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『冤罪なすり付け大作戦』の概要に移るより先に、アディナは「確認しておきたいのですが」と前置きして口火を切った。
「次期イゾレ国王はオーウェン様という意見で、両陛下並びにリチャード王子は一致しておられるのですか?」
身分を剥奪された者が、元の立場に復帰するのは可能である。だがしかし、それに伴って反対の声が多数あがることは明白だった。せめて家族からだけでも理解を得ていなければ、オーウェンとエミリーは非常な苦境に立たされてしまう。真剣なアディナの眼差しは、その事を危惧していた。
「ああ。その点については父上とも話し合い、オーウェンに王位継承権を譲ることで決着がついている」
執拗に王位を付け狙う野心家より、復位させてでもオーウェンに王権を委ねたいと考えるのが、国王として、また親として当然の心理であろう。
「それでその…『冤罪なすり付け大作戦』とはいったい?」
「モーロスに適当な罪をでっち上げて、家宅捜査に持ち込むって寸法だろ」
「ご名答ですわ、カレブ様」
「何で作戦名だけで通じているんですか…」
要するに、捕縛に至る証拠が掴めないなら、偽りの罪状を作り上げて逃げ道を塞ぐという作戦だ。これは外道と言わざるをえない。がっくりと項垂れるルカから、なけなしの気力を吸い取り、アディナはぐんぐん加速していく。
「リチャード王子が黙認してくだされば、わたし達には怖いもの無しですわ」
「王族を冤罪に加担させるなんて、敵より悪どいんじゃないですか?一歩間違えれば、俺達が罪に問われますよ」
「きっかけは冤罪でも、重罪が見つかれば帳消しよ」
「すごい屁理屈をこねますね。俺、変な汗が噴き出てきました…」
どこにいても、アディナはアディナだった。しかし、振り回されるのに慣れているルカは、立ち直るのも早い。
「で、肝心の冤罪の内容はどうするんです?」
「よく聞いてくれたわね!ルカ」
「あっ、はい…」
本領発揮とばかりに勢いづくアディナが取り出した物を見て、ルカは死んだような半目になる。"コレ"を手にしている時の彼女は、いつにも増して碌でもない事しか仕出かさないと知り尽くしているからだ。
しかし、アディナのぽんこつっぷりを知らないリチャードとカレブは、きょとんとした間抜け面を晒している。
アディナが得意げに掲げていたのはエミリーから贈られた、泥沼ハーレムの恋愛小説であった。
所変わって水の国ソルジェンテでは、マーニャが届け物を受け取っていた。それは差出人不明の古びた木箱だった。ところがマーニャは怪しむ素ぶりも見せずに、てきぱきと蓋を取り外す。中に入っていたのは一冊の本。しかもアディナの好きそうな恋愛小説だ。ぱらぱらと頁をめくっていくと、そこから折り畳まれた手紙が出てきた。
(若奥様の指示通りですね。さすがエミリー様です)
リチャードが狙われた今、次なる標的はおのずと絞られる。国王である彼の父か、亡命中の弟か。
警戒が強化されているイゾレ国内で、間を空けずに犯行が繰り返される可能性は低い。そうなると、モーロスの狙いがオーウェンに向くと考えるのが妥当だ。
虎視眈眈と王座を狙い続ける執念深い男が、亡命程度で諦めるとは思えなかった。きっちり息の根を止めるべく、暗殺者を送るくらい平然と実行するだろう。仮にオーウェンが不審死を遂げても、海を隔てた異国で起きた事件なら、大きく取り沙汰されないと踏んでいるのかもしれない。
そこまで予見していたから、アディナはガーバ国を出てくる時『ソルジェンテに戻って来なさい』と言い残したのだ。エミリーなら、アディナの言葉を忠実に守ると信じての言葉であった。
(連絡手段が恋愛小説とは、何とも言い難いですが…)
