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多少のハプニングはあったものの、アディナ達は無事に別荘にたどり着いた。到着する頃には陽が沈みかけており、夕食を摂ったらすぐに就寝時刻となる。
寝間着になったアディナは、持ってきた小説を熱心に読み込んでいた。
「ねえ、マーニャ」
「どうなさいました?」
「持参した本と、エミリーさんから貰った本を照らし合わせた結果、すごい法則に気が付いたわ」
恐らくそれは大してすごくもない法則だろうが、マーニャは何も言わずに傾聴の意を表した。興奮するアディナは、夜空に輝く星のような目をして説明し始める。
「まずはここを見て。あとこっちも」
「………どうやら、素直になれない感じの主人公みたいですね」
アディナが指差す文章を読んでいくと、意中の彼に対して、きつい態度をとってしまう少女が描写されていた。
「そうなのよ!時代は『つっけんどん娘』だったのね!」
「つっけんどんむすめ」
「でもわたしが気付いたのは、それだけじゃないわ。暴言を吐いた後に『べ、別に〜なんだから!』とか『勘違いしないでよねっ』って、照れながら付け加えると効果抜群なのよ!それでときめかない殿方は出てこなかったの」
「はあ…左様で…」
「だから言うなれば『つっけんどんのち照れ屋さん』作戦ね!」
所謂『ツンデレ』である。
好きな人の前でツンツンした態度をとり続け、最後の最後にデレる、そのギャップが人気の秘密だ。しかしながら、こういうのは生来の性格からくるもので、どう考えても性根が真っ直ぐなアディナには不向きであった。
「……うまくいくといいですね」
アディナがまたしても空回りする未来しか浮かばず、マーニャはそれ以上、かける言葉が見つからなかった。
翌朝、マーニャが予想していた通りの惨劇が起こる。寝室から出てきたアディナに、ルカが挨拶しようとした矢先のことだった。
「おはようございま」
「ルカの馬鹿!!」
「!?」
この時点で、マーニャは額に手を当てていた。あらかた想像できてはいたが、これは酷い。酷すぎて目も当てられない。
「べ、別に本気でルカの頭が悪いと思ってるわけじゃないんだから!」
「!?!?」
「勘違いしないでよね!」
何故、朝から開口一番に罵られた挙句、謎のフォローを同じ人物から受けなければならないのか。アディナの言動は不可解なものばかりだが、今朝のこれはずば抜けている。対処の仕方がさっぱり思い付かないルカは、間抜け面で固まるしかなかった。
惨劇というより、滑稽すぎる寸劇を繰り広げた張本人は、期待していたような反応が見られず、不思議そうな顔をしていた。
(あら?おかしいわね。赤面しないわ)
照れを演出するため、普段よりチークを多めにのせたアディナは、ぱちぱちと目を瞬かせる。おかしくなっているのはアディナの方であると、気付く日はくるのだろうか。
(そういうことではないと思います、お嬢様)
奇妙な沈黙が流れる中、マーニャは主人の後ろで肩を震わせ、笑い出すのを必死に堪えていた。
「…罵り方が甘かったかしら」
「!?!?!?」
「でもあんまり酷い言葉をぶつけるのも悪いし……これは、さらなる研究が必要ね」
もう何がなんだか。誰か解説してくれという、ルカの嘆きは届かないまま、アディナは朝食の席へと行ってしまった。
かくして長い休暇が幕を開けたのだった。
「何がいけなかったと思う?マーニャ」
「察するに、初めから終わりまでですね」
「助言があればお願いするわ」
現在、アディナは着替えの真っ最中だ。フローラから砂浜で貝殻を探そうと誘われたので、動きやすい服装に変えているところである。今朝の失敗を次に生かすべく、アディナは着替えながらマーニャに改善点を尋ねていた。クライヴだったら「もうやめろ」で終わるのだが、マーニャは主人がやめると言うまで付き合い続けてくれる。
「そうですね…やはり雰囲気作りが大事だと思います。出会い頭に馬鹿と言われても、相手はちんぷんかんぷんかと」
「ただ台詞を真似すればいいだなんて、単純すぎたのね。なるほど…雰囲気作り……それならやはりデートよね!」
「この近くでは市場も開かれますし、一緒に行かれたらいかがです?」
「そうね!明日にでも出掛けるわ。今夜はもう一回、小説を読み直して予習しておかなきゃ」
気合い充分なアディナには悪いが、成功は果てしなく難しいように思うマーニャであった。
アディナは昼食の時間まで、フローラと綺麗な貝殻探しに没頭した。何事にも全力なのが、アディナの良いところでもある。判定役としてルカも浜辺に連れてこられ、あまり似ていない姉妹を遠くから眺めていた。
「お姉さま!この貝、うごきますわ!」
「これはヤドカリね。貝殻をお家にしていて、体が大きくなるたびに、お引越しをするのよ」
「貝殻のお家?いいなぁ」
日傘を差して波打ち際を歩くアディナは、まさに深窓の令嬢といった風貌だ。今朝の出来事は悪い幻のように思えてくる。眩しい黄金の髪を海風になびかせ、妹に優しく笑いかける姿を、ルカは自分しかいないのを良い事に飽きることなく目で追っていた。
しばらくすると、二人が貝殻を拾って戻って来た。どちらの貝殻がより綺麗か、判定役の出番である。フローラが元気いっぱいに、ルカの手袋の上へ貝殻を乗せる際、アディナはこっそり目配せをしてきた。ルカも心得たとばかりに頷く。台詞に起こすとしたら、こんな感じだ。
(フローラを勝たせるのよ。わかっているわよね?)
