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 リチャード王子の見舞いと銘打ち、アディナとルカはイゾレ国へと発っていった。

 忙しなく旅立った二人を、マーニャは屋敷から見送っていたのだった。


(若奥様の行動力もさることながら、当然のようについて行くルカさんにも脱帽です)


 ごく短期間に大海を往復し、息つく間もなく今度は数日がかりの馬車旅。しかも、出発までの僅かな時間さえ別邸を空け、寛ぐ様子も見せていない。アディナに随行したい気持ちはあれど、体力が尽きてしまったマーニャは、今回、屋敷での留守番を任されて密かに安堵していた。


(…少し休んだら私も精一杯、務めを果たします)


 マーニャに託されたのは留守だけではない。しかし、今の彼女にはまず休息が必要だった。


 アディナ達の出立を見送る者は王城にもいた。

 クライヴ、そして彼の傍にはパトリシアの姿もあった。二人は並んで、どんどん小さくなっていく馬車を見下ろしている。


「…前から気になっていたが、パトリシア嬢はいつからアディナと親しくなったんだ?」

「それは…わたくしにもよくわかりません。気がつけば、という感じでした」

「そうか」


 城下を見遣るパトリシアの横顔は、ただただ凪いでいる。紅を差した唇から紡がれる言葉もまた、静かであった。


「…どうしてあの方は、わたくしを信じる気になれたのでしょう」

「アディナの思考回路は、そこそこ付き合いの長い私でも理解しきれないが、その問いの答えは何となくわかる。アディナが君を頼った際、君はそれに応えたんだろう?アディナからすれば信頼に信頼を返した、ただそれだけの事なんだと思うよ」


 贖罪の機会は、誰にでも平等に与えられる。

 アディナが差し伸べた機会を、パトリシアはきちんと捉えた。悪態をつきまくれなどという滅茶苦茶な指示だったが、その指示の意味するところを理解し、アディナの想いに沿うべく行動したのだ。

 意図的な噂話か、悪意しかない噂話か。それが見抜けぬアディナではない。だからこそ、パトリシアを信頼に足る人物と見なすに至ったのだろう。


「彼女は何の根拠も無いまま、闇雲に信じることはしない。あれでも、見るべきところは見ている」

「そう、ですわね」

「ところで私もこの件がひと段落したら、パトリシア嬢に依頼したい案件があるのだが」


 アディナが『つっけんどん娘』とやらの練習に励んでいた時は、ちんぷんかんぷんだったが、パトリシアを観察していると、なるほど中々面白い発見がある。クライヴは自分があまり見せない類の笑い方していると、この時はまだ自覚していなかった。


「で…殿下がわたくしにっ?」

「ああ。誰かさん風に言えば"作戦名『共謀者』"かな」

「??」


 クライヴの話の意味はよくわからなかったが、彼から向けられた微笑みに、パトリシアは赤面するのだった。




 十日の馬車旅を経た後、アディナは二度目となる、ルカにとっては初のイゾレ国訪問を果たしていた。自国とは異なる趣を楽しむ暇もないまま、二人は急ぎ足でリチャードのもとへと向かう。

