紅白戦~毅の健闘
六月五日
ベンチ入りメンバーを決める日が迫っていた。主力の実戦力を上げると同時に、補欠選手達は、実戦練習でふるいにかけられる。6月一週目の練習はノックが終わるとすぐに紅白戦に入った。
レギュラーを中心とする選手の紅組と補欠中心の白組に分かれた。功治は当たり前のように紅組のレフトで4番。調子を上げていた毅は白組のセカンドで1番で出場機会を与えられた。エースの芝川が白組に入り、赤組の主力野手と対戦する。
1回の表、ツーアウトから1塁にフォアボールで出たキャプテン野村を置いて、4番の功治が初球のインコース低めのボール球をすくい上げてレフトオーバーのツーベースヒットを放った。エースと主砲の対戦。緊張感がグラウンドを覆うより前にあっけなく勝負がついた。
盛り上がる紅組ベンチを背に芝川は寝起きの子供が寝ぼけ眼を擦るように、米神の汗を拭った。ランナーの野村は楽々生還し、レギュラー組が先制した。
「スライダー以外は手を出すな」
二塁ベース上からベンチからのサインを見ている功治は、毅にだけ聞こえる声でそれだけ言った。毅はその声を聞いて黙って頷いた。
その裏、白組の先頭打者の毅は左打席に入った。実力ではまだ紺野にかなわないが、今日結果を出して少しでも差をつめたいところだ。いつもどおりバッターボックスのピッチャー寄りに立つ。まだ荒らされていないきれいな土にスパイクの歯で自分のスタンスに合うように土を馴らす。たとえ紅白戦だとしても、一打席一打席が毅の野球人生の全てを懸けた勝負なのだ。
マウンドにはチーム3番手の2年生黒田。180センチの長身で細身の黒田は本格派の右腕だが、コントロールに多少の難がある。まだ2年生とあって精神的にも脆く、調子にも波がある。
初球。インコース低めのストレート。膝元から浮き上がるような切れのある速球に毅の体は反応できずに、
「ストライク」主審の右手が挙がる。
カウント0‐1.
二球目。今度は毅のタイミングを外すような大きなカーブがやや抜け気味にアウトコースに外れた。
カウント1‐1.
三球目。すぐにボールと分かるスラーダーがホームベース前にバウンドした。曲がりは鋭い。
カウント2‐1.
黒田はテンポよく投げ込んでくる。四球目。スライダーが真ん中から滑るように毅の胸元へ入ってきた。待ち構えていた毅の目は球の軌道を読みきった。バットに強く叩かれたボールは毅の掌に確かな手応えを残して、1塁手と1塁ベースの僅かな隙間を抜けていった。あっという間にライト線に転がっていくボールを目で追いながら毅は1塁ベースを廻り、勢いそのままに二塁ベースに頭から滑り込んだ。ベース上からベルトについた土を払いながらレフトを見ると、ベルトの前で小さく親指を立てる功治と目が合った。
立ち上がり不安定だった紅組板井も二回から落ち着き、白組も三回までにはチャンスらしいチャンスも作れずに、四回もワンアウトからフォアボールで出塁した八番バッターで俊足の加藤がバントで送られて二塁にいた。加藤は黒田を揺さぶろうと大きくリードを取る。同点のランナーが気になる黒田は、何度かマウンドプレートを外した。
「バッター集中」
打者に集中できない黒田に、野手から声がかかる。
牽制球を一球投げ、ようやく打者の毅に一球目が投げられた。切れを欠いたストレートがアウトコース低めに外れた。黒田は二塁ランナーの加藤を意識するあまり投球に集中し切れていない。
「黒田、打たせろよ」
「後はバックが何とかするぜ」
レギュラーの野手から二年生の黒田を励ます声がかかる。
カウント0‐1.
二球目。曲がりの悪いスライダーが真ん中からインコース低めに入ってくる。
―来た!
毅はボールを上から叩いた。掌に残るはずの手応えがまるでないくらい、バットは軽く振りぬけ、発砲音のような乾いた音を残してボールは低い弾道でライト方向へ飛んだ。
「ライト!」
守る選手達が口々に声を挙げる。一塁ベースに向かいながら毅はライトに取られると思い、舌打ちした。しかし背走するライトの背中を見て、ライトオーバーを確信し、一塁を蹴る。
―ライトの頭を越えれば加藤は生還し、同点だ。俺は三塁を狙える。
ボールの行方に背を向けて二塁に向かう毅の耳に、ボールが柵を越えて校庭に隣接した駐輪場の自転車に当たる音が聞こえた。
両ベンチから驚きの声がこぼれる。毅は騒然となったダイアモンドを、空を翔るように一気に回った。




