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秘めていた野心の数々が暴かれたにしては、モーロスの処罰は軟禁という甘いものだった。その理由は、法に触れる行いは多々あれど人を殺めてはいなかった事、あとはリチャード側のやり方がやや難ありだった事を考慮してである。軟禁といっても豪華な屋敷は没収され、倉庫と見紛うような家で監視されながら暮らすのだ。王弟として豪遊してきた男には厳しい生活だろう。
…というような報告をアディナが聞いている最中、まったく別の一報が舞い込んだ。否、部屋に雪崩れ込んできたと表現するのが正しい。決着の報せを受けたオーウェンとエミリーが、居ても立っても居られず、その身一つでソルジェンテ国を飛び出してきたのだ。
「兄上っ!!」
「アディナ様っ!!」
派手な音にも大して驚かず、アディナは擦り傷すら無い夫婦を一瞥した。それから、ふっと目付きを柔らかくし、二人を送り出した功労者に、心の中でありがとうと呼びかけるのだった。つっけんどんな後輩は、とことん良い仕事をする。
「わたしよりもリチャード王子の身を案じなさ……ちょっと!いきなり何なのよ!」
自分の義理の兄にあたり、かつ、イゾレ国の王子を差し置いて他の名を第一声にしたエミリーに対し、アディナは物申そうとした。ところが小柄な後輩が雪崩れ込んだ勢いのまま抱き着いてきたために、別のことで叱らねばならなかった。
「王子の御前に立ったらまず挨拶でしょう!そんな常識も頭から抜け落ちたのかしら?」
「常識は頭に入っているのですが、体が言うことをきかなくて!」
「病院に叩き込んで欲しいなら、素直にそう仰い!ルカが良い頭の病院を知っているわ!」
「えっ!?俺が叩き込むんですか?」
「私は気にしていないよ」
リチャードは義妹の心の内を慮りフォローに回ったのだが、アディナには効果が無く、引っ付き虫をべりっと剥がしてしまう。
丁寧な挨拶をし直すエミリーはしおしおとしており、リチャードは何だか罪悪感を覚えるのだった。
アディナと離れている時は沈着としていたのに、絶大な信頼を寄せる先輩に再会するとすぐ、涙もろいエミリーに早変わりである。張り詰めていた緊張が解けたのも一因かもしれない。
「次、許可なく抱き着いてきたら、ルカの吹き矢をお見舞いするわよ」
「また俺!?女性にそれはちょっと…」
「一応皇族のオレにも、ちったあ遠慮しろよ」
最後まで信用してもらえなかったカレブは不服そうだ。それで態度を改めない彼にも問題はある。
「ありっ、ありがとうございました…っ!私達のために…」
「わたしの本棚が充実したのは、エミリーさんのおかげだもの。そのお礼だと思ってくれて構わないわ」
「これっぽっちも釣り合ってませんんんっ」
「まったく…少しは嬉し涙を我慢することも覚えなさい」
口では突っぱねるような事を言いながら、手のかかる後輩の涙を拭いてやる手付きはとても優しかった。やはりアディナは姉気質なのだろう。そんなだから、エミリーもつい甘えが出てしまうに違いない。
華やかな令嬢達の横では、これまた見目麗しい兄弟が語り合っていた。
「倒れたと聞いた時は、心臓が止まるかと思いました。お元気そうで良かった」
「お前も息災で何よりだ。せっかく王家のしがらみから自由になれたのに、私の力不足の所為ですまないな」
「何の力にもなれなかったのは僕です。申し訳ありません」
「悄気ている場合ではないぞ。お前の力はこれから必要になるんだ」
俯く弟の肩を叩き、リチャードは語気を強めて諭す。
「お前が次期国王として何ら不足の無いことは、兄である私がよく知っている。だが王家から籍を抜かれた者が舞い戻るのは、逃げ続けるよりも過酷な事だ。その上で、お前は自分の身と家族を守らなければならない」
「はい。それは重々承知で戻って参りました」
