古代語
辞書片手に古代語を読むのには時間がかかる。時間はかかるけど、読めなくない。
この国、マルペーザマルモについても少しだけ詳しくなった。この国の成り立ちは、レオントード先輩が言ってた通り、精霊と深く関わっているって分かった。
初代の王っていうのが、精霊との混血ってことになってる。まあ、神話なんかにありがち。王というのは特異な血筋だから高貴な存在として扱われる。精霊の加護も強いってことらしい。
——で《クリスタル・ローズ》の記述なんだが。
思った以上に早く見つけることが出来た。この魔法は、古代魔法の中でも特殊な魔法ってことになってる。魔法というか……生贄に近い。
まず《クリスタル・ローズ》が使えるのは、聖魔法使いに限られている。属性っていうのは、遺伝子の配列みたいだ。人には変えようがないエネルギーの振動数だとか書いてあった。この辺りは二十一世紀の日本で生きてる僕には不可解だな。まあ、ゲームの設定だし。
色も音も波として表される事があるだろ?
周波数とか、紫外線や赤外線なんかの色数とか、ああいうのに似てる。
《クリスタル・ローズ》はエネルギーの在りようが重要で、聖魔法使いにしか扱えない。
次にその取得方法は——恋愛感情に深く関わってる。
ほんと、それ以外の取得方法はないみたいに書かれてた。
なぜなら——聖魔法使いが恋愛感情を持った時のエネルギー状態が《クリスタル・ローズ》だから。
さすが、乙女ゲームだよ。
恋愛至上主義。
——もうね。
この辺りで僕は古代本を読むのを辞めようかと思ったよ。
その状態になった聖魔法使いは、魔王と呼ばれる正反対のエネルギーと対峙して相殺させることができる。その身体、精神、感情の全てでもって——世界を救うって記述されてる。
相殺って書かれてんだよ。
「おっかしいよなー。姉貴はこれでウェディングエンドに持ってってたろ?」
注意事項として、決して聖魔法使い単体で発動させるなって書かれてた。恋人と一緒でなければ、発動させてはいけません的な記述がある。
「………どっちにしろ」
恋人を作んなきゃダメってことだ。
ジンには他の方法を絶対に探すって言ったけどな。
見つからないんだよ、今のところ。
そういうのって、意図して成れるもんなのか?
恋って堕ちるもんだろ?
違うの?
机に突っ伏して脱力する。
恋なんかしたことねー。
初恋って幼稚園の先生に感じたのとか、カウントしていいもんかな。
——もう。
分かってはいるんだよ。
僕が攻略すべき相手なんか、最初から決まってる。
ここで目を覚ました時から一択なんだから。
「けど、アイツは自分は対象から外せって言ってたし」
どう考えたって、ジンを落とすのはハードルが高い気がする。アンドリューに気がありそうな振る舞いをしてんのは、ププラとか王太子の方なんだし。ゲーム的にはそっちが王道だし。
「……どうしようかなぁ」
アンドリューの恋心が重要なら、ジンを落とすしかない。
だって、他の攻略対象には心臓がバクバクしない。
自分とアンドリューを分けて考えれば、それが出来なくない事だって思えるし。僕じゃなく、アンドリューが恋をするなら、相手が男でも心理的な壁が低くてすむ。
机から立ち上がって鏡を覗き込む。
——ほらな。
サラサラした赤毛の混ざった金髪。淡い緑の瞳。男にしては、あどけない甘い顔。サブキャラとはいえ、そこそこの容姿をしてるのがアンドリュー・クライドだ。姉の推しで、愛されキャラ。
凡庸に凡庸を重ねたような柏木裕翔とは違う。
「決めないとな——覚悟」
アンドリュー・クライドは、魔王討伐に向けてジン・アイデンを攻略する。
………自分で決めておいて何なんだが、そう考えた途端に心臓がバクバクしてきた。
「はは、大丈夫かな」
あんまり自信ない。
でも、他の方法ないんじゃ仕方ないよな。
えー、こういう時はとにかく何かして気を紛らわすに限る。
古代語っていうのは、記号の集まりみたいだ。五十音に対応する記号があるって考えると理解しやすい。文法は日本語と変わらないから、単語が理解できると読むのはそこまで難しくない。辞書があれば、少し込み入った文章も読解できるようになった。
でも、まあ、辞書なしで読めるようになれば作業もはかどるだろう。宿舎で自分の机に座って古代語の単語帳を作ってたら、覗き込んできたジンが面白そうな声を出した。
「それ、なに作ってんだ?」
「え?!」
びっくりしたー。
いつ帰って来たのか分からなかったな。
「ええと、古語の単語帳」
「……単語帳?」
「単語と意味だけ書きぬいた物。その方が覚えやすいかと思って」
「なるほど。悠人は真面目だな」
「あのさ、リューって呼んでくれないか? 僕はアンドリューだし」
「二人なのに?」
「二人でも」
「はいはい。リューは真面目だな」
ジンは小さく笑って自分のスペースへ戻ってく。
「君ほどじゃないよ」
「俺?」
「今日も型の確認してきたんだろ?」
ジンは早朝にアル先輩と剣の稽古をして、授業に組み込まれてる剣技の訓練でも稽古して、夕飯前に裏庭まで行って必ず型の確認をしてくる。コイツ、どんだけ剣を振るのが好きなんだろって思う。
僕がジンの掴んでる剣に目をやると、彼は枕の上に剣をおいてベッドに腰掛けた。
「一日休むと戻すのに三日かかるってのが、俺の師匠の教えだから」
「師匠がいるんだ」
「ああ。もう亡くなってるけどな。俺の祖父が剣の師匠なんだ」
「……ごめん」
「なんで謝るんだ?」
「…………」
君が爺ちゃんっ子だって知ってるからだよ。
ジンはクスクスと笑いだす。
「リューって、時々、面白いな」
「は? 何で? 僕なんか口下手で面白いこと言えないけど?」
「見てて面白い」
「?」
「で、少しは読めるようになったのか?」
僕は椅子を動かしてジンの方に向けた。
「少しなら。簡単な呪文も覚えた」
「呪文か——凄いんじゃないか? もう試した?」
「試す?」
「覚えたんだろ?」
「覚えたけど……読めるだけだから。イントネーションとかは分からないし」
「なるほどな。そういや、古語の発音って、祭りの歌に似てるって聞いた事あるな」
「歌?」
「歌ってみようか?」
ジンは小さな声で不思議な旋律を奏で出す。聞いた事もない旋律で、思わず息を飲んで聞き入ってしまう。寄宿舎だっていうのもあるんだろうけど、ジンの声は囁くように小さくて密やかなのに——。
まるで建物の外に放り出されたみたいに、僕の周りで風が抜け、木々が騒ぎ、雲が流れてく気がした。胸が震えるってこういうのかもしれない。
小さく微笑んだジンは、合わせてみろよって言いたそうに指を動かした。
覚え始めたばっかりの古語の呪文を、ジンの旋律に合わせて歌ってみる。
低く、早く、長く、高く。
僕の声とジンの声が重なって、体が細かく震えてく。
——共振。
そんな言葉を思い出した時、寄宿舎の部屋に風が起こった。慌てたようなジンが、走って来て僕の足を掴む。
——え? 足?