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 世間の噂はともかくとして、クリュシオン家では二人の結婚を諸手を上げて賛成する勢いであった。ルカの実家であるエアトライ家でも、驚愕と戸惑いは大きかったものの、幼い時分からの付き合いがある分、最終的には祝福してくれた。


「失礼します、お父様。お話があると伺いましたが…」


 二人してランドルフに呼び出されたのは、アディナが花嫁衣装について真剣に悩んでいる最中であった。

 ランドルフとしては娘の悲願が達成されて喜ばしい反面、父親特有の複雑な気持ちが入り交ざっていた。娘には内緒でルカに釘を刺しておかねばと考えているが、一先ずそれは後回しだ。


「うむ。次期当主について、熟慮した結果を伝えようと思ってな」


 自然と息を呑むルカとは対照的に、アディナは落ち着いて父の言葉を待っていた。


「アディナ」

「はい、お父様」

「私の後を継ぎ、次代の当主となるのはお前だ」


 ランドルフが下した決定には、さすがのアディナも少々目を見張る。自分達の結婚が体裁の良くないものであることは自覚しているので、勘当される訳でなくとも自発的に屋敷を出て行こうと決めていたからだ。当然、ルカも同じ考えであったため、予期せぬ言葉を受けて動揺していた。


「ブレンダとも話し合って決めた事だ。彼女も賛同してくれた」

「…そうですか」


 アディナは自分か妹か、どちらが当主に選ばれようと構わなかった。しかしながら、自分自身の体面は気にしなくても家の体面は気にするアディナなので、フローラの方が適任だとは思っていたのだが。


「なんだ。不服か?」

「いえ。お父様が最善と思われた選択でしたら、異論はありません。ただ…」


 何にせよ、ランドルフが良いと判断した方が当主の座に就けばいい。その考えは一貫している。アディナが若干渋る素ぶりを見せたのは、別の理由であった。


「アディナ・エアトライと名を変える気満々でしたので、署名や刺繍の練習に没頭した時間が無駄になってしまったと、ちょっと残念に思っただけです」

「……早合点しすぎだぞ」

「要するに、今日からは夫の私物にルカ・クリュシオンと刺繍ができるよう練習しろ、ということですわね」

「いつ誰がそんな事を言った。あと、まだ夫ではない」

「二割くらいは冗談ですわ」

「ほとんど本気じゃないか」

「…本当に、わたしで宜しいのですか?」

「自信がないか?」

「やった事もないのに、どうして自信など持てるのです?それは単なる過信ですわ。やるからには、死に物狂いで努力する自信はありますけれど」

「ふっ…それでいい」


 ランドルフは表情を和らげると、背もたれに体重を預けた。突拍子もないことをやらかす娘だが、公爵令嬢としての素養は文句の付けようがない。学園生活の報告を聞き、事を荒だてない立ち回りの巧みさ、加えて、ごたごたに巻き込まれた際の切り抜け方には舌を巻いた。いざという時の肝の据わりっぷりは、フローラでは遠く及ばないだろう。


「お前は、度胸だけは人一倍だからな。筆頭貴族たるもの、嵐の中に身を置くことになっても剛気を失ってはならん」

「過大評価だと思いますが、ありがとうございます」

「して、ルカよ」

「はい」


 ランドルフの視線が、アディナからルカに移される。改めて姿勢を正すルカの背中に緊張が走った。


「君に当主の役割は、はなから期待していない」

「…はい。存じております」


 アディナと違い、貴族としての英才教育など受けてきていないルカに、代行でも当主をやれというのは、どだい無理な話である。わかっているが、耳が痛い話でもあることに変わりはない。

