14
おはようございます、と弾むような声が後ろの方から聞こえたので、アディナは足を止めて振り返った。
「おはよう、エミリーさん」
エミリーが追いつくのを待ってから、二人の令嬢は並んで歩き出す。悪目立ちしやすい組み合わせのため、一緒にいるだけで既にかなりの注目を集めている。
「朝から嬉しそうね」
「はい!朝からアディナ様にお会いできたからです」
「それは良いけれど、わたしといると、また余計な言い掛かりをつけられるわよ?」
「いいんです。仲良くもない人達のために、アディナ様と過ごす時間を減らすなんて、すごくもったいないですから!」
「言うようになったじゃない。その意気よ」
自信なさそうに俯くより、ずっといい。
どこか吹っ切れた様子のエミリーを見て、アディナも満足気である。
「アディナ様、今日のお昼は学食ですか?」
「いいえ。談話室へ行くわ」
「では、ご一緒しても構いませんか?」
「どうぞご自由に」
「ありがとうございます!」
そういえば、クライヴ以外の人間と昼食の約束をするのは、随分と久しぶりだ。
(でも、たまには悪くないわね)
エミリーほどではないものの、アディナも昼の休憩時間が、少し楽しみになってくるのだった。
「アディナ様は、ルカさんのどんなところがお好きなんですか?」
「全部ね」
「わあっ、熱烈ですね!」
待ちに待ったランチタイムは、惚気暴露会になっていた。恋愛小説に通じた者同士、この手の話は盛り上がって仕方がないのだ。エミリーが質問し、アディナが答えるというパターンで惚気話は進んでいく。
「それでも敢えて言うとすれば、何ですか?」
「そうね…わたしの頼み事を断る時、絶対に『嫌』とは言わない優しさかしら。『無理』とか『勘弁して』とは言うけれど」
惚気ている本人はしれっとしているが、話を聞いているエミリーの方が、顔を赤くしていた。
「えっと、では恋心に気付いた瞬間はいつでしたか?」
「劇的なきっかけはなかったわ。だから物語でよくある"稲妻が走ったような感覚"って、味わったことがないのよ」
「そうなんですか?"恋は落ちるものだ"とも聞きますが…」
「わたしの場合は、最初から落下地点にいたのね。結婚について考え始める年齢に達した頃、わたしも将来を思い描いてみたわ。そうしたら、ルカしか浮かんでこないんだもの」
結婚相手を自分で決定する権利は、七歳の時にもぎ取っていたため、アディナに用意された選択肢は無限にあるはずだった。ところがいざ、生涯の伴侶について考えだすと、たった一人しか思い浮かばなかった。しかも、どれだけ頑張っても、その人以外には考えられなかったのだ。
「その時、気付いたのよ。『わたしの心はルカでいっぱいなんだ、わたしにはルカしかいない』ってね。彼がルカだから、わたしは好きなの。全部って、そういう意味よ」
その瞬間、薔薇色の瞳にひときわ優しい光が灯る。一朝一夕では育めない、真摯で深い愛をエミリーはその光に見た気がした。
「……アディナ様っ!是非ともルカさんとの恋を成就させましょう!」
アディナとルカをくっつけるのに、俄然やる気が湧いてきたエミリーは、両手をぐっと握りしめる。アディナは「初めからそのつもりよ」と返しつつ、急に椅子から立ち上がったエミリーの足を払いのけ、強制的に着席させたのであった。
予鈴が鳴る前には話を切り上げて、午後の講義が行われる教室へ入ったアディナは、どこの席に座るか決める前に、令嬢達に囲まれた。あまり芳しくない雰囲気に、笑みは崩さないまま気を引き締める。
「少しばかり宜しいでしょうか?」
「構いませんわ」
「無礼は承知で申し上げます。最近、アディナ様の行動は、如何なものかと思わざるをえません」
「身に覚えがございませんが?」
予想はついていたが、アディナは敢えてとぼけてみせた。すると、令嬢達の眉がピクリと動く。
「ご冗談を。解っておいででしょうに」
「エミリー様のことですわ」
「たった一人を贔屓にすれば、学園の風紀に影響を及ぼします」
「アディナ様ほどのお立場の方なら、なおさらです」
思わず「やれやれ」と、口をついて出てしまいそうだった。成り行きとはいえ、エミリーと接するようになってから、こんな事ばかりだ。少し前のアディナならば、面倒くさいと一蹴していただろうが、今やエミリーは、身分差の恋に奮闘する貴重な同胞である。
そして、アディナを純粋な気持ちで慕ってくれる後輩でもあった。面倒事には違いないが、避けて通ろうとはもう思えない。
(何が風紀よ。「成り上がり貴族がいい気になって鬱陶しいわ」って思っているだけでしょうに)
学園に在籍している令息は、軒並みエミリーの虜だという専らの噂である。そこへ今度はクリュシオン公爵家まで加わったのだ。嫉妬の標的にされるのも自然な流れと言えた。
(そのあたりはエミリーさんの立ち回り方が、悪かったとしか思えないけれど)
はっきり言って自業自得だが、それはエミリー自身も理解しているだろう。
(あれしきで潰れるような、根性無しではないわ。それに、物語ではああいう健気で一途な女の子が報われるものよね)
アディナは口角を上げた。
孤立無援の中、好きな人に少しでも近付くため、涙をのんで辛抱し続けていたエミリーは、数人で群れなくては何もできない連中よりずっと好感が持てる。
「気に入った方を贔屓するのは、至極当たり前のことですわ。皆様だって、毎日のようになさっているでしょう?」
「なっ!?そんなこと…」
「あら。ではお気に入りの仕立て屋も無いし、お気に入りの料理人もいないと?皆様は歓談できるご友人と、社交辞令で終わる人との区別は一切しないと?」
権力者にとり入ろうと媚を売り、気に入った者がいれば愛顧する…そんなのは社交界の日常に過ぎない。
「エミリーさんとは共通の趣味があるとわかり、お話するようになったのですわ。皆様の口ぶりですと、それが悪い事だと仰りたいようですね」
身分の優劣に乗じて、媚を売るか売られるかの世界で生きているくせに、エミリーが気に食わないという理由だけで、よくも下らない訴えができたものだ。
「わたしは気の合う方と、お喋りすることも許されないのかしら?困りましたわね」
駄目押しの一言で、令嬢達は完全に沈黙するしかなかった。
(どうせなら、もっとマシな訴えを考えなさいよ)
例えば、クライヴへの不敬とか。これならばアディナの完全敗北である。反論の余地もない。
黙りこくってしまった令嬢達の横を通り過ぎ、アディナは改めて座る席を選ぶのだった。




