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 一本気な性格を表したような、ストレートの金髪を風に揺らして、アディナは上機嫌に歩いていた。半歩後ろにはルカの姿もある。今日は彼と貴族街でデートなのだ。残念ながらデートだと思っているのはアディナだけであるが、そんな事でいちいちしょげる彼女ではない。


「わざわざお嬢様が出向かなくても、お屋敷に届けてもらえば良いじゃないですか」

「まったくもう、ルカは買い物の楽しさがわかってないわね。自分の足でお店を回るのが醍醐味じゃない」

「なんとも庶民的なご意見ですね」

「普通の女の子的な意見と言ってほしいわ」


 日傘の下から覗く、心底楽しそうな横顔に、ルカはつい見惚れてしまう。赤薔薇の瞳がこちらを向く前に目を逸らしたが、彼の鼓動は速くなったままだった。


「ねえ、ルカ」

「はい、お嬢様」

「ボディラインがくっきり出る、露出多めのドレスは好き?殿方ならみんな好きらしいけれど…ほら、ルカは特殊だから」

「それまだ引きずります!?」

「冗談よ」

「本当に!?信じますよ!?」

「必死になるあたり、ますます怪しいわね」

「誰のせいだと…」


 ルカの恨みがましい視線もなんのその、アディナは飄々としていた。


「とにかく、夏のパーティーに向けて、ドレスを新調するわ!ルカ、忌憚のない意見をよろしくね」

「それなら俺よりマーニャの方が適任だったんじゃありませんか?」

「それだと大人数になってしまうでしょう?」


 街中をのんびりと歩いているアディナだが、そうできるのはルカが随行しているからだ。騎士の家系に生まれた彼は、ひと通り武術を嗜んでおり、護衛としての役割も担うことができた。しかしマーニャは単なるメイド。彼女と連れ立って外出する際は、護衛の騎士も伴わなければならない。大所帯で出歩くのは、他の客にも迷惑になる。

 …とまあ本音を言えば「ルカと二人きりで出かけたかったから」なのだが、それは乙女の秘密である。


「ルカと二人の方が気楽でいいわ」

「まあ、それもそうですね」

「じゃあさっそく腹ごしらえといきましょう!」

「ドレスは?」


 一目散にカフェへ向かうアディナを、ルカは苦笑しながら追いかけるのであった。


 その頃、クリュシオン家の屋敷では、マーニャが洗濯の手を止めて空を見上げていた。


(お嬢様は楽しんでいらっしゃるでしょうか)


 昨晩アディナは、今日着ていく衣装を選ぶのに、随分と時間をかけて悩んでいた。パーティーでクライヴと踊る時はなおざりのくせに、ルカとのお出掛けとなるとこれだ。


(そういうところは、普通の恋する女の子らしいのですが…)


 ベッドの下に官能小説を隠すあたり、どうにも世間一般の令嬢とは大幅にズレている。というか公爵令嬢が夜な夜な官能小説を読むのは、いかがなものなのか。だが、読んだ感想が「よくわからない言葉ばかりで、何が何だかさっぱりよ」なのは、箱入り娘らしいのかもしれない。


(今夜はきっと、報告会ですね)


 アディナが面白おかしく話して聞かせてくれるのを、楽しみにしているマーニャだった。




 さて、アディナとルカは真っ先に一服してから、本来の予定通り仕立て屋を訪れていた。


「何色にしようかしら…ルカはどれがいいと思う?」

「お嬢様の瞳の色と同じ、赤ですかね。前に着ていらっしゃったのも、よくお似合いでしたし」


 やはり髪や瞳の色に合わせるのが妥当だろう。それでなくても、彼女に赤色が一番似合うというのは、偽りのないルカの本心だった。


「そう。じゃあ赤で」

「即決!?もっと悩まなくていいんですか?」

「ルカが似合うと言ってくれたからいいの」

「はあ…」


 アディナは最初、夏用のドレスなので爽やかな色合いのドレスにしようかと考えていた。しかし、ルカの一言でそんな考えはどうでもよくなった。


(ルカが褒めてくれた色を着たいじゃない)