ソルジェンテ国に渡ってきた事を報せるため、エミリーは公爵家宛に手紙を出した。しかし馬鹿正直に名前を書いて、万が一、敵に居場所を把握されてしまったら元も子もない。なので、無記名でも差出人が判明する方法を選んだ。アディナ宛に本が届けられるのは、日常茶飯事である。
(とにかく場所はわかりました。あとは指定の場所にお連れするだけですね)
逃れてきたエミリー達を手助けする、それがマーニャがここに残った理由だった。どうすれば訝しがられずに匿えるか、アディナは事前に対策を講じていった。
マーニャは手紙を握りしめると、出掛けるための支度を整え始めた。行き先は貴族街にある、アディナ行き着けの仕立て屋だ。以前、サプライズプレゼント作戦の片棒を担いでくれた、あの店である。
大丈夫かと気遣う言葉をかけるオーウェンに対し、エミリーは微笑みながら頷くことで答えた。
ガーバ国から出て行くことを余儀なくされた挙句、息を殺して貨物船に潜み続けたため、二人は疲弊しきっていた。それでも二人の瞳は、まだ希望を失っていなかった。だって、あのアディナが『必ず守る』と約束してくれたのだから。エミリー達は、ソルジェンテに辿り着きさえすれば大丈夫だという確信を持って、逃げるだけで良かった。
現在二人は、朽ちた家屋というより、倉庫みたいな薄暗い場所で身を寄せ合っている。不意に囁くような女の声が聴こえてきたのは、そんな折だった。
「……超絶音痴なお方の遣いで参りました」
他の人には訳が分からなくても、エミリーには「超絶音痴なお方」が誰を指すのか分かる。たちどころにぱあっと輝いた顔からは、ここまでの不安が跡形も無く消え失せていた。エミリーは勢いよく物陰から飛び出すと、被っていたフードを外して走り寄るのだった。
「マーニャさんっ」
「エミリー様、お久しぶりでございますね。其方はオーウェン様とお見受けいたします。若奥様から事情はすべて伺っておりますゆえ、御安心を。どうぞこちらへ」
マーニャに手引きされ、二人は近くに停まっていた荷馬車に素早く乗り込む。
「手狭ですがお一人ずつ、こちらの荷箱に入っていてください」
用意されていたのは、大人が膝を抱えて入れるくらいの、木製の荷箱だった。言われるがまま箱の中に座ると、マーニャの手によって蓋が閉められた。積荷に紛れて移動する作戦みたいだ。
そうして暫く馬車に揺られ、それが止んだかと思えば浮遊感がやってくる。どうやら人の手で荷台から運び出されたらしい。暗い箱の中に押し込められて、外の様子がわからなくても、不思議と恐怖は感じず、強力な者に守られている安心感だけがあった。
振動が収まり蓋が取り除かれると、突然の眩しさに目が眩んだ。
「ご無事の到着、何よりですわ」
生理的な涙を滲ませるエミリーが見たのは、ツンとすました勝ち気な令嬢───パトリシア・ノートロスだった。
明るさに慣れてきたエミリーの瞳と、吊り目がちの瞳の視線が合わさる。エミリーはぽかんと口を開け、座り込んだままパトリシアを見上げていた。
「ご無沙汰しておりますわね」
「…え……えっ?」
激しい混乱に見舞われるエミリーは助けを乞うかのように、壁際に控えるマーニャを見た。その意味を正確に汲み取ったマーニャは、まずパトリシアの方に体を向けた。
「パトリシア様。僭越ながら、私がご説明させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ。お願いいたしますわ」
「かしこまりました」
了解が得られてから、ようやくマーニャはエミリーに向き直る。
「驚かれたかと思いますが、アディナ様はパトリシア様にお二人のことを託されたのですよ」
エミリーの記憶は、アディナがパトリシアをこてんぱんにした、あのパーティーから塗り替えられていない。だから知らないのだ。二人の関係性が百八十度変化した事を。
