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 秋のパーティーは、修羅場と成り果てていた。パトリシアはふてぶてしく笑いながら、アディナを断罪しようと、ありもしない罪を並べ立てる。


「まず、出会い頭にエミリー様を転ばせたとか。廊下で目撃した方がいましてよ」


 パトリシアの側には、いつぞや廊下で出会った二人組の姿があった。大方、あの時の出来事を、自分達の都合の良いように伝えたのだろう。エミリーから教科書を取り上げて楽しんでいたのは彼女達だというのに。


「ダンスの合同授業では、エミリー様の踊りをこき下ろしていらっしゃいましたわね」


 それはエミリーが教えてほしいと頼んできたので、指導したまでのことである。少々、手厳しかったかもしれないが、悪しざまに言った覚えはない。そもそもアディナは何よりも先に、踊れることを褒めたはずだ。


「それにわたくし、中庭でエミリー様を泣かせているのを見ましたのよ。アディナ様は水に濡れた教科書を投げつけて、嘲笑っておられましたわ。これでもまだ、身に覚えがないと仰いますか?」


 事実を捻じ曲げられたアディナはというと、微妙に感心していた。


(ここまで悪いように捉えられると、逆に清々しくなるわ)


 微塵も動じないアディナはともかく、一般的な感性を持っているエミリーは憤慨した。アディナとの大切な思い出を汚されて、怒るなというのが無理な話である。


「いい加減にしてください!!全部デタラメじゃないですか!!」

「まあ、さすがはアディナ様ですわ。手抜かりございませんわね。被害者であるエミリー様に擁護させるなんて。いったいどのような脅しを使われたのか、教えていただきたいですわ」


 これではエミリーがどれだけ反論しようが、すべてアディナが言わせていると、とられてしまう。躍起になればなるほど、余計に信憑性が増しそうだ。エミリーは悔しげに唇を噛むしかなかった。


「それで終わりかしら」

「はい?」


 相変わらず微笑んだままのアディナは、悠然と腕組みしていた。


「何やら色々と仰っていたけれど、全部パトリシアさんの主観じゃない。そんな個人的な意見は、証拠に成り得ないわ。実に浅はかね。喚いて恥を晒すより、静かにしていた方が賢明でなくて?」


 鼻で笑われたパトリシアは、笑みを引きつらせる。だが、こう言われるのは彼女としても予想の範疇だった。


「…では、動かぬ証拠を提出すれば宜しいのですね?」

「ええ。出せるものならどうぞ」

「そうですか…先日、エミリー様は私物を紛失なさったようです。ひどく慌てた様子で、学園内を探し回っておられましたから。あと探していない場所といえば、他人様の鞄の中ですわ」

「わたしの鞄に、エミリーさんの紛失物が入っているとでも?」

「わたくしとて疑いたくはございませんが、証拠を出せと仰る以上、調べるより仕方ありませんわ」

「確かに、それなら言い逃れできないわね。でもわたしだけ調べられるのは不公平だと思わない?」

「でしたら、わたくし達の鞄の中身もお見せいたします」


 余裕たっぷりといったパトリシアの様子に、エミリーは疑わずにはいられなかった。何か仕組んでいるに違いない。彼女は不安に揺れる瞳を向けるが、アディナは前だけを見据えていた。


「鞄は自分の使用人に持って来させましょう。互いに互いを見張ってもらえれば、不正はないと思いますわ」

「それでいいわよ。ルカ」


 騒ぎが始まる前から、こっそりアディナを目で追っていたルカは、騒ぎが始まってからもずっと彼女を案じていた。しかし、執事の自分がしゃしゃり出る幕は無い為、辛抱して傍観していることしかできなかった。アディナに呼ばれたルカは、抑えていた気持ちを発散させるかのように、大股で歩み寄っていく。


