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モーロス捕縛の作戦は、数日がかりに及ぶ緻密なものだった。生憎と、そう思っているのは発案者だけである。
まだ計画段階だった十日ほど前、アディナは泥沼ハーレムの恋愛小説を片手に力説していた。
『わたしはこの物語に登場する女性の一人、つまりハーレムの一員に注目しましたわ』
リチャードとカレブは、絶好調のアディナにまだついていけず、口がきけない状態だった。なので二人に代わってルカが、会話の進行を務めた。
『それはどういった人物なんですか』
『言うなれば「重たい物騒娘」ね』
『おもたいぶっそうむすめ』
ルカは単語をそのままおうむ返ししたは良いが、さっぱり意味がわからず、さほどわかりたいとも思わなかった。正直なところ、そろそろ耳を塞ぎたかった。
『かいつまんで説明すると、相手を愛しすぎて犯罪行為に走ってしまう女性ね。「私だけを愛してくれないなら、貴方を殺して私も死んでやる!」って、刃物を振り回すような』
『抜粋しなくていいです』
『「これで貴方は私のものよ…うふふ…あははっ!」』
『臨場感も出さなくていいです』
『……それが、今回の作戦にどう関わってくるんだい?』
辛うじて発言できるまで回復したリチャードが、質問を繰り出した。
『わたしがこの「重たい物騒娘」になります』
それだけでは、まったくもってちんぷんかんぷんであった。一国の王子を絶句させるなど、なかなかできる事じゃない。褒められた事でもないが。
『まず、モーロス様に適当な証拠を突き付けます。すぐに嘘だと露見するようなもので構いません』
然すれば、モーロスは逆にアディナを追い詰めようとしてくるだろう。だがそのためには、こちらが責められる糸口が必要となる。
『勝利を確信した時、油断が生まれる…それが人間の性ですわ。ですから攻撃したくなるような餌を撒いておくのです』
『餌?』
『はい。カレブ様、わたしと浮気するフリをしてください。それをモーロス様に目撃させます』
『アディナ様!?』
『おっ、役得』
とても容認できない事案に、ルカは目を剥いた。
『ごめんなさいルカ!わたしも逆の立場だったら、きっと滅茶苦茶にやきもきするわ。でもこれは必要悪なのよ…許してとは言わない。その代わりにわたしも一度だけ、あなたが浮気することを泣く泣く許すわ』
『許可しなくていいですよ!そんなもの、一生要りません!』
『あれ?オレ、貶されてねぇか?』
『ことわっておきますが、カレブ様。わたしが許すのはあくまでフリだけです。ルカ以外の殿方に触れられると虫唾が走るので、寸止めでお願い致します』
『完全に貶されてんな。つーか、酷くね?』
『あとルカはこれを持っていて』
『…?なんですかこれ』
手渡された細い筒をしげしげと眺めて、ルカは首を傾げる。するとアディナは事も無げに、吹き矢だと答えた。
『吹き矢!?』
男三人のツッコミが炸裂する。
『いい?ルカ。この吹き矢には痺れ薬が仕込んであるから、カレブ様が「おっと手が滑った〜」なんて言い出した瞬間に吹いて、動きを止めるのよ。好色を降って湧かせる訳にはいかないもの』
『仰ってる意味が半分もわかりません!』
何だか目眩と頭痛がしてきたリチャードは、ひとまず作戦の全容を聞くことが先決だと、思考を切り替えた。病床の身に、アディナの暴走はキツいものがある。
『…吹き矢はカレブが調子に乗らないための措置だとして。叔父上に浮気現場を目撃させた次は?』
『わたしより優位に立ったと思わせてから、満を持して「重たい物騒娘」の登場ですわ!』
『な、なるべく手短かに頼む…』
『追い詰められたわたしは、錯乱してモーロス様に襲いかかります。と見せかけて…』
