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 結婚式から一夜明けて、クリュシオン公爵家の食卓には新たな息子が加わった。息子といっても義理である上に、二十代半ばのいい大人である。


「……やっぱり俺が給仕をしますっ!」


 そのいい大人は、居たたまれなさに耐え切れず、席から立ち上がろうとしていた。それもそうだ。今までアディナ達の給仕しかしてこなかったのに、今日から公爵家の一員として同じ食卓を囲めと言われても、すんなりと受け入れられる訳がない。場違い感が凄まじすぎて、料理を味わうどころではない。


「馬鹿者!我が家の決まりを破る気か!そんな男は婿とは認めんぞ!」

「あなた、もうすでに婿ですわ」


 バンっとテーブルを叩くランドルフに、ブレンダがやんわりとツッコむ。


「お姉さまとお食事できて、うれしいです」

「わたしもすごく嬉しいわ、フローラ。これもルカがわたしと結婚してくれたおかげね」


 騒ぎ立てる男達と違い、姉妹は非常に和やかだ。フローラは大好きな姉が近くにいてくれるなら、結婚相手は誰でも良かった模様である。


「何をデレデレしとるか貴様!よもや娘に破廉恥な行いをしたのではあるまいな!」

「そんなまさか!」

「何だと!?アディナ相手に食指が動かんとは、貴様それでも男か!」

「ではどうしろと!?」

「お父様ったら、変なことを仰いますわね」


 アディナがころころと笑いながら、ルカに助け船を出す。


「破廉恥な行いができる唯一の関係が、夫婦ではありませんか。それに昨晩は初めて『腕枕』なるものを体験しただけですわ」


 それはもはや助け船というより、駆け馬に鞭だった。


「そんなこと馬鹿真面目に白状しなくていいんですよ!」

「どうしても本物の枕には寝心地が劣るけど、気分的には悪くなかったわ」

「割と辛口評価ですね!」

「腕枕だと!?そんなもの百年早いわ!」

「あら、あなた。それでは孫を抱けるのが、五百年ほど先になってしまいますわ」


 フローラの耳を塞ぎながら、ちゃっかりブレンダも会話の応酬に加わる。


「収拾がつかないですね…」


 先程からスープを注ごうと待っているマーニャが、人知れずぼやいていたのだった。


 こうして激変したルカの生活だったが、変わらないものもある。これまでの執事業務は誰にも譲らないと言い張り、ルカ・クリュシオンとなった後も彼が手ずから妻に紅茶を淹れている。だがしかし、アディナの方はちょっとばかり不服なようだった。


「わたしだって奥さんなのだから、ルカに尽くしたいわ」

「申し訳ありませんが、俺は生粋の『尽くしたい派』なので。アディナ様が『尽くされたい派』に転向してください」

「たまには逆転しても良いじゃない。ルカ、逆転ものが好きでしょう?」

「そんな事を言った覚えはありません」


 ルカにとって、執事業務は生き甲斐だ。アディナのように次期当主として相応しい能力が備わっていない分、どんな些細な事でも彼女の支えになりたいのだ。


「いいんですよ。アディナ様は俺の知らないところで、俺のために色々と動いてくれたでしょう。これ以上、尽くしてもらったら、夫としての立つ瀬がなくなります」


 アディナは因縁の相手に頼み込んでまで、ルカがきまりの悪い思いをしないよう便宜をはかってくれた。しかも、自分の評判を貶めて、である。情けない話だが、アディナの夫として社交界に出るようになれば、場慣れしていないルカでは、彼女に守られてばかりになることだろう。物理的な脅威からは体を張って守れても、貴族同士の言葉による闘いでは、明らかにアディナに分がある。いつまでも庇われるつもりはないが、しばらくはアディナに頼りきりになってしまうに違いなかった。だからこそ、挽回できるところでしておきたかった。