「はい、お嬢様」

「教室からわたしの鞄を持ってきてちょうだい」

「かしこまりました」


 ルカと目が合うと、アディナは微かに目尻を緩めた。心配しないで鞄をとってくるだけで良い、ルカはそう言われた気がした。

 常ならばただ綺麗な赤薔薇の瞳の奥に、烈々しい光が見え隠れしているのを見てとった瞬間、ルカは心の中で「終わったな」と思った。言うまでもなく、彼女をキレさせた令嬢達が、である。

 事前になんの相談も指示もされなかったが、ひたすらアディナを信じる事。それが今、彼女の執事としてできる最善だった。


 ルカはその他数名の使用人達に見張られながら、アディナの鞄をとりに行った。同様にルカも、彼らの挙動に目を光らせていたが、特に怪しい動きはなかった。


「お持ち致しました、お嬢様」

「ありがとう、ルカ」

「さっそく、鞄の中身を見せていただきましょうか」

「ええ。でもその前に確認しておくわ。エミリーさん、あなたの宝物は何かしら」


 アディナにじっと見つめられ、そこから何かを感じとったエミリーは、今しがたの台詞を頭の中で反芻してから、ゆっくりと答えを述べる。


「…ハンカチです。白色の…」

「そう。白色のハンカチね」

「………え…?」


 この時、思わずといった感じで小さな声を漏らしたパトリシアの顔からは、笑みと余裕が跡形も無く消えていた。それに気付いていながらアディナは敢えて無視し、言葉を続ける。


「ルカ、わたしの鞄を開けて逆さまにしなさい」

「はい、お嬢様」

「パトリシアさんの使用人の方も、同じようにしていただけるかしら」

「は、はい」

「ちょっと待…っ!」


 パトリシアの制止は聞かれず、二つの鞄は同時にひっくり返された。派手な音を立てながら、教科書やら筆記具やらが床に散らばる。アディナの鞄から出てきたのは珊瑚のブローチ。パトリシアの鞄から出てきたのは、白色のハンカチだった。


「そんな…う、嘘……何かの間違いですわ!!」


 真っ青になって狼狽えるパトリシアには一瞥もくれず、アディナはハンカチを拾いあげると、エミリーに手渡した。


「あの…アディナ様、これは…」

「よかったわね。失くしたものが戻ってきて」

「……はい。ありがとうございます」

「いいのよ。気にしないで」


 アディナの眼力に押されたエミリーは大人しく頭を下げる。正直、訳がわからないが、アディナに従っておくべきなのは理解していた。


「さて、動かぬ証拠が出てきたけれど、身に覚えがないと仰るつもりじゃないわよね?パトリシアさん」

「……どういうことですの…?失くしたのはブローチのはずでしょう…?だって……」

「…私、失くした物がブローチだなんてひと言も言っていませんが…」

「!!」


 エミリーが戸惑いがちに告げた通り、彼女は誰にも、それこそアディナにでさえ、私物を紛失した事を口外していなかった。しかしながらつい先刻のやり取りで、皆の頭には「紛失物=白色のハンカチ」という図式が出来上がっている。

 パトリシアはハッとなってアディナを見た。圧倒されるほど美しい令嬢は勝ち誇った顔をすることもなく、ただこの場に立ち続けている。それが必然であるかのように。パトリシアは所詮、アディナの掌中にあったのだと、悟らざるを得なかった。


 実際のところ、エミリーが失くしたのは珊瑚のブローチの方だった。オーウェンと交換したハンカチは、今もちゃんとポケットに入っている。アディナが手渡してきたハンカチはよく似た偽物だ。

 あなたの宝物は何かしら、と問われたエミリーは、引っかかりを覚えていた。何故アディナは「紛失物」と言わず「宝物」と言ったのか。その真意は不明だったものの、嘘がド下手らしい自分は正直に話すしかないと思い、エミリーは「宝物」について答えた。