 けれども、ランドルフがしたのは叱責ではなく、彼なりの激励であった。


「だが、アディナの補佐に関して、君の右に出る人間はいないだろう。どうか娘を支えてやってくれ。…義息子(むすこ)よ」

「!!」

「お父様…」


 ルカは両の手を強く、強く握り締め、勢いよく頭を下げた。


「心からの感謝を申し上げます。かけていただいた恩情に報いるべく、旦那様のお言葉の履行に一身を捧げてゆく覚悟でございます!」

「よくぞ言った。…娘がまっしぐらに何処かへ逸れた時は、くれぐれも頼むぞ」


 途端に疲れた目をするランドルフを見て、ルカも口元を痙攣らせる。


「ち、力は尽くします…」

「もっとはっきり言い切らんか…」

「旦那様こそ言葉尻が弱々しいですよ…」

「何をもごもごと言い合っているのですか?」


 アディナを制御するより、暴れ馬を操る方が容易く感じるとはこれ如何に。首を傾げるアディナに対し、ルカは「何でもありません」としか返せなかった。


「ところでお父様。この家に留まれるのはとても嬉しいのですが、わたしとルカの寝室はどうなるのでしょう?わたし、夫婦の寝室は同じが理想でして…」

「お嬢様!?」

「まあ、ルカは嫌なの?」

「嫌とかじゃなくてですね!俺もそれが理想ですけど、今ここで聞くことですか!?」

「本当?嬉しいわ。わたしは使用人部屋でも、余裕で受け入れるわよ!」

「アディナ、落ち着きなさい。その件に関してもちゃんと考えてある。客人用の別邸がお前達の新居となるよう現在、手配中だ」


 公爵家の広大な敷地内にある別邸は、これまた立派な建物だった。アディナとルカの二人で暮らすには、広すぎるほどだ。


「そうでしたのね。感謝いたします、お父様」

「ただし、食事はこちらで摂るように。家族揃って食卓を囲むのが、我が家の家訓なのだからな」

「はい。もちろんですわ」

「至れり尽くせりすぎて、何と申し上げて良いのやら…」


 恐縮するあまり、足が震えそうになるルカであった。実はこの処置、アディナを手元に置いておきたいという、ランドルフの親心の表れでもある。


「ではアディナは戻りなさい。ルカにはまだ、私から個人的に話がある」

「…?わかりました。ルカ、助けが必要だったら大声で呼ぶのよ?」

「俺は姫か何かですかね。俺としてはお嬢様をお守りする騎士でありたいのですが」


 ルカに嬉しい事を言われたアディナは、ぽっと頰を赤らめる。アディナの赤面を見慣れていないルカも、一緒になって照れる。それを目の前で見せつけられた、ランドルフの心境を思うと哀れで仕方がない。

 アディナが足取り軽く退室した後、ルカは緩んでいた表情を引き締め、背筋を伸ばす。アディナと想いが通じ合った瞬間に、ルカも覚悟を決めていた。彼女と添い遂げることを選んだ以上、もう身分差だ何だので怯むつもりはなかった。アディナではないが「駆け落ち上等」くらいの気概である。


「…良い面構えになったな、ルカ」

「あのお嬢様にお仕えして長いですから、嫌でも図太くなります」

「確かにな。社交界に出れば、君が考えているよりも遥かに過酷な現実が待っている」

「はい」


 ごくりと生唾を飲むルカ。しかし…


「…まあそれはいい」

「えっ」

「まさかとは思うが、ルカよ。娘に不埒な真似はしていないだろうな」


 ルカはつんのめって倒れそうになった。


「は、はい?」

「挙式前だというのに、手を出したのか!このケダモノめ!」

「!?!?」


 目を白黒させるルカは、上手い弁解が出てこなかった。手を出したかと問われれば、キスをしてしまったので、答えは「はい」だが、先に仕掛けてきたのはアディナである。どちらかと言えば、襲われたのはルカの方だ。しかしそれを馬鹿正直に説明するのは、死ぬほど恥ずかしい。


