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転生勇者を探しに行きます

商人の街、マルシュの昼は賑やかだ。

大通りの両側に露店が所狭しと並び、甲高い客引きの声が飛び交う。

日がちょうど真上に来る真昼時は、多くの人が食事をしに訪れるかきいれ時とあって、狭い道は人々で埋めつくされている。

リィンはフードを目深に被ると、行く道を封鎖するように群がる客引きを押しのけた。


二ヵ月前、この街に初めてやってきたときは物珍しさから散財したリィンだったが,こうも毎日開催されると,その騒がしさに閉口する。

仕事も上手くいっていないような状況でお祭り騒ぎを見物しても、ただ気分が滅入るだけだ。

「本当に、居るのかなぁ…。」

ぼんやりと呟いた言葉は、すぐに喧騒にかき消えてどこかへ行ってしまった。


修道女の役割は大きく分けて二つある。

一つの教会に仕え続ける修道士と、各地を転々と廻る、巡教者だ。

王国の至る所、各教会ごとに数人で固まって暮らしている修道士に比べると、巡教者は非常に数が少ない。

それは巡教者の目的が、勇者を探すため、という夢物語のような目的のためだ。

夢物語を信じているような者。

つまり、よっぽど信仰心が篤い純朴過ぎる人か、それともリィンのように、過去勇者に出会ったことがあるような、そんな一握りだけだった。


通りから一つ道を外れ、薄暗い隘路に入ると、狂騒はぐっと息をひそめる。

湿った黴の臭いが鼻腔に広がる。

空気は心なしか重く、人はおろか、猫一匹いやしない。表通りとは大きな違いだ。

建物の間に吊るされた染みの着いた衣服が、辛うじて住人の存在を示している。

リィンは思わず足を速めた。

比較的荒事に慣れているとはいえ、こんなところを一人でうろついていたら、危ないことには変わりはない。

安宿に泊まったのが間違いだっただろうか。

もちろんリィンは修道女なので、修道院に泊まることもできる。しかし、修道院に居ても噂話は得られないというのがリィンの考えだった。

勇者の能力は桁違いだ。政治力も、財力も、すべて束にして一息に握りつぶしてしまえるだけの圧倒的な暴力。

そんなキナ臭い力がやり取りされるのは、主に街の裏面、冒険者稼業であるのが妥当だろう。

噂話を肌で感じ取るために、リィンはいつも街の端を拠点にして過ごすようにしていた。


夢物語かもしれないが、勇者は此の世ではない、どこか異世界から転生して来ると言われる。

勇者を見分けるには、異世界で生きた前世の記憶を持つという特徴と、後天的に授かる双つの巴模様の痣を見つけるしかない。

数多くの人が行き交うこの街で、そんな曖昧な特徴だけで一人の人を摘みあげるのは非常に困難で、ここ2か月にわたるリィンの必死の探索にもかかわらず、噂話以上の収穫を得ることはできていなかった。