「とりわけエミリーには、本来なら無かったはずの苦しみがのしかかるだろう」
自分の名前が出たことで、エミリーはぴくっと肩を揺らした。涙で濡れた顔は、ひどく頼りなげに見える。
オーウェンが第二王子の座に復帰し、王位継承権を継いだとすると、同然のごとく反発する者が出てくる。そして、どうにかして粗探ししようとするだろう。最大の粗がエミリーだと指摘されるのは、時間の問題だった。
異国の者であり、しかも成り上がりの貴族。思いやりがあるというだけで王妃になれるなら、国民の大半が王妃だ。もしかしたら生涯、後ろ指をさされながら生きていくことになるかもしれない。
「でしたら、非難されないだけの価値を付加すれば良いのですわ」
重苦しい空気が立ち込めた時、アディナのよく通る声が淀みを一刀両断する。隣では、ルカが穏やかな微笑をたたえながら肩をすくめていた。
「煩い人間を黙らせるのに最も有効なもの…それは即ち権力です」
堂々と悪役じみた台詞を吐くアディナは、まさに敵無しといった面構えだ。
「つまり、エミリーさんにひれ伏したくなるような後ろ盾があれば良い…例えば、ガーバ国やソルジェンテ国の次代を担う方々と、強い繋がりがある、とかいかがです?」
「…なるほど。ガーバ国のカレブ皇子と親交があり、ソルジェンテ国のクライヴ王子とも顔見知りであるというのは、かなり美味しい立場だ」
リチャード王子は得心がいったとばかりの相槌を打つ。それに乗じたのはカレブだ。
「アディナと仲が良いってものデカイな。あちらさんに太いパイプができんのは、イゾレとしても有難い話だぜ」
「で、ですが…表向きのアディナ様と私は、恋敵の立ち位置だったはずでは…?」
「そんなもの、わたしが幾らでも情報操作してやるわよ」
「俺はいつアディナ様が牢屋に入れられるか、気が気じゃありませんよ…」
「とにかく、勝負の場はオーウェン様の復位式ですわ。そこでガツンと一発、エミリーさんの権力を誇示するのです。わかったら、いつまでもべそべそしてないで、威厳を醸し出す練習でもしてなさい!」
「は、はいっ!」
額を小突かれたエミリーは、すぐさま姿勢を正した。
「いいこと?あなたの顔面なら、可愛く微笑んでおけばだいたい大丈夫だから」
「大雑把すぎません?」
「罵詈雑言が飛んできたら、横に権力者を立たせてから『言えるものなら、もう一度どうぞ』って、にっこり言い返すのよ」
「何を伝授してるんですか!?」
「はい!わかりました!」
「エミリー様も真に受けちゃ駄目だとあれほど!」
そんなに心配すること無いんじゃね?と呟いたカレブに、兄弟二人も苦笑いしか出てこなかった。
王位を巡る事件は終わりを迎えたかのように見えたが、それは大きな間違いであった───
オーウェンの復位式と同時に、リチャードは王位継承権の破棄を宣言する。
彼らの意思、ひいては王家の決定を広く知らせる為、式典には各国の代表が集まっていた。また、王城前の庭園が一般開放され、国民も式典を見届けられる計らいがなされている。
「ソルジェンテ国に戻ったら、改めてお礼に伺うわ、パトリシアさん」
水の国からはクライヴが、そして彼の同伴者としてパトリシアもイゾレ国へやって来ていた。
「一つ貸しですわよ、と申したいところですが今回はサービスして差し上げます。お…お友達もできましたし…これを機に殿下と、その…」
「まあ!共同戦線を張ることになったのね!良かったじゃない。あとは『共謀者』から『婚約者』に昇格するだけね!」
「だから殿下の前で、赤裸々に語らないでくださいまし!!」
「皆まで言わなくて大丈夫よ。『つっけんどん娘』の魅力を、殿下にわからせて差し上げるのでしょう?わたしの得意分野よ、任せてちょうだい」
「謹まずにお断りいたします!!」
「あら、殿下はありのままを好きになりたい方なのよ?」
「そ、そうなんですの?」
「勝手に私の好みを開拓しないでくれ」