───時は遡って、アディナとルカがイゾレ国へ出立する直前。パトリシアは王城に呼び出されていた。
アディナからお茶会をしようと何度か誘われていたが、パトリシアは何かと理由をつけて断ってきた。それしきの事で怒る人ではないとパトリシアにも分かるようになっていたし、何より不吉な予感しかしなかったからだ。
ところが、会場が王城となると嘘の理由で欠席する訳にもいかない。それに、アディナ達が新婚旅行から戻ってすぐのことだったので、文字通りのお茶会ではないことくらい察せられた。いや、今までのお誘いも多分、アディナが意味不明な単語を羅列する、そんな奇妙なお茶会になったに違いないが…
とにかくパトリシアはお茶会用の格好をし、王城へ出向いた。そこで彼女を待っていたのは、アディナとルカ、そしてクライヴであった。
『……これはどういった集まりなのでしょうか』
顔触れは見慣れているが、お茶会にしては不思議な面子である。パトリシアが遠慮がちに疑問を呈すると、いつになく真面目くさった表情のアディナが進み出た。その真剣な赤薔薇の瞳を見て、パトリシアも気を引き締める。
『パトリシアさんに、頼みたいことがあるの』
そう告げるアディナの姿には既視感があった。彼女がルカと結婚する前、宿敵のところへ頭を下げに来た時と酷似していた。だからパトリシアは、迷うことなく返事をかえす。
『お引き受けいたしましょう』
まだ内容も聞かないうちに即答したパトリシア。傍観していたクライヴは、僅かに目を見開くのだった。
『感謝するわ。けれど、今回は危険の付き纏う依頼よ。それでも引き受けてくださる?』
『勿論ですわ』
やはり迷いのないパトリシアに、アディナはニッと口の端を持ち上げた。
『持つべきものは、できる後輩ね。じゃあ早速、一から説明するわ』
アディナは自分達が起こした騒動を踏まえ、イゾレ国の内情を伝えた。その上で、いずれ逃亡してくるであろうエミリー達を匿ってくれと頼んだ。
『潜伏場所からノートロス侯爵家までの移送は、わたしの方で手配しておくわ』
『ではわたくしは、やって来たお二人を屋敷で保護すれば宜しいのですね』
エミリーと交友のあったクリュシオン家では、真っ先に捜索の手が伸びるだろう。逆に仲違いしていたパトリシアの屋敷なら、疑いをかけられる心配はほぼ無い。疑われたとしても、捜索は後回しにされる確率が高かった。
『懸念と言えば、エミリー様が受け入れてくれるかどうかですが…』
『こんな非常時に駄々をこねるような馬鹿はいないわよ。それに、わたしがパトリシアさんを信じてるって解れば、エミリーさんも信じるわ』
『そんな単純な…』
『単純よ。嘘だと思うならこう言うと良いわ。「アディナ様の弱点を教えてもらえるほど、信頼してもらっているのよ」ってね』
『は…?弱点って…』
『音痴なのよ、わたし。それも壊滅的に』
俄かには信じられないパトリシアだったが、アディナの後ろにいる男二人が、笑いを噛み殺しているのを目撃し、事実なのだと思わざるを得なかった。
『何なら今すぐに、証明してもいいわよ』
『……いえ、結構ですわ』
やたらと自信満々なのが解せないものの、パトリシアには十二分に伝わっていたので、丁重にお断りするのであった───
「アディナ様は仕立て屋の店主に此方までの移動を、パトリシア様には保護を指示していかれたのです。ご理解いただけましたか?」
マーニャの噛み砕いた説明はとてもわかりやすかった。それこそ、戸惑うエミリーの頭でも理解できるくらいである。
「…えっと、パトリシア様?」
「なんですの?ちなみにわたくしは、弱点を教えていただけるほど、アディナ様の信頼を勝ち得ておりますわ」