 その途中、自身が発した言葉の通りイゾレ国にやって来ていたカレブと再会したのだった。。目元に疲労を滲ませる夫婦を見つけたカレブは、目を丸くする。


「お前ら!?ガーバにいるはずじゃ…」

「ごきげんよう、カレブ様。リチャード王子が伏せったと耳にし、お見舞いに参上いたしましたわ」


 お見舞いと言う割に、アディナの瞳は爛々としている。どことなく好戦的な様子に、カレブは武者震いしそうになった。


「少しばかりお話したいことがあるのですが、リチャード王子のご容態は?」

「見た目にはピンピンしてるぜ。話をするくらい、どうってことはない」


 そう答えてから、カレブは小さく項垂れた。


「…不甲斐なくてすまん」


 オーウェンに大見得を切っておきながら、目の前でリチャードが倒れるのを許してしまった。情けないにもほどがある。感じている悔しさはアディナ以上だ。

 普段とは別人のような痛ましい表情を浮かべるカレブに対して、アディナときたら一歩進み出た直後、皇子の頭に手刀を落としたのだった。隣のルカが面白いくらいに青ざめる。


「何やってるんですか!?」

「気合を入れて差し上げようかと思って」

「だからってそんなやり方があります!?」


 女遊びが激しいカレブだが、腐っても皇子なためか、嫉妬に燃えても暴力に訴える女性はいなかった。つまり、こんな待遇は初めてで。そんな彼を容赦無く叩いたアディナは、悪びれることもなく腕組みしていた。


「わたしも似たような泣き言を吐いて、ルカに叱責されましたわ」

「………」

「目は覚めましたか?でしたら、リチャード王子のお部屋まで案内をお願いいたします」

「……ククッ…はっはっは!!オレの脳天にぶちかました女はお前が初めてだ!おかげで気合もばっちり注入されたぜ。じゃあ、リチャードんとこに行くぞ」


 カレブだったから豪快に笑い飛ばして終わったものの、普通なら皇族に手を上げてタダで済む訳がない。不敵に笑い合う、似た者同士を追いかけるルカは「勘弁してください…」と乾いた声で嘆いていたのだった。


 一気に疲れが増したからか、リチャードまで二人と同類だったらどうしよう、という変な不安に駆られたルカだったが、イゾレ国の第一王子は良識的な人物であった。言うなれば、同じ立場にあるクライヴと似ている。

 リチャードは弟と揃いの黒髪を揺らし、見舞ってくれる友人達を労った。


「わざわざ訪ねてくれてありがとう。こんな格好で申し訳ない」

「お気になさらず。伏せっておられても、男前でいらっしゃいますわ」

「アディナ嬢は変わりないようで良かった」


 クライヴ似の気性であるゆえか、アディナも素を出すことにあまり抵抗を感じないようだ。ルカが人知れずハラハラしているのにも構わず、のんびりと独特の挨拶を交わしている。それこそ『打破せよ!身分差の壁』作戦の影の協力者なので、今更なのかもしれない。


「リチャード王子、それにカレブ様」


 淑女の微笑みから打って変わって、鋭い目つきと固い声色になったアディナに呼ばれた二人は、思わず顔を強張らせた。アディナが発する怒気を、ピリピリと肌で感じたからである。

 彼女の性格を熟知しているルカだけは、平然と佇んでいた。


「犯人の目星はついているのですか?」


 いささか冷たい問い掛けに、何とかリチャードが答える。


「あ、ああ。叔父上が仕組んだことだ。カレブと私で父上の命だけは死守したが、この有り様では今後どうなるか…」


 アディナの勘は当たっていた。

 さほど驚く様子が無いので、カレブは「知っていたのか」と尋ねたかったが、彼女の纏う怒りのオーラが濃度を高めた気がして、思わず口を噤むのだった。


「…確たる証拠が見つからないのですか?」


 犯人は叔父だと断定しておきながら、捕縛に動けないということは、そう易々と尻尾を掴ませてもらえないのだろう。モーロスはかなり用心深い男らしい。


「さすがアディナ嬢だな。屋敷の捜索に乗り出すことができれば或いは…とも思うが、捜索に踏み切るには、相応の嫌疑か罪状が無ければならない」


 リチャードの食事に混入していた毒は、健康な毒味役では影響が出ないほど微弱な代物。それも断続的に行われていたという。

 誰にでも入手できる上に、いつから混ぜられていたかも定かではない。また、時間の問題であろうが、国王は一度も狙われておらず、証拠らしい証拠が無いのだ。

 そこでルカは、尤もな疑問を口にした。


「では、リチャード王子はどうしてモーロス様が犯人だとおわかりになったのですか?もしやアディナ様のように勘が働いたと…」

「いや、叔父上に野心があるのは昔から知っていた。アディナ嬢の婚約が話題にのぼった時も、一人だけあまり良い顔をしていなかったしな。ただずっと凶行に及ぶことが無かっただけに、私も父上も静観を貫いてきたんだ」