「わたしはルカの悲しい顔や、辛そうな顔を見るのが嫌なだけよ。わたしが望んでやった事だし、ひいては自分のためなんだから、ルカが気にする必要はないわ」


 さも当然というように、アディナはきっぱりと言い切った。アディナの優しさに触れるたび、ルカは何度でも彼女に惚れ直す。実のところ、それはお互い様であった。


「なんにせよ、まずは作戦会議ね」

「何のですか?」

「今度の夜会に決まってるでしょう?結婚してから初めての参加になるんですもの。意気込んでいかなきゃ」

「なるほど。確かにそれは……」

「ルカ?どうしたの?顔色が悪いわよ」


 身分差結婚を果たしたアディナ達は、良くも悪くも注目の的だ。一挙一動が見られているといっても過言ではない。しかし、ルカが青ざめたのは、重圧に押しつぶされそうになったからではない。そんなものは、はなから想定していたことだ。問題は…


「…俺、踊った経験がありません」


 ルカがダンスに関して、まったくの素人であるという点だった。なんせ踊る技術など執事には不要だからだ。ステップを覚える暇があるなら、茶葉の研究に時間を充てる。今まではそれで良かったが、これからはそうも言っていられなくなった。次の夜会まで残り二週間を切っている。ルカが焦るのも尤もだ。


「心配無用よ。わたしは女性パートはもちろん、男性パートも熟知しているわ。いざという時に備えて、練習した甲斐があったわね」

「どんないざを想定されたかは聞かないでおきますが、とにかく指導をお願いします」

「任せてルカ!」


 得意げに胸を張るアディナであるが、彼女には短期間でエミリーを踊れるようにした実績がある。ルカの方も騎士になるよう勧められるくらい身体能力が高いので、すぐにコツは掴めるだろう。




 そして迎えた夜会。

 アディナとルカは戦場、もといパーティー会場へと赴いていた。馬車を降りる前に作戦の最終確認をする。


「設定上、わたしは傷心中の新妻…世間の認識もそのままでしょうね。今夜はそれを覆すわよ」

「思いっきり設定って言ってますけど」

「目にした人が胸焼けするくらい甘々な雰囲気を出して『あれ?なんか想像してたのと違う』って怯ませるのよ!」

「怯みますかね?」

「他人の不幸が美味しい人達は『オーウェン王子に捨てられ気が狂い、自分のかっこいい執事に手を出した愚かな令嬢』を笑い者にしようと待ち構えているに違いないわ」

「さり気なく褒められたような…」

「だからわたし達は、馬鹿にする気が失せるほど幸せそうにしていればいいだけよ」

「つまり普段通りということですね」


 その程度の結論に至るくらいなら、作戦会議の必要はあったのか甚だ疑問である。


「ええ、そうよ。楽勝でしょう?」


 そう言って不敵な笑みを浮かべるアディナ。こんなにも頼もしいパートナーが隣にいてくれるのだから、何も恐れる必要はなかった。


「楽勝ですね。俺は精々、自分のダンスの心配でもしておきますよ」

「やっとルカに特等席で見てもらえるんだもの。わたしも気合いを入れまくって踊るわ」


 要は二人だけの世界で踊っていればいい、単純な話である。せっかく愛する人と手をとり合って踊れるのに、周囲に萎縮していては勿体ないではないか。


「ねえ、ルカ」

「はい、アディナ様」

「夫婦で大きな敵に立ち向かうなんて、燃えるわよね」

「俄然、燃えます。負ける気がしません」

「ふふっ、奇遇ね。わたしも勝てる気しかしないわ!」


 言うまでもなく若い夫妻には、馬車を降りた直後から好奇の視線が集中した。それでも二人は気分を害した様子もなく、終始笑顔で踊り、寄り添い続けた。だから会場に集っていた人々は「この上なく幸せそうだった」と言うほかなかった。


 意外だったのは、アディナが一部の令嬢達から、熱狂的な支持を受けたことである。大きな障害を乗り越えて幸福を掴んだ姿は、恋多き乙女の心に響くものがあったのだろう。おかげで身分差を題材にした恋愛小説の売り上げが伸び、別邸に設置されているアディナ専用の本棚がますます充実した。


「これは身分差恋愛の先駆けとなった偉人として、歴史に名を残すかもしれないわね」

「残す名はそれで良いんですか」

「今のうちに数々の逸話を生んでおくべきかしら?」

「偉人ってそんな計画的になるものじゃないと思います」


 ついでに、ルカの律儀なツッコミも冴え渡っていた。


 ───あなたと一緒に後世まで語り継がれるのなら、それもきっと悪くない。


 割れ鍋に綴じ蓋な夫婦は、心の中に浮かんだ台詞までもぴったり同じであった。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!

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