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 王立エルド学園に通う生徒達は、最低でも春夏秋冬の四つのパーティーに出席しなければならない。その中で一つだけ、学園外で催されるものがある。それが今回の、通称"夏のパーティー"だ。

 正確には建国記念パーティーであり、会場が王城になるため、常ならば手伝いに駆り出されるルカも、今夜は付添い人専用の控え室で待機である。その点がアディナは毎年不服だった。


「ねえ、ルカ」

「はい、お嬢様」

「このドレスはどう?」

「よくお似合いですよ」


 馬車を降りてしまえば、恒例のやりとりもパーティーが終わるまでできなくなる。アディナが攻勢に出られる好機はここしかない。


「もう一声!」

「とってもよぉくお似合いですよ!」

「大きな声を出せって意味じゃないわよ」


 アディナ曰く『戦闘服』のドレスは、例のデートの時に購入したもの。肩はむき出しになり胸は強調される、大胆なデザインだ。これが不思議なことに下品ではなく、女性の色香を漂わせる仕上がりになっていた。


(はあ…『メロメロ色仕掛け』作戦失敗ね。これで何回目かしら。露出しても反応が無いなら、逆をついて隠すべき?でも夏だと暑いし…)


 ルカの反応がいつも通りだったので、アディナは唇を尖らせ、早速次の衣装を思案し始める。

 しかし、アディナは知らないだけで、ルカはちゃんと目のやり場に困っていた。会場に入るやいなや、男性の目線を釘付けにするのは明白。今すぐにでも、その豊満な胸を隠せる布をかけてやりたいルカだった。けれども、自分が選んだ色彩が非常に似合っているのもまた事実で、複雑な心境である。


「お嬢様、到着したようですよ」

「もう?はやいわね」


 ルカが扉を開けてくれるのを待ち、彼の手を借りながら馬車を降りる。

 会場では、ソルジェンテ国の王子であるクライヴが挨拶回りに勤しんでいた。アディナがやって来たのを見つけると、にこやかに近寄ってくる。アディナの金糸とクライヴの銀糸、並んでいるだけで輝きを放つような二人だ。


「国王陛下の主催となると、殿下も笑顔の振り撒きで大変ですね」

「第一声がそれとは、恐れ入るよ」


 しかし片方がこのざまなので、どうしようもない。

 アディナの良い所も変な所も知っているクライヴは、作ったような微笑みから、自然な苦笑へと表情を変えた。


「ファーストダンスを頼めるかい?」

「ええ。光栄ですわ」


 そう返事をしつつ、アディナはちらりとルカを見遣ったが、特に変化はなかった…のは表面上だけである。

 ルカは昔から、クライヴが苦手だった。

 何故なら彼は、自分からアディナを奪っていく存在だからだ。


 アディナと異なり、ルカには恋心を自覚する決定的な瞬間があった。それに大きく関与していたのがクライヴなのである。

 アディナを幼い頃から知っている使用人の一人として、仕えている主人に愛着を感じるのはよくある事。可愛いらしい子供から、美しい乙女へと成長していくアディナを、兄のような気持ちで見守っていたはずだった。

 幼年期から幾度も顔を合わせていたアディナとクライヴだが、次第に、将来の婚約を見据えて会談が設けられるようになった。二人は気が合うらしく、アディナは家族やルカに向けるような、弾けんばかりの笑顔をクライヴにも見せていた。

 その光景を目にした時、ルカは自分自身にぞっとした。胸の奥から溢れてきた感情が、あまりにも真っ黒だったからだ。可愛い妹分をとられた程度では済まされない激情。紛れもない嫉妬の嵐に、言い訳すら出てこなかった。

 クライヴがアディナをエスコートし、二人で楽しげに踊るのを見るたび、酷い羨望が体を貫いた。彼女の隣に堂々と立てるクライヴが羨ましいのと同時に、アディナの相手として彼以上に相応しい人物がいないのもまた、悔しくてたまらなかった。

 身分、容貌、性格、どれをとっても非の打ち所がないクライヴに、ルカは太刀打ちする気も起きなかった。平凡な執事である自分には、はなから比較の対象にもなれないのだ。

 何よりあのアディナが気を許している。認めたくなくても、無理矢理自分を納得させる以外、どうすることもできなかった。


「ルカ。悪いけど、終わるまで待っていてね」

「はい。俺に構わず、楽しんできてください、お嬢様」


 アディナがルカの元から離れて、クライヴと連れ立って歩いていくのを見送った回数は、もう数えきれない。そのくせ、胸に走る鋭い痛みも、湧き出てくるどろりとした感情も健在だ。奪われたくないのに、この上なくお似合いの二人だと認めざるをえなくて、反発し合う気持ちにルカはいつも苦しめられていた。アディナ達に背を向け、控え室へと歩き出すルカ。同じ会場に留まることすら叶わない夏のパーティーが、彼もまた好きではなかった。