ちなみに、決行時にアディナが手にしていたのは銀のスプーンである。柄の方をモーロスに向ければ、まあ凶器に見えなくもないかもしれないが、冷静な対応をされたらバレバレである。そこはアディナの演技力が試された訳だが、結果はご覧の通り。切迫した雰囲気を見事に作り出してみせた。
『王族の方々は姫君でも帯刀していらっしゃいますから、反撃しようとしてきたらその剣でこう、ぶすりと刺してもらうのです。そこへ駆けつけた騎士達に「モーロス様にやられた」と証言すれば冤罪成立ですわ』
腹のあたりを指差して、アディナが軽い調子で言った瞬間に、ルカが「却下です!!」とひときわ鋭い声を出した。
『百億歩譲って浮気のフリは見過ごせても、アディナ様が傷付くような作戦は絶対に、断固として反対します!』
『桁が多すぎるわよ、ルカ。わたしだって自分のお腹に穴は開けたくないわ。だから皮袋に動物の血を入れて、お腹に巻いておくの。それをちょんと突いて、刺された感を出すのよ』
『…上手くいきますかね』
『練習あるのみね』
『お腹から血を流す練習なんて前代未聞ですよ』
『何にでも初めてはあるわ。心配してくれてありがとう』
『いえ…』
アディナがはにかむと、ルカはきまりが悪そうに頭を掻いた。急に甘ったるい空気を醸し出し始めた夫婦に向けて、リチャードは咳払いを一つする。
『ごほん…かなり無茶苦茶な作戦だが、成功すれば確実に叔父上を捕縛できる』
『なんつっても、イゾレ国で名が売れてるアディナを刺しちまうんだもんなぁ。雑な演技だけど』
『冤罪かどうかを見極められる前に、今までの悪事を暴く…か。時間との勝負になりそうだ』
『ええ。わたしに出来るのは、冤罪をでっち上げるところまでですわ』
『わかった。その後のことは私が引き継ごう。アディナ嬢は派手に暴れてくれ』
『仰せのままに』
このようにして『冤罪なすり付け大作戦』は始動した。
ルカが吹き矢を構える中、アディナとカレブは、いかにやらしい雰囲気を出せるかを模索し。そうかと思えば夜な夜な、殺される練習に明け暮れる傍らで、ルカは小説の台詞を暗記させられ。加えてアディナの強い希望により、演技中は登場人物よろしく「様」付けを禁止されたルカは憔悴しきっていた。
そうして、ルカの疲労がピークに達した頃、作戦は実行されたのだった。
何度も何度も検証を重ねた成果もあり、アディナの体には傷一つ無いまま、冤罪は無事モーロスになすり付けられた。その機を逃さず、リチャードは叔父の屋敷を徹底的に捜査させ、積年の悪事の証拠を押さえた。後に彼は爽やかな笑顔で「叩けば叩くほど埃が出てきて、いっそ愉快なくらいだったよ」と語り、ルカの背筋を凍りつかせたという。何にせよ、犯人以上に踏んだり蹴ったりである。
こうして漸く、イゾレ国にも平穏が戻ってくる。
「一件落着ですわね。それにしても、わたしはこの国で役者稼業しかしていない気がしますわ」
「率直に申し上げて、どうかしてますよ」
他国の王城で何をやっているのやら。
ほとほと疲れ果てたルカは、それでもアディナのために美味しい紅茶を淹れていた。
「勝利の美酒ならぬ、勝利の美紅茶ね」
「語呂がいまいちですね」
同じく紅茶を飲んでいたリチャードも、ルカの腕前を賞賛していたが、カレブだけは少々違った。
「確かに美味いけど、オレは惚れた女が苦心しながら淹れた、ちょっぴり不味い茶のが好みだな」
「同意してしまう自分がいるのが憎い…」
「まあ!ルカはちょっぴり不味いお茶が好みなのね!それならわたしにも淹れられそうだわ」
「一番重要なポイントはそこじゃありません!」
事件が終わっても相変わらずな夫婦に、リチャードはくすりと小さな笑いをこぼした。順調に快方に向かう彼の顔色はすこぶる良い。