「ああもう!」

嫌になって力任せに蹴飛ばした金属片が、案外大きな音を立てて転がるのに、リィンは思わず身体を竦めた。

金属片の中は空洞なのか軽く、壁に当たると、路地の隅まで転がっていく。

カランコロンと鳴り響く反響音がゆっくり消えていき、再び何事もなかったかのように静まり返った。


怖い人が出てきたりしなくて良かった。不必要に騒ぐのは、揉め事に繋がる。

ホッと胸をなで下ろしたリィンの目の端で、ごそごそと動く影があった。

路地の隅、襤褸切れの塊が動いている。

猫にしては大きい。そして、汚い。

思わず生活魔法しか使えないのに杖を向けたリィンだったが、それが動物ではなく、まだ年若い少年だと気付くのには時間がかかった。


泥まみれの髪。濁ったアイスブルーの瞳。

襤褸切れから垣間見える脚は痣だらけで、こちらを睨み付けるように、けれど怯えるように視線を向けている。

まるで大型な野生動物のようで、それだけで少年が碌な生活を送ってこなかったことは十分すぎるほどにわかる。

二人の間に永遠にも思えるような、見つめあう時間が流れた。


ああ、見逃すことができたらどんなに楽だっただろう。

下町で厄介事には首を突っ込まないのが正しい。過度な親切心は報われることなく、ただ身を滅ぼすだけだ。

だが、怯える少年の瞳は、かつて鏡で見た少女の瞳によく似ていた。他人を信用することができないのに、それでも信じることしかできない矛盾した目。

思い出したくない記憶。忘れていたはずなのに。

過去の幻想を振り払う。

「おいで。」

少年は、微笑んだリィンの手を恐る恐る握る。

その腕はあまりに細く、今にも折れそうなほど弱々しかった。


---

ただでさえ狭いリィンの部屋は、あっという間に湯気で埋めつくされた。

威嚇する少年に頭からお湯をかけ、犬にするかのように布をかぶせて、一気に水気を拭い取る。

白かったはずの布は、たちまちのうちに黒く汚れ、それと反比例するかのように少年の顔立ちが見えてきた。

思ったより幼い。年のころは十くらいだろうか。通常であれば、元気を持てあますような年齢だ。

それでもどこか生気がないのは、顔の半分以上を覆う傷のせいだった。

痛々しい青痣が左半分を覆う。顎のあたりに裂傷が横切り、生々しい痛みを想起させる。

傷痕に触れられた少年は僅かに顔を歪めるが、泣き出すこともなく、唇を真一文字に結んだ。

殴られることに慣れているのだろうか。暴力のはけ口にされる子供は、下町では特別珍しいものではない。

「ほら、着替えれる?」

自分の服の中でも、できるだけ地味なものを渡す。

サイズは少し大きいだろうが、腐った布よりはましだろう。

頷くと、少年は警戒しつつ、薄手のチュニックにゆっくりと首を通した。


着替え終わるのを見届けてからパンを渡すと、がっつくように食べ始めた。

余程おなかが空いていたのだろうか。柔らかくもないのに、身体全体を使って引きちぎるように食べ進めていく。

その様は、やはり人というより動物のようだった。


さて、後先考えずに、拾ってきてしまってどうしようか。

リィンはそっとため息をついた。

二人で暮らせるほど今の生活に余裕はない。

例えば修道院に連れて行けば、下働きとして食べさせて貰うことはできるかもしれない。

ぼんやりと食事をする少年を眺めていたリィンだったが、ハッとあることに気付いて手を伸ばし、少年の手首を捕まえた。


思わず掴んだ少年の左の手の甲に、小さな痣がある。

いくら小さくても、この痣は見間違えようがない。毎日のように捜し歩いていた。図柄を見なくとも、そらで浮かべられるように、頭に叩き込んでいる。

陰と陽を示す、双子の巴模様。

転生勇者の証明だ。


だが、しかし、勇者というのはもっと力強いものなのではないか。


鈍い頭痛を感じながら、リィンは恐る恐る問いかけた。

「もしかして、前世の記憶があったり、する?」

少年は目を逸らして、逡巡している様子だったが、数秒後に力なく頷いた。


---

リィンはかつて先代の勇者に会ったことがある。

当時、孤児として教会に居たリィンは小さく、その時期は靄がかかったように曖昧だが、彼が勇者の名に恥じない剛健で、勇猛果敢な男性だったことは何となく覚えている。