 一言もハンカチが「紛失物」だとは言っていないのに、アディナは巧みにパトリシア達を騙してみせた。騙したでは語弊がある。勝手に向こうが自滅しただけだ。


「…くっ……で、では何故、アディナ様の鞄から、ブローチが出てくるのです!?」


 パトリシアは苦し紛れの抵抗を見せる。だが、そんなお粗末な攻撃がアディナに通じるわけがなかった。


「ああ、このブローチ?わたしがエミリーさんに贈ったものだけれど、よく見たら欠陥があったの。だから買ったお店に問い合わせようと思って、一時的に返してもらっただけよ。書き置きは見なかったのかしら?」

「い、いえ。気がつきませんでした…」

「そう。風で飛ばされたのかしら。紛らわしい真似をしてごめんなさい、エミリーさん」


 アディナの説明は完全なる出まかせだった。しかし、それが嘘だと分かっていても、パトリシアは唇を噛むことしかできない。まさか「わたくしが盗み出し、アディナ様の鞄に忍ばせましたの」と事実を告げたところで、単なる自供である。何も知らない大勢の生徒達は、アディナの白々しい嘘でも真実に聞こえているのだから、パトリシアではもう覆しようがない。


(す、すごいです、アディナ様。いつのまに手を回して…そもそもどうして私がブローチを盗られた事を…?)


 憤るだけのエミリーとは格が違うと、つくづく思い知らされる。鮮やかな手腕に、思わず拍手を送りそうになった。


「……よくも、わたくしを嵌めましたわね」

「忠告したじゃない。大人しくしていた方が賢明だって。先輩の話はちゃんと聞くことね」


 珊瑚のブローチを盗み、必死に探し回るエミリーを嘲笑っていたパトリシアは、憎しみのこもった視線をぶつける。だが、アディナは微笑んだまま、その表情を変えることはなかった。

 エミリーはアディナの教えをきちんと守っていた。ハンカチが宝物だとバレないよう細心の注意を払い、気を緩めるのはアディナの前だけだったので、パトリシア達に感付かれずに済んだ。無論、ブローチだってとても大切な物だったが、制服につけていたために隠しようがなかった。今回はそこに付け込まれた訳だが、予め察知していたアディナにより難を逃れることができたのだった。


「何か言うべきことがあるでしょう」


 尊大に腕を組み、アディナは双眼を細めてパトリシアを睨む。

 それにより、頭の血管が切れたパトリシアは、悪魔のような形相で手を振りかぶった。ところがその手は、アディナの頰を打つ前に動きを止められる。咄嗟にルカが割り込んで、パトリシアの手首を掴んだのだ。その間アディナは微動だにしていない。それは、ルカに絶大な信頼を寄せているという無言の主張でもあった。


「ルカ、離していいわよ」

「…はい」


 そう言い終わるやいなや、アディナは足を払い、パトリシアに膝をつかせた。勢いよく顔を上げたパトリシアだったが、自分を貫く赤い宝石のような瞳に体が竦んでしまった。誰を怒らせ、敵に回したのかを理解するには遅すぎた。傍で見ていたルカは可哀想にと思ったものの、アディナに手を上げようとしたので同情はしない。


「それで?」

「……も、申し訳…ございません、でした…」

「誰に謝罪しているのよ」


 艶やかな弧を描いている口元が拍車をかけ、今のアディナは途轍もなく怖い。下手をすれば、大人でも逃げ出してしまいそうな迫力がある。歯向かう気力を根こそぎ削がれたパトリシアは、のろのろとエミリーの方へと向き直り、謝罪の言葉を述べるのだった。


「パトリシアさんだけに謝らせるつもり?」


 アディナがひと睨みすれば、取り巻きの令嬢達も震えながら、慌ててエミリーに頭を下げた。


「まだいるでしょう。エミリーさんが編入してから、一度でも嫌がらせに加担した方は、速やかに名乗り出なさい」


 身に覚えがある令嬢達は、何とかこのままやり過ごそうと人の影に隠れていた。だが、それを見過ごすアディナではない。聞こえよがしに溜息をつくと、ここへきて初めて微笑みを引っ込めた。


