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 アディナは早起きが苦手である。

 寝起きが悪いのではなく、ベッドの中でうとうとする時間が好きで、すぐには起き上がりたくないのだ。だがしかし学生の身としては、どうしても決められた時間に起きなければならない。

 仕方なしにベッドから出てきたアディナを、待ち構えているのはマーニャだ。彼女が用意してくれた水で顔を洗い、制服に袖を通すと、ようやくアディナもしゃんと姿勢を正す。


「髪型はいつもと同じでよろしいでしょうか」

「ええ、いいわ。リボンはこれね」

「かしこまりました」


 マーニャは手際よく、癖のない美しい金髪をハーフアップに仕上げた。あとは化粧を施せば、朝の身支度は終わりである。


「今日もありがとう」

「とんでもございません。そろそろ朝食の時間ですよ。皆様もお待ちになっているでしょう」


 クリュシオン家では、家族全員で食卓を囲むのが決まりだ。一人でも欠けていれば食事が始まらないため、アディナは朝食の席へと急ぐのだった。


「あっ、お姉さま!おはようございます!」


 食卓には既にアディナ以外の家族が揃っていた。アディナが姿を見せるなり、歳の離れた妹のフローラがにこにこと挨拶をする。あまり容姿の似ていない二人だが、姉妹仲はとても良好だ。


「おはよう、フローラ。そのドレス、すごく良いわね。あなたによく似合うわ」

「ほんとうですか?うれしい!でも、お姉さまとおそろいの制服も着たかったです」


 アディナは今年度で学園を卒業する。姉と一緒に通えないことが、フローラは心底残念そうだった。


「じゃあフローラが学園に通える歳になるまで、休学しようかしら」

「朝から馬鹿なことを言わないでください」

「あら、ルカ。おはよう」


 朝食を運んできたルカは、げんなりとした様子で皿を置いた。


「フローラのためだもの。学園長を脅すのも、やぶさかではないわ」

「やぶさかであってくださいよ」

「おどすって、なにをするのですか?お姉さま」

「ちょっとお話し合いをするのよ」

「そんなどす黒い笑顔で、何を話し合うのですか…」


 アディナの奇天烈発言は、当主であるランドルフの声で、一先ず打ち止めとなる。


「さあ、食事にしよう。清浄なる水の女神に感謝を」


 和やかな雰囲気のまま朝食が済むと、ルカは馬車の準備のために、食堂から姿を消した。

 アディナ達、貴族の若人が通う『王立エルド学園』は、馬車で二十分ほどの場所にある。送迎はルカが付き添ってくれるので、アディナはその時間が大好きだった。学園へは当然、アディナ独りで送り出されるのだから、ルカと二人きりになれる貴重な機会はそこしかない。

