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 入学記念パーティーのあった週末。


「という訳で、料理をするわ」


 なんの前触れも無く現れたお嬢様に、厨房の料理人達は目を点にした。という訳もへったくれもない。


「教えてくださる?」

「え?は、はい?え!?」

「家庭的な女性って思われる料理が理想ね」

「!?!?」


 理解が追い付かない料理人達を置いてけぼりにして、アディナはまな板の前に立った。エプロンを持参し、腕まくりまでして、気合十分の様子だ。


「えぇと…我々の料理にご不満が…?」

「いいえ?いつも美味しい料理をありがとう」

「光栄です……ではなくて、いったいどうなさったのですか?」

「ルカに料理を作ってあげたいのよ」

「は、はあ…」


 生憎と料理人達は、アディナとルカの関係をよく知らない。感謝の証として作りたいのかと、無理矢理納得するしかなかった。


「わたしが黒い塊を生成しないよう、ご指導ご鞭撻をお願いしますわ」


 そう、にこりと微笑まれてしまえば、もはや逆らうことはできなかった。前代未聞の珍事に動揺しながら、料理長が進み出てアディナに料理を教えてくれた。お嬢様に刃物は使わせられないと、そこだけは譲らず、アディナはパン作りとスープの味付け役を担う運びとなった。


「パン生地をこねるのって、楽しいけれど一苦労ね」

「お上手ですよ、お嬢様」

「でもやっぱり専門の方には到底及ばないわ」

「いやいや、愛情が最高の隠し味ですから」

「あなた良いこと言うわね!」

「お嬢様、野菜が切り終わりました。味付けをお願いします」


 気さくなアディナは、すっかり厨房の空気に馴染んでしまった。ドレスの上からエプロンをかぶった、おかしな格好をしているのに、小麦粉を頰に付けている笑顔がとても眩しい。


「…?なんだか、一味足りない気がするわ」

「さすがお嬢様。仕上げにこの香辛料を振りかけると、風味がだいぶ変わるんですよ」


 舌が立派に肥えているアディナは、一丁前に味付けに敏感だった。

 こうして、沢山の助けを借りながら、ふっくらパンと野菜たっぷりスープは完成した。クライヴも驚きの仕上がりである。

 ちなみにこの月、料理人に配られた給金は、先月よりも少し上乗せされていたらしい。


「ルカ!ルカ!」

「お嬢様!?」

「ちょっと失礼するわよ」

「失礼してから言わないでください」


 両手が塞がっていたアディナは、使用人部屋の扉を蹴破った。本来なら入浴している時刻なのに、エプロンをつけてやって来たアディナを見て、ルカはびっくり仰天した。ルカの休息を邪魔することはしない彼女にしては、珍しい行動だった。公爵令嬢が意味不明な行動に出る事に関しての驚きはない。それはいつものことである。


「何か火急の用事ですか?」

「そうよ。温かいうちに食べてほしくて」

「はい?」

「夜食よ。わたしが作ったの」


 ルカは差し出されたトレーを見下ろして、十秒は固まった。


「…………………お嬢様が?」


 やっとの思いで絞り出された言葉。しかしアディナは「おいおい食べられるのか」的なニュアンスに受け取ったようで、ムッと唇を尖らせた。


「味は料理長のお墨付きよ」

「……なんで、また…」

「これでわたしも、家庭的な普通の女性の仲間入りね」


 なんだかやけに"普通の"を強調していたように聞こえたが、衝撃が抜けきらないルカは、ツッコむタイミングを逸した。


「感想はいいわよ。美味しいに決まってるから」


 得意げに胸を張るアディナだが、半分以上は手伝ってくれた料理人達の功績である。まあだからこそ自慢できると言えばそうなのだが。


「休んでいるのに悪かったわね。それじゃあまた明日。お休みなさい、ルカ」

「…お休みなさいませ」


 嵐のように来ては去っていったアディナ。

 ところがルカは嵐が過ぎ去った後も、しばらくトレーを手にしたまま棒立ちになっていた。呆然とする彼の手元からは、ほかほかと美味しそうな湯気が出続けている。


「……なん…なんだ…本当に、あの方は…」


 掠れた声が、静かになった部屋に落ちる。

 せっかくの夜食をこぼさないよう、ルカはトレーをテーブルに置いた後、ため息混じりにベッドに腰を下ろした。焦げ茶色の髪をぐしゃりと握りしめるが、胸の疼きは治らない。こういう時、嫌でも思い知らされる。自分がどれだけアディナを好きなのかを…




 ───アディナとの出会いは、ルカがうんと幼かった頃。赤ちゃんだったアディナの、誘拐事件がきっかけだった。


 ルカの実家、エアトライ準男爵家は騎士を多く輩出してきた家系で、彼の父親も騎士であった。

 あの日は父親が非番で、街に遊びに連れて行ってもらったのだ。好きな玩具を買ってやると言われた子供のルカは、父に手を引かれながらうきうきと店を巡っていた。そんな時、緊急事態を知らせる警笛が街中に鳴り響いたのだった。