 ドレスなんて新しく仕立てなくても、クローゼットに仕舞ってある分だけで間に合うのだが、たまの贅沢くらい許してもらいたい。ちなみに、アディナのお金の使い道は、ほとんどが恋愛小説である。


「採寸するなら、俺は外に出てますね」

「悪いわね。すぐに終わらせるわ」

「そこの噴水広場にいますから、じっくり悩んでいいですよ」


 ルカが店から出て行った後、アディナは店主に向き直った。


「では手筈通りに」

「かしこまりました。アディナ様。ドレスはご注文通りに仕上げておきますので」

「楽しみにしていますわ」


 お茶目に笑うアディナには、とある目的があった。

 ドレスを選んでもらうのは半分ついでで、真の目的はルカにサプライズプレゼントをすることだった。採寸と型選びは事前に済ませてある。実はルカへの贈り物も、もう選んであるのだ。あとは店の裏口からこっそり抜け出して、品物を手に入れてくるだけ。


「一応、店の者を供につけますが、お気をつけて」

「ええ。ありがとう」


 これぞ『デートといえばサプライズ』作戦である。ルカの与り知らぬところで、またしてもアディナは独りで突っ走っているのだった。


 品物を受け取って戻るのに、さして時間はかからなかった。アディナがプレゼントとして選んだのは懐中時計だ。少し前に壊してしまったとルカがぼやいていたのを、偶然耳にしたことが発端である。


(喜んでくれる…わよね?だってルカだもの)


 綺麗に包装された箱を大事に持って、アディナは待たせているルカのもとへと急いだ。

 待ち合わせ場所である噴水広場は、人であふれている。焦げ茶色の髪と瞳という、本人曰く地味な容姿のルカだが、アディナは彼を成す色が好きだし、すぐに見つけるのも得意だった。

 待たせてごめんなさい、と彼の背中に声をかけようとした直後、アディナは出かかった言葉を飲み込む。そして、即座に回れ右をすると、近くの建物の陰に隠れた。

 アディナが見たのは、見知らぬ女の子達に囲まれるルカだった。


『もし、彼に想い人ができたら、どうするんだい?』


 心臓が締め付けられる感覚に陥り、アディナは無意識に胸元を握りしめていた。

 いつだったか、クライヴにそう問われたことがある。その時の会話が、アディナの脳裏に蘇った。


『ルカが他の女性からわたしに乗り換えてくれる可能性があるなら、諦めませんわ。しぶとく誘惑し続けます』

『少し声量を落とせ、アディナ』

『でもルカとその方が、恋人同士になったのなら、わたしは身を引きます』

『…意外だな』

『略奪愛なんて燃えるわ、とでも言うと思いましたか?』

『うん。言いそうだ』

『読み物としては大変結構ですが、それをルカに当てはめることはできません。恋人との仲を引き裂いてしまったら、ルカが不幸になってしまうでしょう?それは絶対に嫌なのです。わたしだけ良い思いをしたって、何の意味もありませんもの』

『…その場合、君の想いはどうなる?』

『どうもしませんわよ。寂しいですけれど、ルカの幸せを祈って引きこもりますわ』

『どうもしてるじゃないか』

『ただし、ルカの恋人がとんでもない悪女だった場合は、憎まれ役を買ってでも破局に持ち込みます』

『どうもしすぎじゃないか』


 アディナが第一に望んでいるのは、自分の幸せではない。ルカと二人で幸せになることは、結局のところ次点に過ぎないのだ。

 好きな人には幸せになってもらいたい、それは当然の心理だが、アディナはその願いが非常に強かった。これだけ間抜けなアプローチをしていても、引き際がやって来たら、驚くほどあっさり背を向けるだろう。彼女は潔い人間だ。ルカの幸せに自分は不要だと悟った瞬間、彼への想いは簡単に断ち切れなくとも、身を引くことはできる。


