微笑(ジン)
クライドが中庭を抜けてくのを見てて、なんだか一人にできない気がした。
——アイツ、朝から本当に変だしな。
少し早足で追いかけながら、心細そうな顔で目を潤ませてた今朝のクライドを思い出す。
「………」
べつにお節介が焼きたいわけではない。
相手は幼い子供ってわけじゃないんだし。
ただ——。
「……アイツとは、同室になったからな」
入寮前に兄が苦笑まじりに言った言葉を思い出す。
——お前は取っ付き難いし、無愛想だしな。同室になった奴に少し同情する。
俺は別に普通にしてるだけだ。
兄貴みたいに意味なくニコニコ笑ってられないだけなんだが……。
——そんなだから、友人もできないんだぜ?
利害の絡んだ友人関係なんかいらない。
普段は側に寄り付かないくせに、調子の良い時だけ友人面する奴は友人じゃない。
——処世術ってのを学ばないと。剣技や魔法だけで人はついて来ないからな。お前に伯爵家を継ぐのは無理だよ。
だから……兄貴が家督を継げばいい。
俺はずっと、そう言ってるのに、あの人は信じない。
本当に面倒くさい。
「あれ……ここ、どこだ?」
入寮前に自宅で兄貴ともめたのを思い出して、嫌な気分を引きづりながら歩いてたから気づけなかった。
辺りは——紫色の世界になってる。
甘い花の香りが立ち込め、微かな風に藤の花が揺れてる。
どこまでも、どこまでも、薄紫の世界。
その中に、アンドリュー・クライドが立ち尽くしてた。
——なんだか、紫に飲み込まれそうだな。
気づけば、クライドの側に人が立って腕を伸ばしてる。
銀髪に赤目——魔法使いだな。
魔法使いの中には、魔法発動で瞳の色が赤く変わる人間がいる。
親父がそう言ってた。
走り寄ってくと、ソイツはクライドの耳に顔を寄せ、口を開いて噛み付こうとする所だった。
俺は慌ててクライドの腕を掴んで引く。
「あんた。生徒に何してんだ?」
魔法使いらしい男は、邪魔だなと言いたそうに目を細めた。
花の香りに当てられたような顔で、クライドが俺を振り返る。
「え? あ、ジン」
魔法使いは目を細めたまま、口元だけで嗤った。
「おや。君も迷子かい?」
俺はクライドを後ろに引いて前に出た。
「ジ、ジン?」
少し戸惑ったような声で名前を呼ばれ、やっぱり一人にしなくて良かったと思う。
「コイツお前の耳を噛もうとしてたぞ」
「………え? なんで?」
——なんでかなんて知るか。
口元に手をやった魔法使いが、ククッっと嗤う声がした。
「可愛い耳だったから、ついね。今年の新入生は面白いねぇ」
——こっちは、ちっとも面白くない。
「二人とも、また、会おうね」
魔法使いが囁いたと思ったら、パチンと指を弾く音がして——。
気づけば人の波に押されてた。
ここ、どこだ?
講堂か?
「クライドくん! 探したよ。もうすぐ代表挨拶だから、舞台袖に来てくれ」
教師の一人がクライドの手を掴んで引っ張る。
「え? あ、はい」
引っ張られながら俺を振り返ったクライドに——。
「頑張って来いよ」
そう言って首を竦めてみせた。
その時、クライドが笑った。
ホッとしたような、親しみのこもった笑みで、俺は不思議な気分になった。
俺に向かって、こんな感じに笑う奴は……初めて見た。