「はあ…終わりましたわ」

「まだ開会の宣言もされていないのに、勝手に終わらないでくれ」


 こっそり溜息を吐くアディナに、クライヴは呆れ顔だ。笑顔を振り撒いていた時とは、違う疲れがある。だが、こちらの方が慣れている分、やりやすかった。


「ルカに見てもらえないパーティーなんて、終わったも同然ですわ」

「…すまないな。私のために」


 アディナなら、体調が悪いだ何だのと言い訳を作ってパーティーを抜け出し、控え室に入り浸るくらい平気でやりかねない。クライヴさえ居なければ、すぐにでも実行しているだろう。しかし、他の誰でもないクライヴのために、牽制役としてアディナは会場に留まっている。ルカのためだけに、目一杯おめかしをしてきても、結局はクライヴの都合の良い方向へと使われてしまう。


「その謝罪は受け取れませんね」


 アディナの言葉尻は、心外だとでも言わんばかりであった。


「わたしの特大の我儘が、誰のおかげでまかり通っているかくらい、承知しています」


 公爵家を担う令嬢としてあるまじき願いを、融通してもらっている自覚はある。家族に迷惑をかけ、クライヴにいらない気を遣わせている代わりに、アディナは自分にできることがあるなら、最善を尽くすつもりでいる。勉強で優秀な成績を収め続けてきたのは、その一例である。彼女は無駄に賢いが天才ではない。それ相応の努力を重ねたからこその結果だ。


「ルカのためのパーティーは終了ですが、ここからは『共謀者』としてのパーティーを始めます。不必要なことで謝っている場合ではありませんわよ」


 赤薔薇の瞳を闘志にみなぎらせ、形の良い唇は不敵な弧を描く。危うく引き込まれそうになったクライヴは、咳払いを一つすることで誤魔化した。


「…そうだな。君には余計な謝罪だった」

「ええ。それに、わたしに会うことを楽しみにしている人も、いらっしゃることですし」


 それが誰を指しているのか、クライヴはすぐにわからなかった。クリュシオン公爵家の権力にあやかりたいと目論む者は、この会場にごろごろ居るだろう。しかしアディナが言っていたのが、そういう連中でないことは明白。首を傾げていたクライヴは、やや遅れて一人の令嬢に思い至った。


「ほら、丁度お見えになりましたわよ」

「…なるほど。エミリー嬢か」


 かつては壁の花となり、ひたすら恐縮していたエミリーだが、アディナの姿を見つけるやいなや、頰を上気させて駆け寄ってくる。隣にいたクライヴへ、先に挨拶と祝いの言葉を述べてから、改めてアディナと向かい合った。


「これが例の『戦闘服』ですか?なんて妖艶な…!さすがのルカさんもメロメロだったのではありませんか?」

「残念だけどいつも通りね。言ったでしょう、ぬるい事ではルカを陥落させられないって」

「て、手強いです…」

「そろそろもっと過激な"降って湧いた好色"に挑むべきかしら」

「捨て身の覚悟ということですね!勇ましくて素敵です!」

「ええ、形振り構っている場合ではなくなったわ」

「そこは構ってくれ」


 見目だけは良い令嬢達の会話に、クライヴは目眩がした。


「盛り上がっているところ申し訳ないが、少しいいか?エミリー嬢」

「はっ、はい。殿下」

「失礼ながら君の置かれている状況は、あまり好ましいものではないだろう。私達といることで、悪化しかねない」


 彼も、アディナと同じ懸念を抱いていた。クライヴが声をかけた日を境に、エミリーの待遇を深刻化させた事を気にしているのだ。

 クライヴに対してはまだ硬い緊張のあるエミリーだったが、それでも萎縮することなく、はっきりとした声で返答する。


「殿下のお気遣いに、感謝申し上げます。ですが、私は大丈夫です。地に落ちた評判をわずかに上げるためだけに、自分の気持ちに嘘はつきたくありません。そうできるだけの勇気を、アディナ様からいただいたのです」