魔法を使えば並び立つものなく、腰に差した片手剣一つで魔物の群れをなぎ払う。

彼がリィンの頭を撫でたとき、その手の平は石のように硬く、包み込むように大きかったと思う。


それが、まさか。

リィンは目の前で力なく項垂れる少年を頭からつま先まで改めて眺めた。

手足は枯れ枝のように細く、肌は青白い。勇者というような力強さは微塵も感じられない。

なんならわたしより弱いだろう。


だが、勇者には到底見えないとはいえ、少年が痣を持っていて、前世の記憶があるのであれば、勇者の条件はそれだけで満たされている。

このまま教会まで少年を連れて行けば任務は完了だ。

教会は巡教者を各地に放ってはいるが、これまでに成功した例は聞かない。連れて行けば、リィンの出世は約束されたも同然だろう。

それから、少年は教会の子飼いとして育てられることになるだろうか。

強力な政治の道具として、おそらくこれから奪い合いになる。純粋な、圧倒的な力を持つ者として。


少年は手首を掴まれたまま、身を固くしている。

勇者は力のシンボルだ。そして下町で、力は莫大な金になる。勇者として生まれた少年に、これまで何があったのか。それは想像しても分からない。

浮かべた表情には、希望と絶望が入り混じる。

いつだって期待をしたら、それを奪われる。その繰り返しで、期待すること自体を無理やり諦めようとしているような、そんな死にかけの瞳。

『勇者が力を発揮するのは、誰かを守るときだから。』

ふと昔聞いた言葉を思い出した。

あれは、勇者の台詞だっただろうか。昔のことで、覚えていない。無理に思い出そうとすると、頭がチクリと痛んだ。


リィンはフッと力を抜くと少年を解放した。

「ま、いいや。」

少年は驚いたように、リィンを見つめる。

転生勇者について報告するのが多少遅れたところで、そんなに影響はないだろう。

リィンが報告するそれまでは、お腹を空かせたただの少年に過ぎない。


「親は?」

少年はギョッとした顔をして、慌ててフルフルと首を振る。

「孤児?なら一緒だ。」

驚いたような顔を向ける少年から意図的に目を逸らして、洗濯物にとりかかる。

後ろからじっと見つめられているのが分かるが、気にしない振りをする。


リィンに母と父の記憶はない。

育ててくれた教会のシスターから聞いた話では、ちょうど物心がつく境目に二人とも亡くしたらしい。

両親のことを思い出そうとすると、ズキズキ頭が痛むので、あえて考えないようにしている。

かつて蓋をした、思い出したくもない記憶は無理に思い出す必要もないだろう。


「ほら、見てないで、この辺りのものを網に入れて。」

せかすリィンに少年は慌てて動き出し、肌着をまとめ始めた。


---

少年が転がり込んでから九日が経った。

初めの二日こそ、部屋の隅で毛布を被って過ごしていたが、三日目には安心したのか、ぽつりぽつりと言葉を話し始めた。


少年はブライトと名乗った。

それは下町の中でも貧困層特有のぶっきらぼうな言葉遣いで、ブライトの過去が垣間見えた。

しかし、前世も含めて過去のことについてはけして話そうとしなかったし、リィンも無理に話させようとはしなかった。


二人の朝は早かった。日が昇る前にブライトは目覚めていたし、リィンはそれより早く起きていた。

明け方、まだ早朝の鐘の鳴る前に、リィンが情報収集に出かける。

ブライトは出かけていることもあるが、大半は家で過ごし、黙々と家事を進めている。

リィンは夕暮れ時には帰って来て、二人揃って食事を摂るのが新しい日課となった。


歪な生活だったが、そんな共同生活を一週間も過ごした頃には、彼はすっかり懐いていた。

「リィン、卵買いに行かなきゃもうない!」

「え、ホント?また市場行かなきゃ。」

ブライトは料理方向に意外な才能を発揮し、二人分の夕食を作るようになっていた。

リィンに任せると、生煮えの物体か、ドロドロに溶けた塊しか出てこないので、自発的にやり始めたのだ。


ブライトはすっかり手慣れた手つきで野菜炒めを皿に盛ると、リィンに差し出す。

そうして自身の皿には盛らず、リィンをじっと見つめる。