(もちろんです)
あとは上手いこと演出するだけである。勝負が拮抗している雰囲気を醸し出そうと、イメージトレーニングをするルカだったが、アディナが取り出した物を見下ろして、考えるだけ無駄だったことを悟った。
「……アディナお嬢様。これは貝殻ではありませんが」
アディナが拾ってきたのは、角がとれたガラスの破片だった。これは綺麗な貝殻探しという名目の勝負だったはずだ。貝とガラスでは、勝負にすらなっていない。
それなのに、アディナは得意げに笑っている。
「わたしが綺麗な貝殻を見つけた時には、すでにフローラが拾ってしまっているんだもの。フローラは貝殻探しの天才だわ」
「お姉さまったら、足もとに落ちてる貝殻にも気づかなかったのよ」
ルカは二人の会話から、アディナが貝殻を見つけても、わざと拾わずにいたことを察するのだった。フローラを喜ばせようとする優しさを垣間見て、思わずほっこりする。
「では、勝負はフローラお嬢様の圧勝ということで」
「えへへ、やったぁ!」
「今日のところは負けておくわ」
負け惜しみを付け加えるアディナ。この心優しい令嬢がどこをどう間違ったら、挨拶代わりに「ルカの馬鹿」と飛び出すことになるのか、ルカは大いに疑問だった。
(本当に…目が離せない)
ぽんこつなアディナも、姉として振る舞うアディナも、完璧な外面を繕ったアディナも、ルカの心を惹きつけてやまない。それはアディナが極めて美しい女性だからではなく、いずれの彼女であっても、根底に温かな思い遣りがあるからだ。
ルカが本気で『嫌』だと怒れば、アディナは即座にからかうのを止めることを、彼は知っていた。知っていながら行動に移さないのは、あんな馬鹿をやるのはルカ相手にだけ、という優越感があるためだった。
「ねえ、ルカ」
「はい、お嬢様」
「海と言えば人工呼吸よね?」
「そんな定番、初めて聞きました」
こんな訳の分からないやりとりも、ルカにとってはとても貴重で愛おしいものなのだ。どっと疲れを感じる時もなくはないが、結局のところ、どこかで喜んでしまっている自分がいるのだから、どうしようもない。
「わたしが溺れたら頼むわよ。遠慮は要らないわ」
「そもそも泳がないじゃないですか」
うっかりアディナの柔らかそうな唇を見てしまったルカは、気まずそうに視線を逸らす。しかし、意地でも顔色には出さなかった。
「お姉さま、じんこうこきゅうって何ですか?」
「人助けの一つよ」
フローラのおかげで、アディナがたちまち姉の顔になったので、ルカはホッと息を吐くのだった。
正午を報せる教会の鐘が聴こえてくると、ブレンダが子供達を呼びに来た。フローラは駆け出し、アディナとルカも小さな背中をのんびり追いかける。
「お優しいですね、お嬢様」
「年の離れた妹を打ち負かす方がどうかしてるわ」
その優しさを使って、少しは頓珍漢な言動を治してもらいたいと願うルカであった。
彼の頭を悩ませているアディナはというと、慈しみの滲んだ声音と共に微笑んでいた。
「わたしはルカがしてくれたことを、真似しているだけよ。それを優しさだと言うのなら、あなたはさしずめわたしの師匠ね」
感動にも似た何かが胸に迫ってきたルカは、そのまま押し黙って彼女の半歩後ろを歩くのだった。