 校門の前で肩を落とし、影を背負っていた少女と同一人物とはとても思えない。その変わりように、クライヴは目を見張った。


「差し上げた覚えはないけれど、勝手に持っていったのなら結構よ」

「ありがとうございます!アディナ様のワルツ、楽しみにしていますね」

「あなたこそ、わたしが教えてあげたのに、無様なステップを踏んだら承知しないわよ」

「大丈夫だと思いたいです!」

「ただの願望じゃない」

「ですが私、どなたとも踊るお約束をしていませんし…」

「ダンスが始まれば、ひっきりなしに申し込まれるわよ。むしろ自分の足がもつかどうかの心配をなさい」


 エミリーの立場上、令息達からの申し出を断るのは難しいだろう。それを見越しての助言だったが、彼女は不思議そうな顔をしていた。

 エミリーが去った後、アディナは溜息混じりに「鈍感ね」と評した。


「いや君も…」

「何ですか?殿下」


 ルカの想いに気が付かないアディナも同類かと思ったが、この二人は少し特殊だったとクライヴは思い直す。


「何でもない。それにしても、随分と懐かれたものだな。まあ…わかる気もするが」


 アディナの生来の性格を考えれば、エミリーが慕うのも大いに頷けた。


「ルカを振り向かせる手法を考え合う仲ですから」

「…そうか」


 パーティーはこれからなのに、これ以上体力を削がれるわけにはいかない。クライヴはここで口を閉ざしたのだった。




 国王からパーティーの開会が宣言される頃には、会場内はより賑やかさを増していた。

 城に呼ばれているのは、学生達だけではない。国中の名だたる貴族が、建国の斎言を述べるために訪れているのだ。ランドルフは娘より先に会場に来ており、国王の側についている。

 さて、その娘のアディナだが、彼女の周りにも人集りが絶えなかった。というのも、クリュシオン公爵家の子供はアディナとフローラの二人。順当に考えれば、後継者はアディナとなる。次代の当主に顔を売っておこうと考える者が少なくないのだ。

 しかしながら、ルカと結婚する気でいるアディナは、進んで父親の後を継ぐつもりはなかった。当主の座はフローラに譲り、自分はエアトライ家に嫁入りする算段である。そうは言っても、まだ予定でしかないため、社交の場ではそれらしく振舞っていた。


「いやあ、アディナ嬢。また一段と別嬪さんになりましたなぁ。お父上は息災かね」

「お上手ですわね、ブラスト伯爵。ご無沙汰しております。父はあの通り元気ですわ」

「それは良かった。こう、歳をとりますと、いかに健康が素晴らしいものか、身に染みてわかるものです。おっと、いかんいかん。若者にする話ではありませんでしたな」

「そのようなことはございませんわ。ありがたく拝聴いたしました」

「談笑しているところすまない、ブラスト伯。そろそろ曲が始まるので、アディナをお借りしたいのだが」

「おお、クライヴ殿下。老いぼれがアディナ嬢を独占してしまい、申し訳ありませんでした」

「久方ぶりにお話できて嬉しかったですわ、伯爵」


 穏やかな御老人に一礼し、アディナはクライヴにエスコートされながら、ダンスフロアへと向かう。音楽隊がゆったりとした三拍子の曲を奏で始めると、二人は慣れた様子でステップを踏んだ。


「殿下」

「なんだい?」

「殿下のお相手についてですが、フローラはいかがです?」

「………ひとまず理由を聞こうか」

「ブラスト伯爵とお話していたら、ふと、年の差恋愛の是非について、ルカと言い合ったことを思い出しまして」

「それで私と君の妹に当てはめてみてはどうかと」

「さすが察しが良いですわね。わたしとブラスト伯爵に比べたら、殿下とフローラの年齢差など誤差に等しいですわ」

「十年余りを誤差と言い切る君の方がさすがだよ」

「フローラなら家柄も申し分ありませんし、お勉強も頑張って…あっ、やっぱりだめでした。この話は忘れてください」

「初めから覚えておく気もない」

「フローラがお嫁に行ってしまったら、次の当主がいなくなってしまいます」

「…君とルカが継いでもいいと思うが」


 クリュシオン家にとって、アディナが当主になるか否かは重要事項だが、その場合、彼女が誰を夫に選ぶのかはさほど重要でなくなる。公爵家より地位も財産も権力も上回る相手なんて、もう王族くらいしかいない。

 だからと言って、いくらなんでも平民が相手なのは唸らざるをえないものの、前例が全く無い訳でもない。公爵家と関わりを持ちたい他家からすれば大問題であるが、周囲の反対などアディナなら跳ね除けることができるだろう。

 しかし彼女は小さく首を横に振った。


「…お父様がそこまで許してくださるかどうか、わかりませんもの」


 周囲の反感はいくら買っても気にしないでいられるが、家族からの反対は互いに苦しくなるだけだ。アディナはルカとの結婚が叶ったあかつきには、どのような処遇であっても黙って受け入れる決意を固めていた。


「もとよりわたしは、アディナ・エアトライになる気満々なのです。駆け落ちの末、単なるアディナになるのも全然構いませんし、むしろどんと来いですわね」

「勇ましいな…」

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