主人が食べるまで食べないという、野生動物の掟を思い出すが、同時に毒見役という言葉も思い出されて、リィンは複雑な気持ちになっていた。

止めるように言ったのだが、リィンが食べるまでは絶対に料理に手を付けようとしない。仕方ないので先に食べるようにしている。

焦げ目の付いた茸を頬張って、思わず呟いた。

「うん、美味しい。」

悔しいが、リィンが炒めるより何倍も美味い。ただの塩気だけでなく、辛味が程よく効いていて、料理店で食事しているような錯覚を覚える。

見たことない調味料が何種か棚に増えていたので、きっとあれの影響だろう。

「でしょ?」

ブライトは隠しきれない笑みを浮かべて、軽い足取りでかまどの前へと戻る。その後ろ姿はまるで、ブンブンと振られた尻尾が生えているようだった。


夜までは各々黙々と作業をする。

リィンは主に調査報告のまとめ、ブライトは明日の家事の準備だったりだ。

また、リィンは気にしないと言ったのだが、ブライトはリィンと同じベッドで寝ることを頑なに嫌がった。

前世の記憶とやらが関係しているのだろうか、と不思議に思う。

仕方ないので、柔らかい布を何重にも床に敷いて、そこをブライトの寝床とした。


先に眠るのは、専らブライトだった。

昼は平気そうな顔で振る舞っているが、いざ眠りにつくと、毎日のように魘されていた。

そういう時は、リィンがかつて先代勇者にされたように、優しく頭を撫でてやる。

撫でているうちに、徐々に落ち着いて深い眠りに落ちるので、それを見届けてからリィンは布団に潜り込むようにしていた。


---

ブライトが来てからというもの、リィンは同じ夢を繰り返し見るようになった。

とても古い夢だ。


あの日、リィンは教会に貰われてきたばかりだった。

正確には覚えていないが、十年は前だろう。まだ五つほどの頃だろうか。

大人に連れられて、廊下を次々と曲がり、脚が痛くなってきたあたりで着いた広間に、勇者は居た。

初めて会う勇者は、ステンドグラスから漏れる光に包まれて、どこかこの世のものではないように見えた。

彫りの深い赤茶色の顔は、不思議と純粋そうで、特別寂しそうな顔をしていた。

勇者はリィンに向き合って、その大きな手で頭を撫でると、一言二言呟く。

鮮やかな赤い光が二人を包み、周りを一際強く巡ると、やがてリィンに吸い込まれて行った。


「成功だ。」

息を吐いて勇者がそう呟くと、見守っていた神官たちは、安堵したような顔を浮かべる。

何か話そうとする彼らを押しとどめ、勇者はその場に跪いた。

しゃがんだ勇者はちょうど、リィンの目線と一緒だった。

「リィン、これは祝福だ。」

袖で涙を拭われ、リィンは自身が泣いていたことにようやく気付いた。

不思議そうに、首をかしげるリィンに、勇者は真剣な顔で言葉を紡ぐ。


「この祝福は永遠じゃない。君が君を見つめられるようになったら、もう僕の祝福は要らないから。」

勇者の瞳は南方の民のように黒く、全てを吸い込む色をしていた。

リィンにはよく意味は分からなかったが、勇者が真剣に何かを伝えようとしていることは伝わった。

必死に頷くリィンに、勇者は笑みを浮かべる。


「次代の勇者によろしく伝えてくれ。目の前の人を救えるようにな。」

その言葉に、ズキンと頭が痛む。

御礼を言いたいのに、うまく言葉が出てこない。辛うじて声に出せたのは、しゃくりあげるような泣き声だった。


それ以上のことを思い出そうとしても、どこか靄がかかったように思い出せない。

どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。

その区別は今日もできずに、リィンはベッドから身を起こす。


---

リィンは、朝食も用意しようと張り切るブライトをぼんやりと眺めながら、欠伸をしていた。

「卵なかったらメニューが面倒なんだよね...。」

ブライトは困ったような口ぶりで、その癖全然困っていないように食材を切っては次々と鍋に放り込んでいく。

どこで買ってきたのか、割烹着を着こんで厨房に向かうその姿は、リィンよりもこの家に似合っている。もうすっかり居着いてしまった。


さて、ブライトをどうするか、そろそろ決断するべきかもしれない。