そこはかとなく癪ではあったが、パトリシアは騙されたと思ってそう言ってみた。すると効果はてきめん。困ったように眉を下げていたエミリーは、一瞬で対抗心に燃える顔になり、地面を踏みしめて立ち上がった。
「アディナ様の後輩一位の座は、絶対に譲りません!」
「後輩一位の座!?初耳な単語ですわよ!」
「それから、匿ってくださって本当にありがとうございます!」
「どっ、どうしたしまして…ですわ」
アディナといい、エミリーといい。パトリシアは調子を狂わされてばかりだ。
直角のお辞儀をするエミリーの横で、オーウェンも深々と頭を下げる。
「僕からも、心からの感謝を申し上げます」
「いえ。イゾレ国の王子をお迎えできるのは光栄の極みです」
「もう王子ではありませんよ」
「近い将来、そうなるかもしれませんでしょう?少なくともアディナ様は、そのおつもりのようでしたわ」
「そうですか……パトリシア嬢、と仰いましたね。エミリーのことをお願いしても?僕は祖国に戻ろうと思います」
「オーウェン様!?でしたら私も一緒に行きます!」
「アディナ嬢が選んだ場所なら、きっと安全なんだろう。君はここに…」
「それはなりませんわ」
エミリーを置いて祖国に帰ると言い出したオーウェンに、パトリシアはきつい口調で諌めにかかる。
「アディナ様から言付かっておりますの。"お二人"を保護しろと。勝手に出て行かれては困ります」
「しかし…」
オーウェンは心底悔しげに拳を握り締めた。その手に優しく触れたのはエミリーだ。両手で包み込むようにすると、次第に固い拳から力が解かれていく。
「…オーウェン様の気持ちは痛いほどわかります。何もせずにただ待つのは本当に辛いです。でも、私達がここで守られていると知っていてこそ、アディナ様は憂いなく動けるのです」
「エミリー…」
「アディナ様の凄さは、オーウェン様もご存知ですよね。しかも今回はルカさんが一緒なんです。敗北なんて有り得ませんよ!」
「あの方を怒らせたが最後ですわ。経験者のわたくしが言うのですから、間違いありません」
エミリーから尊敬の眼差しを向けられるのが居た堪れず、パトリシアはぷいっと顔を背けた。
根負けするしかなかったオーウェンは苦笑まじりに再度、感謝の言葉を述べるのだった。
「ご不便をおかけしますが極力、奥の部屋から出ないでくださいませ。閉め切ったままだと怪しまれますので、カーテンは開けてもらっても構いませんが、その代わり日中は屋根裏部屋に避難していてください」
「はい!パトリシア様」
「………」
パトリシアが示す細かな配慮が嬉しいエミリーは、にこにこと上機嫌だった。むしろパトリシアのほうが胡乱な目になっている。
「…わたくしが言えた義理ではありませんが、甘すぎるのではなくて?」
「何がですか?」
「いくらなんでも、コロっと信じすぎですわ。わたくしは貴女に散々なことをしましたのに…」
「だってあの時、パトリシア様はきちんと謝ってくださったじゃないですか。ですから私の中では、もう終わった事なんです。そんなことよりも、同学年のお友達ができてすっごく嬉しいです!」
アディナも友人と呼んでくれたが、やはりエミリーにとっては尊敬する先輩という意識が強い。学友に恵まれなかったからこそ、友人を名乗れる機会が巡ってきた事は、ただひたすら嬉しかった。数多の嫌がらせを受けた過去を吹き飛ばすなど、エミリーからすれば友人作りより容易いのである。
「……本当に、単純ですわね」
「え?」
「何でもありませんわ」
信じれば裏切られ、正直者が馬鹿を見る…それが貴族社会だ。でも一人くらいは、こんな単純で甘い人間がいても良いのかもしれない。信頼に信頼が返ってくる、そんな心安らげる友人ができるのも、悪くないかもしれない。
そう考えている時点で自分も同類かと呆れつつも、パトリシアの顔付きは非常に清々しいものであった。




