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第二話 指折りの漫画家

 事件の始まりは、新人漫画賞を表彰するパーティ会場で起こった。


 編集者の井納只敬(いのうただたか)は、興奮していた。自分が担当している雑誌に、とてつもない新人漫画家が入ってきたのだ。確かに日本は漫画大国だが、それは東京の話であって、才能のある若者は大概上京する。地方の出版社など、誰も存在すら知らないし、見向きもされないのだが……それを『家が近いから』と言う理由でウチを選んでくれるなんて。井納は胸を高鳴らせて、彼女から受け取った原稿用紙を眺めた。


 名前は深沢吹雪……ペンネームもそのまま『深沢吹雪』である。


 面白い。

 吹雪が描いてきたのは、王道も王道、ファンタジー世界のバトル漫画だった。まるで原稿用紙から絵が浮き出てくるような、そんな存在感をひしひしと感じる。それに何と言うか……絵が上手いと言うより、漫画が上手い。むしろ絵の荒々しさが、逆に魅力にもなっている。キャラクターや世界観はもちろんのこと、構図、コマ割り、台詞回し……気がつくと次の頁を捲っているし、早く続きが読みたくて仕方なくなっている。これほどの漫画を、弱冠18歳の少女が描いているだなんて……。


「すごい……すごいよ!」

「どうも」


 涎を垂らさんばかりの井納に比べて、当の作者・吹雪の反応は淡々としたものだった。まるで、「描き終わった作品には興味がない」と言った感じで……「早く次を描かせてくれ」と言った眼で、目の前の担当をじっと睨んでいる。井納はゴクリと生唾を飲み込んだ。彼も一介の編集者、漫画を描ける人は何人も知っている。だが、漫画を描き続けられる人は……そう多くはない。


 早速会議にかけ、トントン拍子で連載が決まった。ネットにも載せた読切は中々の高評価で、地方出版社としては、異例の大ヒットとなった。


 井納は一度、吹雪が漫画を描いているところを見せてもらったことがある。


 一日約14時間。90分ごとに15分の休憩を入れて、それ以外は、ロボットのように机の前に座っている。夜の0時ぴったりにベッドに入り、朝の7時まで、毎日同じ時間に寝て起きて。残りの3時間で、ご飯を食べたり風呂に入ったりしているらしい。それ以外は、ずっと筆を握っている。


「人間の集中力は大体90分で切れるらしいの」

 吹雪に尋ねると、彼女は表情一つ変えずそう言った。

「本当かどうか知らないけど。少なくとも私のリズムにはそれで合ってるんでしょうね。ずっと座りっぱなしってのも、健康に悪いし」


 毎週日曜日だけは休みを取っているようだが、何処で何をしているのか分からない。というか執筆中も電源を切っているので、普段から滅多に連絡が取れない。せめて日曜だけでも年頃の子と同じように青春を満喫して欲しい……と、井納が心配になるほどだった。


 期待を大幅に超え、吹雪の漫画は瞬く間に人気を博し、当然のように新人賞を受賞した。名実ともに、()()()の漫画家になる日も近かった。


「気をつけろよ」


 だが、そんな盛り上がりに水を差すように、先輩編集者の一人が声を低くして、井納に忠告してきた。無精髭の編集は井納の隣にどかっと座り込むと、おもむろにタバコに火をつけた。目の前の壁には、『社内禁煙』のポスターが貼られている。


「あの女はヤバい。とんだ疫病神だ……」

「何がですか?」


 また始まった……と井納は内心呆れた。才能のある新人が自分の担当じゃないと、途端に不貞腐れてやっかみ始めるのだ。おかげで彼の周りには、『遊ぶ金欲しさ』とか、『神のお告げがあって』とか、『ムシャクシャしてやった。後悔はしていない』とか、まるで犯行動機みたいな理由で漫画家を志す輩で溢れている。


「アイツが連載し出した途端、ウチの出版社は不幸続きだ」

「嗚呼……」


 ヤニ臭い息を吹きかけられ、井納は顔をしかめた。その点に関しては、彼も心を痛めていた。最近、漫画家や出版関係者を狙った傷害事件が多発しているのだ。留守中に窃盗に入られたり、この間は、何と連載中のベテラン漫画家が散歩中、指を折られる事件まで起きてしまった。犯人は未だに捕まっていない。


 厄介な事件に巻き込まれてはかなわない……と、すでに何人かは休載を打診して来ている。ただでさえ少数で回している地方雑誌、せっかく生きのいい新人が入ったのに、このままでは廃刊に追い込まれてしまう……。


「俺は、あの女が犯人じゃないかと睨んでるね」

「まさか」


 井納は驚いた。

 一日中机に座って漫画を描いているような少女なのだ。そんなバカなことをするくらいなら、漫画を描いているだろう。彼女ならきっと、明日人類が滅亡するとなっても、淡々とスケジュールをこなしているに違いない……そう思えた。