出会った当初は、あまりに弱々しく、今にも壊れてしまいそうで思わず感情移入してしまったが、ずっとこうして暮らしているわけにもいかない。

ブライトと出会ってからというもの、収支は常にマイナスだ。教会からの補助金は、二人が生きていけるように組まれてはいない。

だいぶ精神的にも安定してきたようだ。修道院に送ったとて、もう大丈夫だろう。


今日も出来上がったポトフをリィンの前に置き、褒めてもらうのを待っているブライトを見つめ、リィンは話を切り出そうとした。

「あのさ、言わないといけないことがあって、」

「……?」

ブライトは不思議そうに首を傾ける。その顔はすっかり安心しきっていて、胸がチクリと痛んだ。

でもいつかは、言わないといけない事だ。


その瞬間、乱暴に扉が叩かれた。

ノックではなく、壊すことを目的としているような強い音。

教会からの使いが、こんな叩き方をするわけがない。

リィンは咄嗟に叫んでいた。

「逃げて!」

ブライトの動きは素早かった。

明り取り用の用の小窓を開け、そこから飛び出す。

ホッとするのも束の間、三人組の男が扉を蹴破って飛び込んできた。


---

荷物としては丁寧に扱われた方かもしれない。

応戦しようと咄嗟に杖を構えたリィンだったが、即座に昏倒させられ、床に叩きつけられた。

意識がうっすらとあるまま、担がれて袋に詰められる。

話し合いのハの字もあったものじゃない。

硬い床に乱暴に放り出されて、やっと袋から這い出せたときには、そこは臭ったような匂いで溢れた、見知らぬ地下室だった。


どこかに打ち付けたのか、額が割れるように痛い。手をやると、ヌルリと血の感触がした。

まさか本当に割れているとは。

呻くリィンの傍に、折られた樫杖が転がる。十二の時にシスターに貰ってから、結構長い付き合いだったのに。

あたりを見渡すとそこは、罪人が入るような、鉄格子の中だった。

先ほどリィンを捕まえた男たちが、慌ただしく怒鳴りあっている。大方、勇者を捕まえられなかったから責任を押し付けあっているのだろう。

ブライトは逃げられるといいな。そう思ったのも一瞬のことで、にわかに入口の方が騒がしくなる。

怒号ともみ合っているような音の直後、少年が階段を転がり落ちてきた。


「なにすんだよっ!」

落ちてきたのは、ブライトだった。

リィンは落胆する。子供の足じゃ逃げきれなかったか。

床に叩きつけられたブライトは、ふらつく脚で立ち上がると、血交じりの唾を吐き出した。

ブライトはリィンに気付かないのか、震える脚で仁王立ちして、男たちを睨めつける。体格差が浮き彫りになる。無理だ。

男たちがじりじりと近寄り、取り押さえようとしたその刹那、ブライトは息を大きく吸って叫んだ。

「お前ら、俺が勇者だと思ってんだろ!」

予想外の言葉に、取り囲んでいた男たちは思わず動きを止めた。


「違うからな!俺は、勇者じゃない!この痣は、作り物でっ、とっ、あいつに焼かれて付けられただけだ!」

そうだったのか。今になってリィンは腑に落ちた。

あまりに華奢で、あまりに弱い。その様は少年というより少女のようで、勇者と呼ぶにはあまりにも力不足だ。


「そんなものっ!前世の記憶なんてあるわけないだろっ!」

弱々しい勇者は、偽者だった。彼に痣を付けたのは、誰か、彼を売った人物。


勇者は金になる。一つの焼き印と、前世の記憶という曖昧なものだけで当座の生活費を稼げるのならば、子供を犠牲にする者が居てもおかしくはないだろう。

声変わりも終わっていない幼い声で精いっぱい、悲鳴のような声を上げる。

「ざまあみろ!居もしない勇者でも探してろ馬鹿どもっ!」

啖呵を切り終えた途端、ブライトはそれまで呆然としていた男たちに殴り倒された。


まずい。

ブライトに覆いかぶさった男はすっかり逆上している。懐から取り出したのは、小刀だろうか。金属特有の反射光が煌めく。

地面に叩きつけられたブライトは力なく呻き声をあげる。


駄目だ、このままでは、殺されてしまう。

咄嗟に手を伸ばす。持っているのは折れた杖だけ。ブライトまでの間を、頑丈な金属格子が阻む。

何ができる?わたしに、できることは?