『…なに?なにがあったの?おとうさん』

『わからん。父さんのそばを離れるなよ』


 幼くても徐々に空気が張り詰めていくのを感じ取っており、ルカは父親にしがみつきながら震えていた。剣こそ持っていなかったが、父の鍛えられた腕がとても心強かったのを覚えている。

 しばらくして、誘拐犯が逃走しているとの情報がルカ達の耳にも入ってきた。しかも誘拐されたのは、公爵家の令嬢だという。


『…まずいことになったな』

『おとうさん…?』

『ルカ。父さんは行かなくてはならない。お前はさっきの店で待っていなさい。いいな?』


 ルカが渋々頷いたのを確認した後、父は忙しなく動く騎士団の中に紛れていった。心細いが、ルカとて父親の仕事を誇らしく感じている。父の力が必要なのだと思えば、少しくらい我慢できそうな気がした。


 しかしながら、子供の辛抱など得てして長続きしないものだ。待つのに飽きてしまうと恐怖心も薄れ始め、ルカは言い付けを忘れてふらふらと歩き回りだした。

 そして何をどう進んだのか、いつしか街の喧騒から外れて、ひと気のない場所にまで彷徨い出てしまったのだった。有り体に言えば立派な迷子になっていたのだが、不幸中の幸いか、ルカにその自覚はなかった。


(……?あかちゃんが、ないてる)


 冒険気分で歩いていたら、どこからかくぐもった泣き声が聴こえてきた。ルカは耳をすませて、導かれるように声の出所を辿っていく。

 物陰に隠れるルカが見たのは、大人の男達が苛立ちながら揉めている光景だった。泣き声だけは依然として聴こえてくるが、大人の背が邪魔で、声の主の姿ははっきり見えなかった。


『はやく静かにさせろ!』

『泣き止まねぇんだよ!』

『騎士どもに感付かれるだろうが!』

『だったらてめえがやれよ!』


 早口すぎて男達が何を喋っているのかさっぱりだったが、赤ちゃんが乱暴に扱われているのは遠目にもわかった。大人の手で無理やり口を塞がれているみたいで、可哀想だと思った。


(お、おとうさんに、おしえなきゃ…)


 もしかしたら、その赤ちゃんが誘拐された公爵家の令嬢で、男達は騎士団が追っている誘拐犯かもしれない…なんて考えは浮かばなかった。当時のルカの頭にあったのは、父なら何とかしてくれるという、願望にも似た思いだけだ。

 ところが不運にも、ルカの震える足はそばにあった木箱にぶつかり、派手な物音を立ててしまった。ルカは必死に悲鳴を飲み込んだが遅かった。


『誰だ!!』


 男の怒号が飛んだ瞬間、ルカの体はたちどころに強張り、動かなくなる。父の名を叫びたかったのに、怖さのあまり心の声でさえ出てこなかった。


『…なんだガキかよ』

『どうする?痛めつけて気絶させるか?』

『いや待て。おい、坊主。お前、弟か妹はいるか?』


 ルカは咄嗟に頷いていた。

 末っ子のルカに、下の兄弟なんていやしないが、自分の本能に従ったのだ。正直なところ、何を言われたのか半分も理解できていなかった。


『そうか。なら、あの小屋の中で赤ん坊と遊んでろ』


 再び黙って頷くと、男から泣いている赤ちゃんを手渡された。

 小さな赤ちゃんだったが、ルカの腕にはずしりと重みがのしかかった。落とすまいと踏ん張り、精一杯の力で抱き上げる。ルカはよろめきながらも指示に従うべく歩き出した。

 誘拐犯達としては、煩い赤ちゃんをルカに押し付けている間に、今後の逃走手段を確保するつもりだったのだろう。ルカの命運は、誘拐犯達の気まぐれにかかっていたのだ。

 赤ちゃんで手一杯なルカは、自分がいかに危うい状況に立たされているかを知らずに済んだ。さらに有り難いことに、赤ちゃんはルカに抱っこされると、泣くのを止めてくれた。あやし方など知らないルカは、ことなきを得たのだった。


 小屋の中は埃っぽく、入ってすぐに咳き込みそうになった。そろそろ腕が痺れてきたルカは、我慢できずに塵まみれの床に座り込んだ。でも、こんな汚い場所に赤ちゃんを転がしておくのは躊躇われて、自分の足の上に置くことにした。


(……どうなっちゃうんだろう…)


