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 全七巻に及ぶ恋愛小説を読破した晩のこと。アディナは、女三人による作戦会議の答弁を思い返していた。


『時には、想いを口に出すことも大事ですよ!アディナ様!』


 そう熱心に勧めていたのはエミリーだ。


『男の人に言ってもらいたい気持ちはわかります。でも、言わなければ伝わらないこともあるんです!』

『僭越ながら、私もそう思います』


 マーニャもエミリーに同調する。二人の勢いに目を瞬かせるアディナは、ややあってじわじわと頰を色付かせた。


『………ルカに、好きって言う…?』


 実際にその場面を想像したのだろうか。瞳との境界が曖昧になるくらい赤くなったアディナは、伏せ目がちに呟いた。


『い、今のお顔を見せれば、ルカさんはメロメロですよっ!』

『ひゃ、百発百中に違いありません!』


 何故か二人まで釣られて赤面し、あわあわと落ち着かない様子を見せるのであった…


 全七巻の物語の中で、主人公の女の子は勇気を出して告白するものの、振られてしまう。しかも一度ならず何度も何度も。それでも女の子は諦めず、最後はめでたく両思いになる、そんな話であった。

 読み応えのある感動のストーリーを堪能したはずなのに、アディナの顔はひどく物憂げだ。


(わたしも物語の主人公のように、勇気を出して告げるべきなのかしら…)


 乙女心としては、やはり言ってもらいたい。だが、アディナの作戦はことごとく失敗している。それを考えると、エミリー達の意見に従った方が得策なのだろう。


(でも……何となくだけれど、ルカをひどく困らせてしまう気がするわ)


 別に振られるのは構わない。いや、それも辛いのだがアディナが本当に辛いと思うのは、ルカが苦しそうな顔をすることだ。夜の海で聞いたような胸を締め付ける切ない声は、あの一度きりで充分だった。

 ルカの押し隠した本心には辿り着けていなくても、誰よりも長く共に過ごし、積み重ねてきた時間がアディナの勘を鋭くしていた。「好き」と伝えれば、ルカは激しい葛藤の末にアディナを拒んだだろう。そうすることが最善だと、彼は信じているからだ。


(……やっぱり言えないわ)


 できることならアディナだって、この想いの丈を伝えたい。毎日のふとした瞬間に、大好きよと言葉にしたいと思う。しかし、それがルカの負担になってしまうのであれば、アディナは一歩を踏み出す勇気を持てないのだった。




 そして、大して代わり映えしない日々は過ぎていき、季節は秋になりつつあった。

 エルド学園では、定期考査における成績上位者の発表が行われていた。普段はわざわざ見に行くことすらしないアディナも、この時期だけは張り出された順位を確認しにいく。というのも結果いかんにより、面倒なスピーチを押し付けられるか否かが決まるからである。

 気になる結果だが、アディナの名前は二番目に書かれていた。先頭はクライヴである。ただし点数は同じだ。二人とも満点で、同率一位だった。


(さすがは殿下ね。約束を守ってくれたわ)


 その約束とは「必ず殿下が一位をとってください」というものである。公爵家の令嬢として評判を損なわないために、アディナは勉強において手抜きはしない。手は抜けないが首席は面倒だから嫌、という身勝手な拘りがあったので、クライヴに追い抜いてくれとお願いしたのだ。

 ここで一位になった生徒は秋のパーティーにて壇上に上がり、スピーチを任される。それが非常に面倒くさいアディナは、上手いことクライヴに押し付けたかったのである。


「君も満点とはね。危なかったよ」

「わたしを二番にしてくださって、ありがとうございます」

「普通は感謝を述べるところじゃないんだが…」


 秋のパーティーは、パーティーと称すほどの華やかさは無かった。最上級生が下級生達に向けて行う、激励会みたいなものだ。それ故にドレスアップもしないし、ダンスもない。一応、立食形式の料理は並べられるので、辛うじてパーティーと言えなくもないが、アディナに言わせれば「四つある中で最も廃止すべきパーティー」である。

 もしアディナが不幸にも一位になっていた場合、この催しがいかに無駄かを懇々とスピーチしてやるつもりだったので、学園側としても助かったと言える。


「今年は激励したい相手がいるだろう?」

「やるなら個人的にいたします。それよりも重要なのは、ルカが手伝いに駆り出されるという一点のみですわ」

「本当にブレないな君は…逆に安心するよ」


 廃止すべき地味なパーティーだろうが、学園の教師陣だけで取り仕切るのは難しく、例のごとく生徒の使用人が手伝いを引き受けるのだ。アディナの関心はそこにしかない。


「めかしこめない分、作戦を練らなければなりませんわ。わたしもメイド服を着て、使用人に紛れるのはいかがでしょう?」

「彼にはすぐバレてしまうと思うよ」

「では執事服の方が良いですか?」

「まずは使用人に紛れるという発想を止めるべきだな」

「昨年も一昨年も、こっちを向きなさいと念じるだけで終わってしまいましたもの。最後こそは力ずくでも振り向かせたいですわ」


 しかし秋のパーティーでは、アディナの思惑とは大分違う形で、ルカはおろか生徒中の視線を集めることとなる。




 クライヴらしい、堅苦しくはないものの生真面目さが抜けないスピーチに、割れんばかりの拍手喝采が起こる。大音響に混じり、アディナも賞賛の拍手を送っていた。


(殿下のスピーチが終われば、あとはただの立食パーティーね)