頭が割れるように痛い。必死だった。今までに手に入れた知識の中、すべてひっくり返して、この状況を打破できるものを探す。


この街での数ヶ月、街に来る前、教会で過ごしたころ、様々な記憶が入り乱れて、走馬灯のように駆け巡る。

各地をめぐる巡教者として、教会で育てられた孤児として、家で生まれた一人の少女として。

探せ、探せ。何か、何かないか。

初めて読んだ本、初めて聞いた呪文、初めて覚えた魔法。


そして、わたしが初めて使った魔法で、両親もろとも焼け落ちた家。


『勇者が力を発揮するのは、誰かを守るときだから。』

昔、聞いたんじゃなかった。言ったんだった。

教室で、友達と喋りながら、そう熱弁した。ただの女子高生だったわたしが。


「この祝福は永遠じゃない。君が君を見つめられるようになったら、もう僕の祝福は要らないから。」

わたしを救うために、わたしの記憶を封じ込めた、先代勇者の言葉がフラッシュバックする。

強すぎる力は、少女が背負うには重すぎた。

幼かったわたしには、到底見つめることはできなくて、忘れることで過去から逃げ出した。

でも、今なら。

「次代の勇者によろしく伝えてくれ。目の前の人を救えるようにな。」


すべてがスローモーションのように動く。

考えるより先に、身体が動いていた。わたしが初めて使った、最後に使った、ただ一つの攻撃魔法。

忘れていた。でも、思い出した。

両手で強く握りしめた杖の先から、白い閃光がほとばしる。

その光は、今までに見たどんな光よりも早かった。

杖が折れていようがお構いなく、一直線に閃光が走る。

ブライトに襲い掛かろうとしていた男に直撃して、一息に壁まで吹き飛ばす。

暴れる光の束はそれだけでは飽き足らず、まるで意志を持つように、衝撃をもって人々を次々となぎ倒していく。


阿鼻叫喚の最中、杖を構えるリィンの額には、双子の巴模様の傷がしっかりと浮かび上がっていた。



---

---

最後の客が帰った酒場は、とても静かだ。

ほんの数時間前までの喧噪も忘れたように、グラスを拭く音だけが響いている。

そんな静寂を破ったのは、新しく雇ったアルバイトの女性だった。

「マスター、あの二人、何だったんでしょう?」

「何って?」

掃除もまだ終わっていないのに、客が居なくなって気が抜けたようだ。テーブルに突っ伏して、何事か思案する様子をしている。


「ほら、さっき来た二人組ですよ。女性と男の子二人で。どういう関係なんでしょうね。恋人って雰囲気でもなかったし。」

そういえばさっき、旅装をした男女が訪れていた。

二人向かい合わせて小さなテーブルに座り、男性が勇者について熱弁し、女性は時々頷いて楽しそうにそれを聞いていた。


「さあ、姉弟じゃないか?」

「それにしては似てなかったですよねー。」

あまりまじまじと見てはいなかったが、確かにそう、似ていなかったかもしれない。


「そうだ、マスターは居ると思います?勇者。」

突然、アルバイトの子がテーブルに突っ伏したまま、顔だけあげて質問する。

彼らの話を、彼女も聞いていたのだろう。

「いや、勇者とか夢物語だろ。居るわけないじゃないか。」

「ふーん、わたしは、案外身近にいたりするんじゃないかと思いますけどね。」

大人は夢がないねえと呟く彼女を置いて、主人は黙々と店じまいの支度を始めた。


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