 小屋の隅で縮こまるルカとは逆に、泣いた跡のある赤ちゃんは呑気に抱えられている。さっきまでえんえん泣いていたのが嘘みたいだ。

 手持ち無沙汰なルカは、ふくふくとした頰を突っついてみた。すると、赤ちゃんはきゃっきゃっと無邪気に笑った。可愛らしい笑顔を見ていると、こんな状況でも少しだけホッとできた。何の根拠も無い安心感だが、赤ちゃんの綺麗な真紅の瞳が、ルカの気持ちを落ち着かせたのは紛れもない事実だった。


 赤ちゃんの体温に触れていたら、次第に猛烈な眠気がやって来て、ルカは抗えずに目を閉じた。

 そして目が覚めた時には、事件は終わっていた。誘拐犯達は駆けつけた父と騎士団に呆気なく捕縛され、眠りこけていたルカと赤ちゃんも無事に保護された。

 言い付けを破ったルカは、しこたま叱られるかと思いきや…

 赤ちゃんがルカと引き離された途端、火がついたように泣き出すせいで、一つもまともな会話ができなかった。キーンと耳鳴りのするほどの声量に、そんな力が小さな体のどこにあるのかと、ルカは不思議に思った。このままでは二進も三進もいかないので、お叱りは後回しとなり、赤ちゃんはルカの腕の中に戻されたのだった。

 勿論、後からちゃんと拳骨は食らった。


『ルカ君、だったかな。悪いんだけど、一緒に来てくれるかい?』


 たくさん装飾品がついた鎧を着る騎士にそう請われ、ルカは首を縦に振る。この人は当時の騎士団長だったのだが、そんな偉い人だとは知らず、ルカの父親だけが恐縮している様子であった。


 父親と一緒に豪華な馬車に乗せられ、これまた豪華な屋敷にやってきたルカは、ぽかんと口を開けていた。


『アディナ!!』


 屋敷から飛び出してきたのは、今よりも少し若いランドルフだった。一心不乱に駆け寄り、ルカから愛娘を受け取る。今度ばかりはアディナも泣き出さなかった。


『ああ…良かった…無事で良かった…っ! 』


 公爵を前にして頭を垂れる父親の隣で、やはりきょとんとするルカ。娘との再会を喜んだランドルフは、次いでルカに目を遣った。目線を合わせるために膝を折ると、くりくりとした焦げ茶色の瞳を見て微笑む。


『アディナを助けてくれてありがとう』

『あー、うー』


 礼を述べる父親の腕の中から、アディナが小ちゃな手を懸命に伸ばしていた。むずむずする気持ちを感じながらルカが触れると、アディナはその手をきゅっと握り、ふにゃりと笑ったのだった。


『ははっ、どうやらアディナは君が気に入ったらしい。君さえ良ければ、また会いに来ておくれ。今日のお礼もしたい』

『恐れ多いことでございます』


 アディナに夢中なルカに代わり、彼の父親が言葉を返した。

 だが、約束はすぐに果たされることとなる。

 というもの、この日を境にアディナの夜泣きが悪化したのだ。誰があやしても効果は無く、目の下に隈を作ったランドルフの指示により、ルカは再び公爵家に呼ばれた。どういう訳かルカが傍にいるとアディナは大人しくなるので、そのまま寝泊まりしてほしいとお願いされ、ルカはしばらく公爵家に滞在したのだった。

 これがアディナとルカ、二人の関係の始まりである───




 現在では、ルカが傍にいると大人しくなるどころか暴走するアディナだが、そんな彼女がルカはどうしようもなく好きなのだ。


『りゅか……る、か…ルカ!』


 懸命にルカの名を呼び、ちょこちょことついて来てくれる女の子が、可愛くないはずがない。アディナが大切な妹のような、宝物の存在となるのに、大して時間はかからなかった。アディナと少しでも長く一緒にいたくて、ルカは彼女の執事になることを選んだ…と、そこまでは良かった。

 問題は、日に日に成長していくアディナが、異性としてルカを強く惹きつけるまでになってしまった事だ。何かの間違いだと必死に言い聞かせ、感情に蓋をしようとした時期もあったが、駄目だった。辞職も考えたものの、どうあってもアディナと離れることができなかった。


(…お嬢様の隣にいるべきなのは、俺じゃない)


 誰よりも美しく気高い彼女に、凡夫な自分は釣り合わない。彼女にはクライヴのような男が相応しい。そんな当たり前の事はわかりきっているのに、クライヴに触れられるアディナを見るたび、ルカは嫉妬で気が狂いそうになる。それでも彼女の幸せを願いたいが為に、自分の想いをひたすら押し殺しているのだ。


「からかうのは、やめてくれ…」


 空になったスープ皿を見て、ルカは苦しげに呟く。彼はアディナの珍妙なアプローチを、ふざけてやっているのだと信じ込んでいる。やり方はあんなだがアディナは本気だ。しかしルカは、アディナが自分を好きでいてくれるなんて、露にも思っていなかった。

 想い合っているはずの二人は、こうしてすれ違いを正せないままでいるのだ。

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