「だってそうだろう? 動機はあるんだ。あの小娘に都合の悪い人物が狙われてるんだぜ? 盗まれたのは次載せる予定だった原稿用紙だ。それに、上で詰まってるベテランの枠が一つ開けば、それだけ彼女の人気が上がる」

「まさか」


 井納は、今度は笑ってしまった。むしろ作家は足りてないくらいで、連載の枠がどうのこうの言えるほど、激しい競争がある雑誌ではない。

 さらに言えば雑誌……と言っても今はウェブ更新が主になっている。それも星の数ほどある漫画ウェブサイトの、誰も気にも留めないような欠片のひとつ。絵に描いたような零細企業で、紙媒体で出すのは、一年に数回あるかないか、だ。


 しかし……。


 いくら小さな企業とは言え、井納は今そこで働いている。それにどんなに数が少なかろうが、読んでくれる人がいるのだ。時代がどうの、景気がどうの、コンプライアンスが表現規制がと言われても、井納にとっては此処が戦場であり、無抵抗のお利口さんで消えて行くつもりは無い。


「アイツは言ってたんだよ。俺、聞いたんだ」

「何を?」

「『漫画のためなら、人を殺したって構わない』……って」

「…………」


 井納は言葉に詰まった。


 吹雪なら……言ってもおかしくないような気がした。いくら才能があるとはいえ、まだ世間に出たこともない、若い少女なのだ。個性的であることが持て囃される作家業に、社会性など求めるのもおかしな話だが、思い込みを激しくして、突拍子もない行動に出ないとも限らない。


「……僕が調査しますよ」

「何?」


 煙の匂いから逃れるように、井納は腰を浮かせた。


「ウチの出版社に恨みを持ってるのは確かでしょう。狙われているのはウチの作家陣や編集者だし。案外、作家になれなくて逆恨みして……ほら、こないだの」

「『遊ぶ金欲しさ』のヤツか? 嗚呼、アイツはダメだね。所詮パロディ作家よ。てんで見込みがない……」

「とにかく調べてみますよ。犯人は案外、身内にいるかもしれない」


 思いつきで口をついて出た言葉だったが、案外真実が含まれていそうな気がした。


 だが数日後。そんな事件も霞んでしまうほどの大事件が、授賞式の会場で起きてしまった。

 吹雪が、同じ雑誌の大ベテラン、人気No. 1の厭那奴蔵(いやなやつぞう)先生に、文字通り冷や水をぶっ掛けてしまったのだ。


 パーティは市内で一番大きなホテルのフロアを丸ごと貸し切って、大々的に行われた。会社の予算的には赤字に近かったが、こういうのは宣伝も兼ねているのだ。TV局や記者なども呼び、大勢の出版関係者・作家陣を囲み、式は比較的和やかな雰囲気で進んでいた。

 

 吹雪が持っていたグラスを厭那先生にぶっ掛けた時、井納はちょうど隣に立っていた。彼は正直、厭那が苦手だった。成金老人。それが彼のあだ名だった。スーツやネクタイに金箔をちりばめ、両手にはジャラジャラと大量の指輪、金歯を光らせる不気味な笑顔は、一昔前の悪役そのものだった。


 地元の名士と深い仲で、実質厭那の人脈と財力で、井納たちの出版社の経営は成り立っている。事実上、彼がやりたい放題やっている状況なのだが、立場が立場だけに誰も文句を言えないのだった。おまけに女にも手が早いと有名だ。


 吹雪がグラスを顎に叩きつけんばかりの勢いで水をぶっかけた時、厭那は彼女の右手を握り、耳元で何かを囁いていた。その鼻の下を伸ばしたニヤケ面から、およそ内容も知れようというものだが、果たして真実は分からない。


「……まだ自分が追われる立場だと言うことが分かってないのかしら?」


 ぴちゃ、ぴちゃと厭那の高級そうなスーツから水が滴り落ちる。

 会場はシン……と静まり返ってしまった。

 吹雪は謝る素振りも見せず、氷のように冷たい声を出した。いつの間にか、そこにいた誰もが二人に注目していた。思わずカメラやマイクが向けられたその先で、彼女は真っ黒なドレスを翻し、吹雪は言い放った。


「覚えておきなさい。才能と収入のある奴から、潰していくつもりだから」


 それから彼女は会場を出て行った。井納も、厭那も、そこにいた全員がどう言う反応をしていいか分からず、しばらくぽかんと口を開けたまま固まっていた。


 それからさらに数日後。

 厭那奴蔵が、職場で血を流して倒れているのが発見された。

 描きかけの原稿用紙の上に突っ伏して、死んでいたのだ。


 死因は出血死。

 彼の首には刃物で掻っ切ったような痕があり、現場は特に荒らされた様子は無かったが、死体の横に、『人気順に殺していく』……と言う、謎のメッセージが残されていた。


《To Be Continued……》

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