「昔から?でしたら何故、今頃になって突然…」


 ルカが不可解そうに首を捻った時、アディナの沈んだ声が彼の耳朶を打った。


「…一人減ったからよ。排除したい人間が」

「排除したい人間って………オーウェン様のことですか」


 ルカは呆然と呟く。

 イゾレ国王とモーロスは、年齢に少々開きのある兄弟だ。自身の甥に当たるリチャード、そしてオーウェンまで居なくなれば、王位継承権の第一位がモーロスにまわってくることも、充分考えられる話である。


(そうか、だからアディナ様は…)


 アディナに気遣う眼差しを向けつつ、ルカはようやく合点がいった。このたびの一件に関して、どうにもアディナの怒りの方向性が微妙にズレていると感じていたのだ。

 無論、大切に思っている人達が命の危険に晒されたのだから、憤るのは分かる。しかし憤ると言うよりは、アディナが途方もなく苛立っているような気がして、ルカは何となく腑に落ちないでいた。

 物に八つ当たりしてしまうほど、アディナは苛ついていたのだ。リチャード王子が狙われる一因を作ってしまった、自分自身に対して。

 オーウェンとエミリーが駆け落ちするのに乗じて一芝居打ったことが、後々こんな事件を引き起こすとは、さしものアディナも予期していなかった。だからこそ悔いているに違いない。彼女は自分の幸せのために、誰かを踏み台にすることを、心の底から憎悪している。諸悪の根源はモーロスだと頭で理解していても、アディナは自分を責めずにはいられない、そういう性分なのだ。


「アディナ嬢。遥々、来訪してくれたのは嬉しいが、貴女には弟達を守ってもらいたい。王家の問題は、こちらで何とかする」

「ご心配には及びませんわ。既に根回ししてあります」

「根回し…?」

「オーウェン王子達の安全は、わたしが信を置く方に託してまいりました。あの方は期待以上の仕事をなさるでしょう。ですからわたしとルカはここに残り、リチャード王子に加勢いたしますわ」

「はっはっは!この女がいれば百人力ってもんよ」


 胸を張るアディナを見て、それまで黙っていたカレブが唐突に笑い出す。


「幾ら何でも言い過ぎですわよ。正しくは、ルカと共にいれば十人力、です」

「それは謙虚なんですかね?」

「ククッ、違ェねぇ。つーわけだ、あとはオレ達でモーロスの野郎を牢にぶち込んでやるから、お前は養生してろ」

「ええ、リチャード王子はわたし達が暴れる許可をくださるだけで結構です」

「アディナ様、とんでもない事を仰ってる自覚はあります?」


 リチャードはしばし呆気にとられていたが、頼もしい友人達を前にして、ふっと顔を綻ばせるのだった。


「…じゃあ私は前回同様、後始末を任せてもらおうかな」

「おっ、許可が下りたぞ。そんで何か策があるのか?やけに自信満々だけどよ」

「わたしが無策で敵地にのこのことやって来るとでも?」

「おう。勢いだけで突撃して来そうだ」

「否定できないのが悲しいところですわね」

「否定できないんですか…」


 思わず額に手をやるルカとは対照的に、カレブは可笑しそうに微笑んでいる。


「ですが今回はその限りではありません」

「と、仰いますと?」

「これはわたしの演技で始まった事件…ならば終わらせるのもまた演技!」


 アディナは椅子から立ち上がり、握り拳を作って宣言する。


「すなわち『冤罪なすり付け大作戦』ですわ!」

「俺達は悪を倒す側で間違い無いんですよね!?」


 勢いあまってルカも起立し、王子の私室には頓珍漢な会話が木霊したのであった。

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