 並べられた料理はどうでもいい。

 大事なのは出来上がった料理を並べているルカだ。


(まったく、またお皿ばっかり見て…)


 いっそもう一度ずぶ濡れにでもなれば、ルカが慌てて走り寄ってきてくれるに違いない。


(心配させてしまうのは悪いけれど、ルカの大きなジャケットに包まれるのは悪くな…いえ、最高だったわね)


 アディナはつい思い出し笑いしそうになり、慌てて緩みかけた表情を引き締めた。

 ここはひとつ、クライヴに足を引っ掛けてもらって可憐に転ぶ作戦でいくか。いやしかし、アディナの脚力は強靭だ。回し蹴りくらい披露してもらわねば、無様に転ぶことができないかもしれない。いつだったかの夜会で、ヒールが折れてもちょっぴりよろめいただけで切り抜けたアディナには、どのみち難しそうである。


「ごきげんよう、アディナ様」


 気が付けば、阿呆な事で延々と頭を悩ませるぽんこつ令嬢のもとへ、数名の女生徒が集まってきていた。そのうちの一人が、代表として一歩進み出る。


「あら、パトリシアさん。わたしに何か用かしら?」


 パトリシア・ノートロスは格式高い侯爵家の娘で、二年生に限定した序列の首位に立つ令嬢でもあった。簡単に言えば、二年の中で一番威張っている生徒ということだ。

 学年は違えど、アディナは彼女のことをよく知っている。何故なら、エミリーを虐めていた主犯格だからだ。


「エミリー様を見かけませんでしたか?先程から探しているのですが、見当たらないのです」


 この場には、学園の全生徒が一堂に会している。ルカに集中していたアディナは、自ら積極的にエミリーを探しに行ってはいない。だから向こうから探しにでも来ない限り、会える確率は低い。


「さあ?知らないわね」


 アディナはありのままを答える。すると、パトリシアの笑みが深くなった。


「そうですか。エミリー様と親しくしておられるアディナ様なら、何かご存知かと思ったのですが…」


 その言い方に含みがある気がして、アディナは優雅な微笑みの裏で嘆息した。またしても、エミリーは揉め事に巻き込まれたらしい。

 二人が対峙している間に、パトリシアの背後には二年生の令嬢達、もとい彼女の取り巻き達が集結していた。次第に会場にいる生徒達も何事かとざわつき始める。

 たった独りで立たされているアディナは、それでも微笑みを崩さない。


「パトリシア様、見つかりましたわ。医務室にいらっしゃいましたので、連れてまいりました」


 見計らったようなタイミングで、取り巻きの一人と思われる令嬢が報告を持ち帰った。医務室という単語に、アディナの眉がほんの少しだけ動く。

 人集りの中心に連れて来られたエミリーは、顔色が良くなかった。それに、左足を引き摺るようにして歩いている。同じく左側の頰にも、擦った痕があった。

 双眼をスッと細めたアディナは、どことなく冷ややかな口調で問い掛ける。


「エミリーさん。その怪我はいったい何?」

「えっと、階段で足を踏み外して…」

「前にも言ったわよね。あなたは嘘がド下手だって。正直に教えなさい」

「……誰かに背中を押されました」

「それは誰?」

「………」


 アディナの質問に、エミリーは言い淀んだ。再度、突き飛ばした犯人は誰かと問うたのは、パトリシアだった。

 答えない訳にも、誤魔化す訳にもいかず、仕方なくエミリーは事実を告げた。


「……後姿しか確認できませんでしたが…長い金髪のご令嬢でした」


 その瞬間、会場がどよめきに包まれた。そして全員の視線が、アディナの髪へと向けられる。長い金髪、それも非常に美しく艶やかな。非常時でも目に付いてしまうのだって頷けよう。

 まさかアディナがエミリーを階段から突き落としたのか?あれだけ親しくしておきながら?会場の空気は驚愕と軽蔑が増す一方だった。


「違います!アディナ様がそんなことをするはずありません!!」


 嫌な空気を一刀両断すべく、エミリーは声を張り上げた。パトリシアを睨むが、当の彼女は意地悪く笑っているだけだ。


「アディナ様ではない、という証拠も無いのに、声を荒げないでいただけます?」

「それを言ったら、わたしが犯人だという証拠も無いでしょう」


 腹を立てるエミリーとは反対に、アディナは落ち着き払っていた。

 周囲から無遠慮な視線をいくつも浴び、多勢に無勢といった不利な状況の中で、アディナは臆することなく堂々と立っている。その凛々しさに、エミリーは一時、怒りも忘れて魅入ってしまう。


「そうですわね。ですが、今までのアディナ様の行動を思えば、疑われるのも当然かと存じます」

「身に覚えがないわね」

「シラを切るおつもりですか?わたくし達は知っておりますわ。アディナ様が幾度となく、エミリー様を虐めておられたのを!」

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