13
マスキル子爵家のドアノッカーが鳴る。来客の合図だ。エミリーは緊張の面持ちで、木製の扉を開けた。
「ごきげんよう、エミリーさん」
「ようこそお、おいで下さいまっ、ました!」
扉の外に佇む気品溢れる令嬢は、噛みまくりの挨拶に出迎えられて呆れた顔をする。
「自分のお屋敷でくらい、寛ぎなさいな」
「明らかに原因はアディナお嬢様ですよ」
同じような呆れ顔で正論を述べるのは、アディナに随行してきたルカだ。約束した通り、イゾレ国の恋愛小説を譲り受けるべく、アディナ自ら出向いたのである。
アディナは当然の礼儀でしょうと、どこ吹く風だったが、エミリーはそんな悠長に構えてられなかった。社交界で除け者にされている子爵家に、かのクリュシオン公爵家のご令嬢がやって来たのだ。一大事といっても過言ではない。
「あの…大したおもてなしはできませんが、ごゆっくりしてください。アディナ様」
「自分で『大したことない』なんて言ってどうするの。言い直しなさい」
「は、はいっ。精一杯、心を尽くしておもてなし致します!」
「やればできるじゃない。合格よ」
「ありがとうございます!」
(他所様の玄関先でダメ出しなんてしないでくださいよ…)
ルカのツッコミは尤もだった。しかし、アディナの珍行動のおかげで、エミリーの緊張はほぐれたらしく、柔らかく微笑みながらアディナを招き入れる。屋敷の中ではエミリーの両親が待っており、ぺこぺこと頭を下げられた。
「急な来訪でしたのに、温かく歓迎してくださって感謝申し上げます」
こういう時、アディナはぽんこつ令嬢ではなくなる。瞬時に切り替えるその巧みさは、もはや職人だとルカは密かに評している。
客室に通されたアディナは、丁重に箱詰めされた書籍を受け取った。アディナに渡すものだからと、エミリーは一冊一冊、不備が無いかを確認していた。時間のかかる地味な作業だったが、きちんと一頁ずつ調べ上げたあたり、彼女の几帳面さが窺える。
「本当にありがとう。エミリーさん。今から読むのが楽しみだわ」
「アディナ様に喜んでいただけて、私も嬉しいです」
「無償でいただくのはやっぱり悪いと思って、お礼の品を持ってきたわ。ルカ、お渡しして」
「はい。お嬢様」
「えっ!?そんな…お礼だなんて」
ルカから手渡されたのは、山盛りの焼き菓子と、数種類の髪留めだった。ちゃんとエミリーの髪色に似合いそうな品が選ばれている。明らかに本代よりも高くつく品々に、エミリーは再度遠慮しようかと迷ってしまう。しかしアディナが「わたしにとってそれだけの価値のあるものを、あなたは譲ってくれたのよ」と言うので、受け取る決心をした。
「…さてと。ルカ、エミリーさんと二人で話がしたいから、ちょっと席を外して」
「かしこまりました」
「馬車で昼寝していていいわよ」
「しませんけど、お気持ちだけはありがたく受け取っておきます」
アディナは客室からルカを追い出すと、やや身を乗り出してエミリーに向き直った。
「エミリーさんを見込んで、ご相談があるのだけど」
「私に!?アディナ様が!?」
「静かに!」
「申し訳ありませんっ」
あまりに意外すぎる切り出しに、エミリーは素っ頓狂な声を上げてしまった。すぐさまアディナの叱責が飛ぶ。
「…それで、ご相談とは何でしょうか」
エミリーは律儀に囁き声で聞き返す。居住まいを正したアディナは、わずかに赤くなりながら打ち明けるのだった。
「実はわたし、ルカのことが好きなの。ほら、一緒に来た執事よ」
「へえ、執事さんのことが…って…えっ!ええっ!?」
「声!」
「もごっ」
慌ててエミリーは両手で自分の口を押さえた。目をまん丸に見開くエミリーに構わず、アディナは話を続行する。
「恋愛小説を参考に、あの手この手で誘惑しているのだけど、全然効果が無いのよ。そこで、エミリーさんにもわたしの作戦に協力してもらいたいと思って」
「………」
エミリーの頭はまだ処理が追いついていなかった。聞こえてくる言葉の意味は解るが、嘘か真か判断しかねる事案である。だがしかし、次の質問にはほとんど反射的に答えていた。
