影
ジンに腕を引かれて食堂へ向かう。廊下を歩きながら、食事はともかく、一緒に浴場へ行くのは不味いんじゃないかと思った。
「あ、あのさ、ジン」
「ん?」
「僕は先に風呂に行くから、ジンは食事をしてから行きなよ」
「……なんで?」
なんで、って。
「えっと…あのな。他の奴のは別に……気にならないんだけどさ。やっぱ、君と、えっと」
こんなことを言うのは恥ずかしいなぁ。
けど、実際に起こったら、もっと恥ずかしいこと考えちゃってるしな。
「風呂に入るのは、ちょっと。……………反応したら困る…ので」
「え? 反応?」
一瞬の間があってから、ジンがボッと音を立てるみたいに赤くなった。
うわぁあ。
そんな、赤くなるなよ。
「え、あ。あぁ、反応な」
「………そう」
しょうがないだろ。
僕だって年頃の健康な男子なわけだし。
「分かった。あー。じゃあ、時間ずらそう」
……良かった。
残念な気もするけど、風呂なんか入ってたら隠しようも無いし、恥ずかしすぎるからな。
というか、頼むよ。
そんなに赤くなって、何度も瞬きするなよ。
——可愛いとか思うでしょうが。
「そういうわけで、僕は先に浴場に行くからさ」
「……ああ。俺は食事してからにするな」
耳まで赤くなってるジンを置いて、逃げるみたいにその場を逃れる。
絶対にスパイクさんの発言のせいだけど、意識しまくっちゃうな。
助かったといえば、助かったんだけどさ。
今まで、そこまで気にした事は無かったし。
一緒に着替えたり、風呂にだって入ってたんだけどさ。
……あ。
ヤバ。
思わず廊下で立ち止まって、両手で顔を覆ってしまう。
——思い出すなよ。
ジンの着替えなんか。
「……ああ、もう」
恋っていうか、僕は発情してんじゃないか?
☆
風呂上がって食堂で食事して部屋に戻ったんだけど、ジンはまだ帰ってなかった。成長期の男子なんか、いつだって腹が減ってる。食事をしてから浴場へ行く奴の方が圧倒的に多い。きっと風呂が混んでるんだろうな。
夜っていうのは、スパイクさんも部屋に居ないことが多い。
彼には彼の仕事があるからさ。
部屋に一人、これはこれでホッとする。
首に掛けたタオルで髪を拭いてたら、カーテンが揺れた気がした。
——スパイクさん、閉め忘れた?
誰も居なくなる時は窓は閉めるし、鍵も掛けてく人なのに。
そう思った時、窓の側に人影があるのに気づいた。
全身が冷水を掛けられたように冷える。
薄ぼんやりと黒い人影は、背が高く、角のようなものが生えている。それは頭から二本、後ろに向かって湾曲して生えていた。全身をマントで覆っているので、体躯はよく分からないが、手は大きく爪が長い。
要するに、サブカルでよく見かける《魔王》そのものって感じだ。
けど……。
魔王?
変じゃないか?
だって、魔王はエネルギーの歪みで生じる災厄で、実態のある特定の人物じゃなかったろ?
ジンはそう説明してくれてたよね?
じゃあ、そこに立ってるの——なんだ?
影はユラユラと動いて僕の方へ進んでくる。
存在自体が揺らめいてる?
急に腕を引かれたと思ったら、ジンがこわばった顔で僕を自分の背中に庇った。
「……ジン」
「なんだ、アレ?」
「分からない」
近くに寄って来たソレは、もう、まさに魔王。
褐色の肌、うねる様な長い黒髪、湾曲した角に金色の目。
ジンがソイツを睨みつかながら、ジリッと僕ごと後ろに下がる。
食事と風呂へ行ってた僕らは丸腰で、剣は机の側だ。
「退いて下さい!」
後ろから飛び込んで来たスパイクさんが、僕らの前に出て魔法を帯びた剣を振るう。スパイクさんの魔法は風魔法だから、剣からスクリューのような風が生み出され、影だったソレを飲み込むように渦巻いた。
ソレは渦巻いた風に簡単に飲まれ、散り散りに霧散する。
——ただ。
『今回の嫁は美人じゃないか。楽しみが増えた』
撫でるような低いバリトンが、微かな笑いを含んで部屋に響いた。
影の霧散した部屋で、僕を振り返ったジンが僕の腕を掴む。
「大丈夫か? 何もされてない?」
「あ、うん。アレに気づいて、すぐにジンが来たから」
僕らは珍しく剣呑な顔のスパイクさんを見た。彼は眉間にしわを寄せ、魔王の消えた空間を睨んでる。
「……部屋に入られるとは不覚でした。申し訳ありません」
「スパイクさん。さっきの」
彼は苦い顔で僕らを向くと、溜息をついた。
「黙っとこうと思ってたんすけどね。お二人が情を交わしてしまえば、出て来ないと思ってたんで。甘かったな」
ジンが僕の問いを重ねて聞く。
「さっきのは?」
長い腕を首の後ろに回し、ポンポンッと叩いたスパイクさんは、言いたく無さそうに言った。
「魔王です」