 どことなくご機嫌なアディナを呼び止めたのは、父のランドルフであった。


「…あまり彼を困らせるものではないよ」

「わたしだって、困らせたい訳ではありませんわ。わたしの虜になってくれれば、とは思っていますが」


 それを聞いて、父親はどんな顔をすれば良いのか。ランドルフは非常に複雑な表情を覗かせた。一方でアディナも、すっと笑みを消すとやや強張った声で告げた。


「…再三申し上げた通り、わたしは"あの人"のようになりたくないだけです」

「アディナ…」

「幸せも、後悔も、すべて自分の意志で得たいのです。わたしの我儘を許してくださったお父様には、心から感謝していますわ。それでは時間ですので、失礼します」


 遠ざかっていく華奢な背中を見送ったランドルフは、眉間に皺を寄せ、重苦しい溜息を吐くのだった。




 小窓から横に流れていく景色を眺めるアディナに、ルカは気遣うような声をかけた。


「いつもより口数が少ないですが、何かありましたか?」


 馬車に乗り込む前からお喋りするのが常のアディナにしてはやけに静かで、ルカが心配するのも無理はない。その優しさが嬉しくて、アディナにいつもの笑顔が戻ってくる。


「悲恋について考えていたら、少し感傷的になってしまったみたい」

「あ、はい。そうですか」

「ねえ、ルカ。人生経験として、一度くらいは失恋しておくのもありだと思う?」

「心配して損しました」

「どうせならこっ酷く振られた方がいいかしら。当て馬の役回りは辛いけれど、物語を盛り上げるには必要な演出だものね」

「俺の言葉、届いています?」

「ああでも、やっぱりハッピーエンドが一番よね!悲しみに暮れて終わるなんて、後味が悪いわ」

「…そうですね。お嬢様には涙より笑顔の方が似合います」

「まあ!嬉しいわ、ルカ」

「聞こえてるじゃないですか!」

「初めからちゃんと聞いてるわよ」


 その後は言わずもがな、アディナがルカを振り回し続ける、いたって普段通りの二十分間であった。


 立派な門を通過すると、風格漂うれんが造りの学舎が生徒達を出迎えてくれる。ここが由緒正しき名門『王立エルド学園』である。


「いってらっしゃいませ」

「ええ。それじゃあ、また夕方にね」


 ルカと別れた途端に、アディナは落胆の色をにじませた。


「ルカったら『俺ならお嬢様を悲しませたりしません』くらい言ったらどうなのよ」

「教室にも行かずに、こんな所で独り言かい?」


 背後から不意に声がかかったが、アディナはあくまでも優雅に振り向く。

 そこにいたのは、銀髪が眩しい美男子だった。アクアマリンのような瞳と相まって、冷たい印象を持たれそうなのに、柔らかい微笑みと声色のおかげか、親しみやすさがある。


「クライヴ殿下。おはようございます」


 相手が誰だかわかると、アディナはお手本のような姿勢で頭を下げた。銀髪の美男子はクライヴ・ソルジェンテ。この国の王子であり、アディナと同様、エルド学園の最上級生でもある。


「ああ、おはよう」

「つい先ほどの出来事なのですが、聞いてくださいますか?殿下」

「遠慮しておくよ」

「そう仰らず」

「是非とも遠慮したいんだ。察してくれ」


 ルカが言っていたように、二人は学園に入学する前からの、旧知の友人だった。お互いに敬意を払う気持ちはあれど、遠慮が無いのはその所為である。


「では、新たに思いついた作戦の方をお話しいたしますわ」

「結局、君の執事の話からは逃れられないんだな…」


 クライヴはこれまで散々、焦げ茶色の髪と瞳の執事について、半ば強制的に聞かされてきた。なのでアディナの恋心は、嫌という程知っている。


「どうせ、今日も隣にお座りになるのでしょう?それなら話くらい聞いてくださっても、良いではありませんか」

「わかったよ。君の言葉を借りるなら、私達は『共謀者』だからね」


 クライヴとアディナはそれぞれ目的があって、学園内での行動を共にすることが多い。

 クライヴは他の令嬢への牽制を兼ねて、そばにアディナをおいている。というのも、クライヴにはまだ婚約者がおらず、空席となっている座を得ようと、令嬢が群がってくるのに辟易していたのだ。

 そこへいくとアディナなら身分的にも問題は無いし、貴族の頂点に立つ公爵家には周囲を黙らせる力がある。そして何より彼女の、肝の据わった性格が決め手となった。令嬢達からの羨望と嫉妬をものともせず、あっけらかんと過ごせる図太さが必要だったのだ。

 他方、アディナの目的はかなり稚拙である。ひと言でいえば『ルカに嫉妬されたい』だ。クライヴとの仲睦まじい様子を見せつければ、嫉妬して恋心が芽生えるのではないか。そんな打算でアディナは王子と共同戦線を張ることを決めたのだった。


「来週末、入学パーティーがあるのは当然ご存知ですよね」

「もちろん」


 教室には数人がけの机がいくつも設置されている。その中でも窓に近い席を選び、アディナとクライヴは並んで腰を下ろした。

 生徒達は受けたい講義が行われる教室へ、各自赴くのがこの学園のルールだ。席順も決まっておらず、授業毎に好きな場所を選べるのだが、クライヴの隣を狙う令嬢は後を絶たない。だから彼は大抵、アディナを自分の隣へ座らせるのだ。肩肘張らずに済む相手は、色々と楽である。

 ただしその代償として、アディナの奇想天外に付き合わされることになるのだが、それくらいは目を瞑っている。


「生徒達の支度と会場の準備のために、使用人を連れてくることができる…千載一遇のチャンスですわ。殿下とわたしの素晴らしいワルツを披露して、ルカに『なんだろう、このモヤモヤした気持ちは…』的な思いを抱かせてやるのです!」

「…その作戦、すでに三回くらい失敗してないかい?」

「五回ですわ」

「うん、もう無理じゃないかな」

「決めつけはよくありませんわよ」


 小声で話し合っているため、周りにいる生徒達は会話の内容まで聞き取れない。だが、仲の良さは充分に伝わってくる。


「今日も仲良しですこと」

「何故アディナ様は婚約者でないのかしら」

「お話ししているだけで、絵になるお二人ですわ」


 こんな具合で、良い感じに誤解は広がっていくのであった。


「くっつき加減が足りないのかしら…今回はかなり体を密着させて踊っていただけます?」

「君は堂々と何を言っているんだ」

「それを見たルカが『俺のお嬢様とあんなにくっついて…』とか思うかもしれませんわ」

「踊りにくいだけだと思うよ」

「それならよろけた拍子に、殿下がわたしの腕ではなく胸を掴めば万事解決ですわね。『降って湧いた好色』の出番です」

「君に恥じらいは無いのか?」

「ありますわよ。ルカ以外の殿方に触られるなんて虫酸が走りますけれど、相手は手強いんですもの。わたしも身を切る覚悟でいかなければ」

「…貶された気がするのは何故だろう」


 これが王子と公爵令嬢の会話である。

 遠巻きに眺めている生徒が知れば、卒倒するに違いなかった。

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