「ところでエミリーさんは、身分差の恋に理解がある方かしら?」
「あります!すごく良いと思います!!」
「わたしの目に狂いはなかったわね」
にやりと笑うアディナだが、仮にクライヴが居合わせていたら「君は最初から各方面にトチ狂っているよ」と言ってくれただろう。
「で、作戦なのだけど」
「はい!」
「ルカを誘惑してきてちょうだい」
「はい!?」
「それを見たわたしが嫉妬しまくって、慌てふためいたルカに『俺はお嬢様一筋です!』みたいな事を言わせるから。作戦名はそうね…」
「む、無理です!できません!ごめんなさい!」
「どうして?」
「アディナ様の大切な想い人に、演技でも横恋慕するなんて嫌ですっ」
「あらそう?じゃあ次の作戦ね」
「まだあるんですか!?」
アディナの真骨頂を目の当たりにしたエミリー。混乱と驚愕は凄まじかったが、不思議と失望は一切していなかった。むしろ、なおいっそう親しみが湧いてきたというか…
(アディナ様って…お茶目な方だったんですね)
知られざる一面を目撃できて、ちょっと嬉しい気もした。アディナの暴走を、お茶目で片付けてしまえるエミリーも、なかなかの猛者と言えよう。
「差し出がましいようですが、アディナ様はそのままで充分魅力的ですから、さりげなくアピールすれば…」
「そんなぬるい事をやっている時代は終わったわ」
「ぬ、ぬるい…?では、おまじない等はいかがですか?」
「洗脳の一歩手前までは、色々試したわ」
「えっと…過激、ですね」
「最近は性別の逆転に備えて、男性パートのダンスも会得したのよ?他に打つ手はないか模索中だけれど、難航しているわ」
さっきから、聞き捨てならない言葉が多すぎる。エミリーはついていくのでやっとだ。いや、正直なところ、途中から置いてきぼりにされている。
(……でも、いいな。こんなにも真っ直ぐ、好きな人に積極的になれて…)
真っ直ぐかどうかは果てしなく怪しいものの、自分の恋に全力を注いでいるアディナが、エミリーにはとても眩しく映った。
何故ならエミリーも、到底叶いそうにない身分差の恋をしているからであった。アディナとルカの関係を知り、すぐさま応援する姿勢を見せたのも、このためだった。
「初心に帰って、エミリーさんのような可愛らしい女の子を目指そうかしら。以前は悲惨すぎて断念したけれど、今度こそ……エミリーさん?」
膝の上で拳を握り合わせて俯くエミリーに気付き、アディナは眉根を寄せた。もちろんこれは、心配してである。
「あっ…申し訳ありません。次の作戦についてでしたよね」
「…どうかなさいまして?」
「いえ…何でもありません」
「あなたは嘘がド下手ね。わたしばかり相談に乗ってもらうのは不公平だったわ。エミリーさんの悩み事も聞くわよ。まあ、無理強いはしないけれど」
「………あの…実は私も、好きな方がいて…イゾレ国の方なんですけれど、私とは身分が違いすぎるんです…」
唐突に始まったエミリーの恋愛話は、まさしくアディナの大好物だった。目を爛々と輝かせて「詳しく教えなさい!」と詰め寄るかと思いきや、アディナは真剣な眼差しで静かに耳を傾けていた。
「お忍びで街に下りていらしたのを、偶然お見かけしただけなのですが…四つ葉のクローバーを失くしたと泣きじゃくる子供のために、見つかるまで付き合っておられて。なんて素敵な方なんだろうと、胸が高鳴りました」
エミリーは想い人と、挨拶の一つすら交わしたことがない。その人は、ただ見つめる事すらままならない、遠すぎる存在だったからである。
それでも彼に恋をした。高貴な身分なのに、威圧する雰囲気は全然無く。泣いていた幼な子のために、土で汚れるのも構わず一緒に探してあげる、思い遣りに満ちた横顔。それがどうしても忘れられず、馬鹿の一つ覚えみたいに思い返してはドキドキするのだ。
イゾレ国を離れ、エルド学園に通うことが決まった時、エミリーはある誓いを立てた。
「アディナ様はお聞きになられましたよね。何をしにエルド学園へ来たのかと。私は、その方に少しでも近付きたかったんです。教養を身につけて、品性も磨いて…そうしたら、視界の端にくらいは止めてもらえるんじゃないかって……」