「アディナ嬢、それにルカ殿。二人の協力があったからこそ、叔父上を断罪できた。本当に感謝している」
「そんな、恐れ多いですよ。作戦を立案したのはアディナ様ですし、俺は大した働きはしていません」
「謙遜すんな。夫婦は二人で一つだろうが」
「女誑しの割に、仰る事は素晴らしいですわね」
「オレが傷つかねぇと思ったら大間違いだぞ」
「カレブの言う通りだ。ルカ殿がいなければ、私の精神的疲労は計り知れなかっただろう」
「ものすごく納得いたしました」
冗談めかしているが、リチャードにはわかっていた。アディナの暴走は制御不能でも、それを受け止め、隣に居続ける根性…もとい広大な愛を持つルカの存在があればこそ、彼女は強靭でいられる。恋愛小説だけでは足りない。そこにルカが絡まなければ、アディナの真価は存分に発揮されないのだ。
「…しかし全部終わってみれば、とんだお笑い種だな」
「百年後あたりに喜劇として描かれそうな出来事でしたわね」
「俺は今すぐにでも記憶から抹消したいです。思い返せば返すほど、滑稽でなりません」
「あら、ルカ。それを言うなら茶番よ」
「微塵もフォローになっていませんけど」
「はっはっは!やっぱりお前ら、面白すぎるわ!にしても迫真の演技だったなぁ。オレ、自分の目頭を握り潰してなきゃ、確実に噴き出してたぜ」
「あれは泣き真似じゃなかったんですか…」
スプーンを握りしめて荒れ狂うアディナ。
ひたすら名前を連呼して話を遮るルカ。
そんな二人を笑いたくて震えていたカレブ。
なるほど、滑稽な茶番である。
(こんな巻き返し方があるとは…)
悠々と紅茶を堪能するアディナを横目で眺めながら、ルカは密かに感心していた。いや、降参という言葉の方が適当か。
彼女なら、犠牲者を出さずに事件を解決に導けると信じていたが、思いも寄らないような立ち回りで解決してしまった。破天荒とは、アディナを指すために作られた言葉ではないだろうか。
「ねえ、ルカ」
「はい、アディナ様」
アディナが急にこちらを向いたので、ルカは思いがけなくドキリとするが、返事だけは条件反射のごとく出てくる。
「お疲れさま」
「は……」
しかし、アディナの口から発せられた労いのひと言には、完全に意表を突かれた。
別にそういう言葉をかけられるのが初めてだった訳ではない。彼女は使用人達に対する感謝や労りを忘れない人だからだ。
ただ何というか、今日のひと言には、えも言われぬ感情が込められている気がして、ルカの心をこれでもかと掻き乱してくれた。
何と言っても、アディナの見せる笑顔のずるいこと。温かい飲み物の効能なのか、ただでさえ人形のように整った顔を紅潮させ、艶やかさに拍車をかけている。赤薔薇の瞳がひときわ色鮮やかに映え、ルカは一瞬で目も心も奪われてしまう。
「やっぱりわたし、ルカが居ないとだめね」
アディナは一連の行動を振り返り、そんな分かりきった結論に至ったのだった。彼女は芯の強い令嬢であるが、怖気づいたり弱気になったりすることだってごく稀にある。剣を構えた男に刃向かうことに関して、微小の恐怖心すら抱かないほど無神経ではない。
それでも尻込みせずにいられたのは、死地であっても共に飛び込むと誓ってくれるルカがいたからだ。碌に休む暇も無く奔走するアディナに、文句の一つを言うどころか、優しく笑いかけ、時に叱咤激励してくれた。
「どうしたらルカに、この感謝が伝わるのかしら。ありがとう、なんて五文字では到底足りないわ」
そう告げてから、アディナは困ったように破顔する。それに引き換えルカは言葉もなく、真っ赤になって固まっていた。
二人だけの世界から弾き出された同席者は、他所でやれと思いつつ、自然と笑ってしまっている自分自身に、遅れて気がつくのだった。




