緊張(ジン)
寮長から荷物を受け取って寄宿舎に戻ると、複雑な顔をした悠人が自分の机に向かってた。
「悠人? どうかしたのか?」
「ん? あ、ジン。お帰り」
——お帰り。
まあ、間違ってはいないんだが。
なんとなく、気恥ずかしい気がする。
「図書館でベーダ・レオントード先輩に会ったんだ」
「ああ、書記だっていう二年生?」
「そう。で、これ貰った」
悠人が持っていたのは、古語の辞書だった。使い込まれ、汚れてはいるけれど、大切に使っていたらしく傷みは少ない。
「へぇ。良かったな」
「うん」
——なんで複雑そうな顔してんだ?
椅子に座ったまま、俺を見上げた悠人が苦笑する。
「この辞書をもらうのにさ、ベーダ先輩の部屋まで行ったんだけど。アルゲント先輩と同室だったよ」
「奇遇だな」
「で、そこでルドルフ殿下にも会ったんだけどさ——」
ちょと言葉を濁して、複雑そうな顔に拍車がかかった。
「あの人、ちょっと苦手で」
「……王太子が?」
「距離感が掴めないっていうのか、ほら、一応は上級生で権力者だし機嫌は損ねたくないんだけどさ」
——ああ。
なんとなく察するものはある。
王太子は、悠人を特別に気に入ってるみたいだからな。
それは、コイツと一緒に生徒会に誘われた時に感じた事だ。
王太子は悠人を含みのある目で見る。
コイツが頷いたら、愛妾にしそうな目だもんな。
王族だと、そういうの割とあるって噂で聞いたことあるし。
………ないとは思うけど。
「まぁ、不敬に当たらなきゃいいんじゃないか?」
「その辺りの感覚が、よく分かんないだ。僕は貴族じゃないし」
——貴族じゃない、か。男爵家の嫡男のくせして。
「ふっ、くっ、くくっ」
「あ、笑うかな!」
「笑ってない」
「……嘘つけ」
少し剥れた悠人を見ながら、俺は荷物を自分の机に置いて中身を確認する。
「大丈夫だろ。お前の言動を見てると、普通に接してれば不敬に当たらないと思うぞ。先輩として敬ってるし」
「……そう?」
「そういう顔してんなよ。ほら、これ」
「え? なに?」
実家に頼んでいた古語の教材を見せると、悠人の顔が明るくなる。古語を勉強したいって言ったら、さっそく親父が送ってくれた物だ。立ち上がって俺の方に寄って来た悠人は、後ろに立った。
「ああ、やっぱり辞書は必要なんだね」
「単語の意味とか調べなきゃ分からないからな。ベーダ先輩のと、どっちでも使いやすい方を使えよ。比べてみたら、解釈違いってのもあるかもしれないしな」
「そうだな。あ、すげー。表がある」
「言語表だな。基本になる文字だ。マルペーザの言葉なら、読めたり書けたりすんだよな?」
「アンドリューの知識があるからね」
「なら、これは読めるな」
親父は教材用に片側が古語、片側がマルペーザ語で書かれた詩編集を入れてくれてた。悠人は関心したような声を出し、身をかがめて後ろから覗き込む。
——なんか、近いな。
「これって、詩?」
「……古い時代の物語って、詩の形で語られてることが多いんだよ」
「触っていい?」
「いいけど」
俺の後ろから手を伸ばし、詩編のページを捲る。
それは良いんだが——。
背中に悠人の体が触れて、なんだか居心地が悪い。
「悠人」
「なに?」
「暑苦しいから、興味あるなら持ってけ」
「え? いいの? ジンも勉強するんじゃなかった?」
「教材は他にもあるから」
「……じゃ、借りる」
机の上の詩編を渡すと、悠人が体を離す。
ホッとした。
——俺は、なんでホッとしてんだろう。