ところが、学園での生活は知っての通り、散々なものだった。教科書は投げ捨てられるわ、休み時間ごとに呼び出されて嫌味を言われるわ、勉学に励もうにも、周囲がそれを許してくれなかった。エミリーから話かけたことは一度としてないのに、人気の令息と親しく喋っていたと難癖をつけられ、虐めは酷くなっていく一方であった。
どうしたらいいのかわからず、途方に暮れた時、いつだって颯爽と登場したのは───
「覚悟を決めたのなら、徹底的にやり抜くべきよ。『視界の端』だなんて、弱気にもほどがあるわ。真正面から映り込んでやる、くらいの勢いでぶつかりなさい」
燃えるような瞳をした、アディナだった。
「前々から思っていたけれど、あなた、おどおどしすぎよ。付け入る隙を与えるだけじゃない。いっそ教科書を丸暗記して、目の前で引き裂いてやったらいかが?きっと相手の目が点になるわ」
アディナはいつも、エミリーには考えつかない方法で助けてくれる。
怖い人かと思えば、妙に親切で。
完璧な人かと思えば、かなり奇抜で。
とても強い人でありながら、不思議な温かさもある人だった。
(…きっとアディナ様は、公爵令嬢でなくても、堂々としていらっしゃるんだろう)
もし、アディナとエミリーの立場が逆だったとしても、アディナは縮こまったりしない。虐められようが真っ向から蹴り返し、想い人が遠い存在なら、罠を仕掛けてでも捕まえにいくに違いない。
「エミリーさんの覚悟はとても立派よ。好きな人のために、そこまで熱心になれるなんて素敵だと思うわ」
エミリーは目頭が熱くなった。喉の奥がひくっと鳴り、情けない声が出てしまいそうだった。
(私はまだ、こんな風に力強く言い切ることはできません。でも…っ)
頭を起こしたエミリーは大きく息を吸う。
「…ありがとうございますっ。私もこれからは、アディナ様のように強気でぶつかっていきたいと思います」
まずは手始めに、教科書の暗記からやってみよう。いつもエミリーの顔に付き纏っていた暗さは、綺麗さっぱり消えていた。
「もちろん、アディナ様の恋も全身全霊をかけて応援いたしますっ!!」
「外に聞こえたらどうするの!これで三回目よ!少しは学習しなさい!」
アディナの声も充分大きかったが、幸いにもルカには届いていなかったらしい。
「…そんな感じで、新しい協力者を獲得したのよ。マーニャ」
「頼もしい後輩さんができて良かったですね」
寝支度を済ませたアディナはベッドに腰掛け、マーニャに日中の出来事を伝えていた。
「ですが珍しいですね。後輩はおろか、ご友人も作られなかったお嬢様が…」
「合同授業の時から、良い根性をしているとは思っていたのよ」
「左様でございましたか」
「エミリーさんを加えた『ギットギト四角関係』作戦を練るつもりだったけれど、お蔵入りになったわ」
「それは何よりです。今後は、エミリー様とも昼食を共になさるのでしょう?楽しみですね、お嬢様」
「あら、別に今まで通りよ?」
「そうなのですか?私はてっきり、エミリー様の周囲へも牽制されるのかと」
可愛い後輩の虐めを阻止するために、アディナが睨みを利かせてやるのだろうとマーニャは考えていたのだが、見当違いだったらしい。
「親切と甘やかしは違うわ。何もかも庇ってあげていたら、自力で切り抜ける術を学ぶ機会を奪うことになるもの。だいたい、そこまで面倒みきれないわよ」
「…確かに、お嬢様が見込まれた方ですから、エミリー様もそのような事はお望みでないはずですね」
「まあ、味方選びに関しては、良い着眼点だったと褒めるべきね」
素直じゃない言い様に、マーニャは吹き出してしまいそうになった。要するに、初めてできた懐いてくれる後輩を、いたく気に入っているのだ。
長女だからか世話焼きな傾向があるアディナは、小言を言いながらも、エミリーが困り果てていたら助けに走るのだろう。その光景が容易く想像できたマーニャは、微笑ましい気持ちになるのだった。




