近寄ることすらできないのである。 


 ドア二つ分の距離は功治にとっては実に絶妙で、功治の空想はその緊張感と高揚感に、最も自由奔放に列車の箱の中を所狭しと飛び回った。


 ある朝のこと。

 スポットライトより鋭く優しいその日の朝の光に照らし出された彼女はいつもに増して目映く、危うく誰かに盗まれてしまうのではないかと思うほど美しかった。彼女はいつも右肩に大事そうに掛けているカバンを網棚に置き忘れた。

 

 翌日功治が彼女にそれを手渡したことから二人の交流が始まる。そして毎朝通学の二〇分の間、お互いに親しく話すことになり、次第に二人の仲は深まっていった。毎朝功治の顔を見ると彼女は花のように笑い、昨日の取り止めのない出来事を語る彼女の声は、小鳥が囀るように可愛らしく車内に響き、功治の胸にこだまし、功治の冗談に笑う彼女は、白い頬をピンク色に染めていた。


 しかし、現実には、まだ彼女は車内に忘れ物をする気配もなく、それどころか彼女は荷物を入れたカバンと紫紺の風呂敷に包まれた弓を片時も離さずに持っていて、網棚に荷物を置くのすら功治は見たことがなかった。

 

 功治がまだ名前も知らない彼女を見つけてから、二年が過ぎていた。膨らんだ蕾は開くときを待ちわびて、功治の胸の中いっぱいに膨らんでいた。


 彼女を見つめる功治の前を、季節はずれの観光客の一団が、キャリーバッグを転がして通り過ぎた。



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