『何にせよ、ルカに選んでもらえなかった、わたしが悪いだけです』


 そう締めくくったアディナに、クライヴは何か言いたげだったが、そのまま口を噤んでいた。


(…でも、簡単には負けないわよ。むしろ負けを認めさせるくらいの気持ちで挑まなきゃ)


 アディナの健気な決心は変わらないものの、身を引くのはあくまで、ルカが別の誰かと両想いになった時だ。そうでなければ、全力で突進あるのみ。


(わたしとしたことが、面食らっちゃったわね。恋人面でもなんでもやって、ルカに群がる女の子達を蹴散らすのよ!)


 もはや言い草が完全に悪役である。

 蹴散らすと言っても、こんなアディナがやる事などたかが知れている。ルカの名前を呼んで微笑めば、大抵の女性は散っていく。よほど自分に自信のある者でない限り、アディナの美しさに圧倒されて終わりだ。


「いざ尋常に勝負!」

「何やっているんですか。こんな所で」

「あら、ルカ」


 振り向けばルカがいた。

 何だか背中に異様な寒気を感じ、辺りを見回したところ、ひときわ綺麗な黄金の髪が目に留まったのだ。アディナもアディナだが、ルカも大概である。


「女の子達はいいの?」

「…?ああ、道を聞かれただけですよ」

「で、親切に教えてあげていたわけね」

「やたら親切の部分が強調されているような…」

「まあいいわ。待たせてごめんなさい。実はルカにプレゼントがあるの」

「えっ…」


 アディナが差し出すプレゼントを見て、中途半端な表情で固まるルカ。必死に頭を働かせるが、贈り物を貰うような理由がてんで思いつかなかった。


「受け取り拒否は却下よ」

「ややこしくなることを言わないでください。…もしかして爆発したりします?」

「人の厚意に対して失礼すぎるわよ!」

「申し訳ありません!つい本音が…!」

「なおさらどういう意味よ!」

「いえ、ただその…誕生日でも何かの記念日でもありませんし、いただく理由がわからなくて…」

「別に贈りたい時に贈ったって良いじゃない。サプライズなのだし」

「確かに驚きましたが、サプライズプレゼントってそういう…?ともかく、ありがとうございます。受け取らせていただきます」

「ええ、どうぞ。日頃の感謝の気持ちよ」

「まあ俺は感謝されて然るべきですからね」


 その台詞は冗談で言ったのだが、アディナははにかんで同意する。


「そうね。いつもありがとう。あと、そういう不敵さも嫌いじゃないわ」


 ルカは虚をつかれ、ばつが悪そうに頰を掻いた。アディナからの思わぬ贈り物に舞い上がるあまり、素直でないことを口走ってしまった。二十歳越えの男として、ちょっと情けない。


「…開けてもいいですか?」

「もちろん。あそこのベンチに行きましょう」


 広場のベンチに二人で座る。

 涼やかな水音を聞きながら、ルカは丁寧に包装を解いていった。箱の中から現れた懐中時計は一目見ただけでも、とても上質な品だとわかった。豪華さよりも、機能性が重視されたデザインで、アディナも職人から「かなりの衝撃にも耐えられる」という説明を聞いて選んだくらいである。時計が使えなくなってルカが困らないように。そんな彼女の思いが透けて見えるようだ。


「……い、いんですか?本当に。こんな高価なものを…」

「お金なんて野暮なことを気にするものではないわ。さっきの勢いはどうしたのよ」


 公爵令嬢相手に、金銭の話題を持ち出しても仕方がないかとルカは諦めた。それから徐々に深い感激が胸に染み渡り、どこか困ったような笑みを見せる。心なしか顔も少し赤い。常ならば自分の想いを悟られないよう、巧妙に包み隠しているルカも、今回ばかりは喜びを隠せなかった。