「ちなみに意外と甘党でいらっしゃるから、手始めに胃袋を掴むことをお勧めするわ」
「やめないか、アディナ」
やがてアディナは、おもむろに右手を差し出して握手を求めた。パトリシアが怪訝そうにしながらもその手をとると、アディナはぐっと力を込めて握り返す。
「殿下のことを、よろしくお願いするわね。パトリシアさんなら安心だわ」
わたしの大切な友をあなたに託す、そう言われたパトリシアは、込み上げてくるものを感じて唇を引き結んだ。それから、厳かな声で誓うのだった。
「……アディナ様の後釜に恥じぬ『共謀者』になってみせますわ。その上で、ゆくゆくは殿下の『婚約者』として選んでいただけるよう、自分を磨いてまいります」
「過度に期待してるわ」
「…普通にしていてください」
アディナは言葉通り、もう一人の後輩に期待をかけている。なにしろパトリシアがソルジェンテ国の王妃になれば、エミリーの後ろ盾はより強大なものとなる。それはパトリシアにも同じことが言えるので、相互に利益がある婚姻なのだ。
最も重要な点として、数少ない友人のクライヴに、良い人が見つかったのだから、祝福せずにはいられない。
「それじゃあ式典の後で、またゆっくりお話しましょう」
クライヴとパトリシアに挨拶を済ませ…というより引っ掻き回しただけのアディナは、意気揚々とルカのもとへと行くのだった。
ほどなくして始まった復位式。
当たり前だが、破茶滅茶な令嬢はなりを潜め、アディナはいち貴人として来賓席におさまっていた。さすがはルカが『職人』と称するだけの、切り替えの速さだ。
オーウェンの復位が国王によって宣誓された後、未来の王妃が紹介にあずかる。多少、緊張で強張っているものの、エミリーは教え通りに微笑んで、両陛下からの祝福を受けていた。
盛大な拍手が起こったタイミングで、アディナは来賓席にいる友人達に目で合図を送る。すると先陣を切るようにクライヴが立ち上がり「私どもも、次代の王と妃に斎言を贈りたいのですが、宜しいでしょうか」と許しを求めた。
両陛下から快諾が得られると、クライヴとパトリシア、続いてカレブが、オーウェン達に近付き祝いの言葉を伝えた。大国の代表が自ら進み出ていく姿は、人々に強い印象を植え付けていた。アディナの目論見通りである。
最後に立ったのはアディナとルカだった。
「オーウェン王子、エミリー様。本日は誠におめでとうございます」
そう凛とした声で告げるやいなやアディナは跪き、イゾレ流の最敬礼をした。彼女に倣い、ルカも膝を折る。びっくり仰天したエミリーは、目を真ん丸にして口元を手で覆った。そうしなければ、情けない声が出てしまっていたに違いない。
アディナは跪くことによって、エミリーを正統な次期王妃と認め、心からの祝福を表したのだ。言わばこれが"情報操作"である。
水の国の筆頭貴族に跪かせるほどの権威がエミリーにはあると、周囲に認知させるには打って付けの演出だった。
恐れ多くなってきたエミリーが、慌ててアディナを立ち上がらせた際、遠くの人には聞こえない声量で囁かれた。
「花嫁衣装が着れて良かったわね。とても似合っているわよ」
「アディナ様…っ」
エミリー達はアディナを立会人にして、誓いだけは立てていったが、逆を言えばそれしかできなかった。挙式もままならず、指輪もドレスも無かった。女の子ならば純白の花嫁衣装に憧れを持つものだ。それ故にアディナは「良かった」と言ったのである。
感極まった様子のエミリーを残し、背を向けようとした直後───
「危ないっ!!!」
そう叫んだのは誰だったのか、わからない。一人ではなく、何人も同時に叫んだのかもしれない。
辛うじてアディナにわかったのは、ルカが覆いかぶさるようにして抱き締めてきたこと。
彼の背中の向こうで、鈍い光が一閃したこと。
僅かに遅れて、アディナのものではない血飛沫が舞ったことであった。