「聞こえなかったのかしら。このわたしが、名乗り出ろと言ったのよ。今この場で謝罪するか、後から家ごと叩き潰されるか、どちらか選びなさい」


 クリュシオン公爵家ほどの権力があれば、小さな貴族一つ、没落に追いやるのもわけない。アディナの性格上やりはしないが、脅しとしては十二分に効果を発揮した。顔色を失った令嬢達がぞろぞろと出てくる。これだけの徒党を組んでおいて、アディナひとりに勝てないとは、みっともなさも倍増だ。


「あとはエミリーさん好きになさい」

「ええっ!?」

「あなたが被害者なのだから、当然でしょう」


 一人ずつきっちりエミリーに謝罪させた後、アディナは事件をあっさり丸投げするのだった。


「エミリーさんが望むような処罰が下るよう、学園長とお話し合いするのも、やぶさかではないわよ」

「………」


 今日ばかりはルカもツッコまなかった。

 エミリーは慈悲を乞う、いくつもの瞳を視界にとめた。そして一旦、唇を引き結んでから口火を切る。


「…私は貴族の令嬢として未熟で、皆様を苛立たせてしまうこともあると思います。そのせいで私自身が悪く言われるのは一向に構いません。ですが、私以外の人を巻き込むのは、金輪際止めてください。次は許しません」


 これは余談だが、自分を虐めた令嬢達を寛大に許したエミリーは聖女と呼ばれ、後日、名乗り出なかった令嬢を徹底的に調べ上げ、停学処分を叩きつけたアディナは悪役令嬢と呼ばれることとなり、学園の伝説に名を残すのだった。


「当事者がこう言っているんだ。これで今回の件は幕引きとしよう。皆、異論はないか」


 成り行きを見届けていたクライヴが進み出て事態を収束させると、人集りは散っていった。失意のどん底で項垂れるパトリシアの様子から察するに、数多の令嬢と同様、彼に想いを寄せていたようだ。それで、いつもクライヴの一番近くにいるアディナを目の敵にし、前々から目障りなエミリー共々追い落としてやりたかったのだろう。

 だが、今日この場を舞台に選んでしまったのが、パトリシアの運の尽きだった。ルカに要らぬ心配をかける事を、アディナが許すはずがないからである。


「傍観を決め込んでいたくせに、ここぞとばかりに出張ってきたわね」

「殿下に聞こえちゃいますよ、お嬢様」

「……聞こえているんだが」

「あら、失礼致しました。それにしても、ワルツを踊りまくるより疲れたわね」

「アディナ様!一緒に腹ごしらえといきましょう!」

「あなたは元気ね、エミリーさん…って、なんで泣いているのよ」

「か、勘違いしないでください!これは嬉し涙ですからね!」

「あなた…やるわね!なかなかの『つっけんどん娘』よ!」

「へ?」


 さっきまでの冷酷無比な令嬢はどこへやら。すっかりいつもの調子に戻ったアディナに、ルカもクライヴも苦笑いしか出てこなかった。


 二人で腹ごしらえをしていた時、唐突にエミリーが声を上げた。


「あっ!そういえば、このハンカチ…」

「差し上げるわよ。ブローチも落とした時に少し歪んでしまったみたいだし、また改めてプレゼントするわ」

「いえ!大丈夫です。これがいいです!」


 落とした衝撃で傷だらけになったブローチは、アディナが救ってくれた証だった。エミリーはハンカチ共々、至極大切そうに両手で包み込む。


「私、アディナ様のご親切を絶対に忘れません。いつか必ず、受けたご恩に報います!」

「殊勝な心がけね。期待して待っているわ」

「はい!とりあえず、新刊が出たらいの一番にお持ちしますね!」

「よくわかっているじゃない」


 こうして、ひと騒動あった秋のパーティーは終わり、アディナの部屋には新しい本棚が設置されたのであった。

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