「今のはその『はい』ではありませんっ!!」

「では『いいえ』なのだな!」

「『いいえ』寄りの『はい』といった感じです!?」

「何を言っとるんだ貴様!」

「呼び方が!?」


 ランドルフが椅子を薙ぎ倒し、ルカに掴みかかった瞬間。執務室の扉がバーン!と勢いよく開け放たれた。完全にデジャヴだ。


「話は盗み聞きさせてもらいましたわ!」

「お嬢様!?舞い戻るにしても早すぎません!?」

「同じく、聞かせていただきました」

「ブレンダ!?」


 何と今回は母娘揃っての登場である。

 堂々盗み聞きを告白するアディナはいつも通りだが、ブレンダが加わるのは珍しい。というより初めてである。


「お父様。ルカから手をお放しください」

「駄目だ。私は父親として釘を刺しておかねば。お前こそ出て行きなさい」

「お断りします。わたしは以前、夜の海で『ルカを助ける』と約束しましたもの。約束を守る女…それがわたし、アディナ・クリュシオンですわ!」


 得意げに鼻を鳴らすアディナだったが、その発言は火に油を注ぐ結果となった。


「よ…夜の海だと!?何て卑猥な響きなのだ!ルカ、貴様には失望したぞ!」

「卑猥ではなく、ロマンチックですわ!訂正を求めます」

「私に意見する気か!」

「します!むしろわたしは、たかだか夜の海という言葉で卑猥な妄想を膨らませるお父様に失望したいですわ!」

「な、なんだと!?」

「それは言っちゃいけないやつですよ!お嬢様!」


 まさしく、この父ありて斯にこの子ありだ。


「まあまあ、旦那様。二人とも子供ではないのですから。節度くらい弁えていますよ」


 ルカでは手のつけられない暴走親子の前へ、果敢に躍り出たのはブレンダだった。おっとりと笑いつつも、ルカを締め上げていた手をさり気なく外す。


「退きなさい、ブレンダ。若気の至りとか戯言を抜かして、愛娘が枕を濡らすことがあってはならんのだ」

「失礼な。ルカは紳士ですわ」

「いや。私以外の男は皆、ケダモノだ」

「いいえ。男は皆ケダモノだと、小説に書いてありました。お父様も例外ではありません。でもルカだけは違いますわ」

「言ってる事が早くも矛盾しているぞ」

「ケダモノの中の紳士という意味です」

「それは擁護してくださっているんですか?」


 ほとほと疲れ切ったルカだったが、染み付いた習慣によりツッコまずにはいられなかった。


「アディナ、衣装選びがまだでしょう?仕立て屋の方をお呼びしたから、お行きなさい」

「まあ!ありがとうございます、お母様。ルカも一緒に来て。あなたの意見も取り入れないと」

「は、はい…ですが」

「話はまだ終わっ…」

「ええ、是非とも二人で選んでいらっしゃい」


 にこやかに微笑むブレンダが夫を抑え、艶やかに微笑むアディナが未来の夫を引っ張る。男性陣の心が「まるで勝てる気がしない」と一致した瞬間だったという。




 せっかくブレンダが気を利かせくれたものの、アディナがあんまりにも悩むせいで花嫁衣装のデザインはおろか、布地さえ決まらなかった。仕方なく、今日のところはカタログだけを借り、後日注文する運びとなった。


「ルカはどんな衣装が好き?露出過多?それとも何か特殊な…」

「俺に提示される選択肢が偏りすぎなの、何とかなりませんか」


 カタログとにらめっこしていたアディナは、思い出したかのように質問を投げかけた。今まで散々ルカの好みを探ろうとして、事あるごとに問い詰めてきたが碌な成果は得られなかった。だからアディナは未だに、ルカの好みがよくわからないのだ。


「花嫁はお嬢様なんですから、お好きなドレスを選んだら良いじゃないですか」

「わたしが何を着ても、ルカはいつだって『よくお似合いです』しか言わないじゃない。結婚式では別の褒め言葉が聞きたいのよ」


 不満そうな口調のアディナに、ルカは口ごもった。

 美人なアディナはどんなドレスでも華麗に着こなす。彼女が着飾るたびにこっそり見惚れているルカは、いったん素直に褒め出したら止まらなくなることが容易に想像できたため、似合うと言うだけに留めていたのだ。それなのに、こんな可愛らしく拗ねられたら困ってしまう。


「あのですね……俺の目に映る貴女は、いつだって世界で一番綺麗な女性です。だからお嬢様の気に入ったものを着てください」

「ルカ…!」


 これまで言葉に出せずにいた分、いざ相手に伝えるとなると非常に照れ臭い。ルカは早口に言い切ると、不自然に目を逸らした。反対にアディナは感激して、きらきらした眼差しを向けている。


「…まあ、一つだけ言わせていただくなら、露出は少ない方が良いです」

「ルカは隠されたものに興奮するタイプなのね。わたしはまったく逆のアピールをしていたんだわ。これで得心がいったわね」

「は!?何ですか『隠されたものに興奮するタイプ』って!?」

「違うの?」

「違いますよ!!そうではなくて…」


 意味不明な勘違いをされそうになり、ルカは慌てて反論しようとした。しかしそれを言ってしまえば、心の狭い男と思われそうで、すんでのところで言葉に詰まる。

 だが生憎と、そこで無慈悲な横槍が入ってしまう。


「お嬢様の素肌を、他の殿方に見られたくないのですよ。単なるルカさんの嫉妬です。ルカさん本人は、露出大歓迎ですよ」

「マーニャ?」

「通りすがりに最低な暴露をするなよ!」


 洗濯籠を抱えたマーニャが通りかかり、偶然聞こえてきた会話に加わった。そのおかげで、ルカはあまり知られたくなかった心情を暴かれ、羞恥で真っ赤になる。

 自分の思惑通りにルカが嫉妬してくれていたことを初めて知り、アディナは落ち着かなげに視線を彷徨わせ始めた。


「そう、だったの。他の方のことは欠片も気にしていなかったわ。わたしはただ、ルカに見てほしかっただけで…気付かなくてごめんなさい」


 欠片くらいは気にした方がいいと思うルカであったが、おずおずと謝られた瞬間に思考が吹き飛びそうになった。


「でしたら、こういうクラシカルなドレスはいかがです?」

「いいわね!ルカも厳かな式にしたいって話していたし、雰囲気にぴったりだわ。じゃあ布地もそれに合わせて…」

「これとか…このあたりでしょうか」

「そうね」


 アディナとマーニャがはしゃぎ気味にカタログを覗き込んでいる傍らで、ルカは独り静かに撃沈していたのだった。

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