「…ありがとうございます、お嬢様。大切にします」

「ふふっ、どういたしまして」


 贈り物を貰ったルカよりも嬉しそうに、アディナは破顔する。


「ところでいつ、サプライズの用意していたんですか?全然気がつきませんでしたよ」

「感付かれないようマーニャと結託して、少しずつ準備していったわ」


 したり顔で説明するアディナ。初めは相槌をうちながら耳を傾けていたルカだったが、話が今日のことに移ると、顔つきを変えた。


「それで仕立て屋の裏口から、」

「……お独りで、出歩かれたんですか?」

「え?いえ、お店の方と一緒に…」


 饒舌に語っていたアディナは、隣に座るルカから発せられる怒気を感じ取り、言葉を失った。今の話の何が、彼の気に障ったのだろう?大きな不安に駆られ、ルカの名前をつっかえながら絞り出し、彼に触れようと手を伸ばす。しかしそれよりも先に、彼女の細い手はルカによってガッと掴まれる。焦げ茶色の瞳に睨まれたアディナは、小さく体を震わせた。


「なんて無茶を…っ!貴女は公爵令嬢なんですよ!万が一のことがあったら、どうするんですか!!」


 いつになく荒々しい声色だった。

 少し遅れて、ルカの言葉の真意を理解したアディナは、見開いていた赤眼をわずかに緩める。


(……心配させてしまったのね)


 アディナだって、貴族の娘が護衛も付けずに歩き回る危険性は、百も承知である。しかしながら、貴族街は治安が良いし、警備に当たっている騎士がそこら中を巡回している。だから、ほんの短い時間くらいなら大丈夫だと思ったのだ。

 ルカがクリュシオン家で働くようになった経緯は、ランドルフから教えてもらった。赤ちゃんだったアディナは一つも覚えていないが、自分が誘拐されたことも聞いている。ルカが当時を思い出して、心配するのも無理はない。


「ルカ」


 アディナは労わるような声で、ルカの名前を紡いだ。それから、彼がはめている手袋の上に、掴まれていない方の手を重ねる。


「ごめんなさい。わたしが迂闊だったわね。もうしないわ」


 ルカを喜ばせたかったとは言え、その彼をこんなに心配させては本末転倒もいいところだ。

 赤薔薇の瞳に覗き込まれると、ルカはハッと我に返り、すぐさま手を離した。そして気まずそうに視線を落とす。


「…俺の方こそすみません。せっかくお嬢様が気を遣ってくださったのに、声を荒げて…」

「謝らないで、ルカ。わたしの配慮が足りなかったのよ。あなたは悪くないわ」

「すみません…お嬢様がまた誘拐でもされたらと思うと……」


 ルカの言葉が途切れた。言うつもりではなかったのに、つい口が滑ってしまった。


『お嬢様がまた誘拐でもされたらと思うと、俺は生きた心地がしません。貴女無しでは、きっと生きていけない』


 そんな告白をしてしまえば、今までの全てが崩れ去るだろう。ルカはすんでのところで、台詞を飲み込んだのだった。


「思うと、なに?」

「……俺は職を失うことになります」

「あら、大丈夫よ。ルカは色んな方面で器用だもの。就職先くらいすぐ見つかるわ。でも辞めたくなったって、わたしがいる限り解雇は無いわよ」


 ころころ笑うアディナだが、それはルカも望むところである。


(貴女がクライヴ殿下と結婚するその時まで、俺は誠心誠意お仕えします)


 これが今のルカにできる、精一杯の愛し方なのだ。


「それじゃあ、買い物再開よ!マーニャとフローラのお土産を買いに行くわ!」

「仰せのままに」


 願わくば一分一秒でも長く、この人の傍にいられますようにと、見えぬ神に祈るのだった。

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