12
一週間が経過して、ようやくアディナは完全復活を遂げた。
「お姉さまに会えなくてさびしかったです」
「わたしもよ、フローラ」
「もう平気なの?」
「はい。お義母様。家族にうつさないよう、ばっちり治してまいりました」
不器用な父親は言葉少なであったが、ちらちらとアディナの顔色を確認しており、元気そうなのを見てとると、僅かに口元を緩めていた。
一週間ぶりに家族全員が揃った食卓は、いつになく明るいものになった。給仕をしながら、ルカとマーニャも安堵の息を吐くのだった。
「ねえ、ルカ」
「はい、お嬢様」
毎度のやりとりが、今日はちょっとだけ楽しく感じられる。振り回されるのがオチだとわかっていても、やっぱりルカはいつものアディナが好きなのだ。
「もしもわたしが、別の世界から来た人間だったらどうする?」
「とりあえず頭の病院にお連れしますね」
「あるいは、前世ではルカが令息で、わたしが侍女だったとしたらどうする?」
「やはり頭の病院にお連れしますが、それはちょっと興味があるような、ないような」
「まあ!ルカは逆転ものが好きなのね!」
「違いますけど」
「じゃあルカの誕生日にはわたしが一日、あなたのメイドになってあげるわ」
白状するとかなり魅力的な提案だったが、ルカはどうにか「勘弁してください!!」とお断りすることができた。
「でも他に逆転させるって言っても…」
「だから別に好きじゃありませんって」
「あっ!性別があったわね!」
「無いですよ!お嬢様は俺をどうしたいんですか!?」
絶好調なアディナを止められるルカではなかった。というより、誰も止められないだろう。ソルジェンテ国の王子でさえ、不可能なのだから。
教室へ行くと同級生が入れ替わり立ち代り、快気祝いを述べてくれたが、全部社交辞令だ。アディナとてそれくらい理解しているので、彼女も社交辞令で返していた。
しばらくすると、その人集りの中にクライヴも加わる。
「やあ、アディナ。全快したようで何よりだ」
「クライヴ殿下、素敵な花束でしたわ。お気遣いに感謝いたします」
二人の聞こえよがしの会話には意味があった。アディナの欠席中にクライヴへ接近しようと目論んでいた令嬢達を、一纏めに牽制するためだ。その効果が抜群だったのは言うまでもない。令嬢達はすごすごと退散していった。
咄嗟に機転も利くアディナだが、次の瞬間には完璧な仮面も崩れ去ってしまう。
「その件について、殿下に申し上げたいことが」
「メッセージカードのことかい?」
「いいえ?『熱で弱っているところに優しくされるとコロッと落ちる』作戦の結果のご報告です」
「長い」
「ある意味、作戦は成功しましたわ。惜しむらくはルカではなく、対象者がわたしだった点ですわね」
「つまり失敗と同義だな」
ところで、花束を届けてくれたのは、クライヴだけではなかった。熱で朦朧としていたとしても、忘れていない。お礼の言葉を述べないままでは道理に反するので、アディナは休憩時間になるまで待ち、エミリーを探しに出かけた。
(…学食にも談話室にもいなかったわ。教室を一つ一つ回るのは面倒だし、あとは図書室だけ見に行きましょうか)
目立つ桃色の髪ならすぐ見つかるだろうとたかを括っていたが、アディナの予想は裏切られていた。休み時間に生徒が行きそうな場所は巡ったのだが、エミリーはいなかった。
(はやいに越したことはないけれど、別に今日じゃなくてもいいわね)
のんびり構えながら、アディナは中庭を横切って、図書室へ向かおうとした。
「あら…?」
何気なく視線をやったのは、中庭の中央に設置された噴水だ。白いタイルとは真逆の色が落ちているのを見つけ、アディナは澄んだ水底を覗き込む。薄い長方形の物を拾い上げた彼女は「これって…」と呟きをこぼした。
それは、水を吸ってふやけた教科書だった。もう使い物にならないであろう教科書には、持ち主の名前が記載されていた。エミリー・マスキルと…
(…取り返せなかったのね)
こんな状態で返されても困るだろうが、持ち主が判明した以上、返してあげるべきだ。会わなければならない用事が増えたと、アディナが片眉を上げた時。
「アディナ様っ!?」
「丁度良かったわ。あなたを捜していたの」
エミリーの方から、アディナを見つけてくれたのだった。これで手間が省けた。
「体調はもう大丈夫なんですか?」
「ええ。可愛らしい花束をありがとう」
「わっ…わかっちゃいましたか?」
「どうしてバレないと思ったのよ。あと、これ。噴水の中に落ちていたわ」
「!!す、すみません…ありがとうございます…っ」
エミリーは泣きそうな顔で、水が滴る教科書をぐしゃりと握りしめる。
「…私、取り返せませんでした」
「見ればわかるわ」
「せっかくアディナ様が、発破をかけてくださったのに…自分が情けないです…」
これではまるで、アディナがエミリーを虐めているみたいではないか。
アディナは豊満な胸の下で腕組みすると、めそめそする後輩に喝を入れてやった。
「あなた、ここに何をしに来たの?学友と仲良しこよしがしたいなら、この学園を去るべきね。周りの機嫌に一喜一憂していたら、キリがないわよ」
「…でも私、アディナ様のような自信が持てなくて…」
「ご実家が成り上がりだから?」
「っ!」
「馬鹿馬鹿しい。国王陛下から直々に爵位を賜ったのに、何を恥じ入る必要があるのよ。あなたのひいお祖父様が成し遂げたのは、本当に凄いことよ。むしろ、もっと誇りなさい」
「アディナ様…っ」
ついにエミリーは、ぽろぽろと泣き出してしまった。貶されるばかりだった自分の家が、初めて褒められ、なおかつ、誇れと言ってもらえたのだ。エミリーが感涙に咽ぶのも致し方ない。
「花束に免じて、今日だけは特別に愚痴を聞いてあげるわ。ほら、来なさい」
口調の割に優しく後輩の手を引き、中庭のベンチに座らせる。いよいよ涙が止まらなくなったエミリーだったが、つっかえながらもこれまでの学園生活について話し始めた。
曰く、編入生という理由で最初から微妙な視線を向けられていたが、クライヴとの接触を機に、女生徒から目の敵にされたらしい。親切にしてくれる人はいたものの、どういう訳か全員が見目麗しい令息達で、虐めがエスカレートしていくだけだったという。
(あなたの顔で泣かれれば、大抵の殿方は一発よ。まあ、笑っても同じでしょうけど)
アディナが微笑みで令嬢を蹴散らせるのだとすれば、エミリーは涙で令嬢の憎悪を買うのだろう。
「わたし、泣いてばかりの人って、あまり好きになれないのよね」
「こ…これはっ、嬉し涙であって!悲し涙じゃありません!決して!」
「冗談よ。我慢しすぎるのは良くないわ」
「いえ!女の涙は武器だとも本に書いてありますし、ここぞという時にとっておくべきです!」
「……エミリーさん、もしや恋愛小説をお読みになるの?」
「?はい、人並みには…」
アディナの目の色が変わる。
「もしかして、イゾレ国でしか手に入らない本をお持ちだったりする?」
「イゾレ国限定かどうかは存じませんが、あちらの本でしたら何冊か…」
「それって恋愛の物語?」
「そういうのもあります。…アディナ様、お読みになりたいんですか?」
「猛烈に読みたいわ。是非とも貸してくださらないかしら」
異様に食いつくアディナに驚きつつも、エミリーは快く了承した。
「もちろんです。アディナ様さえ宜しければ差し上げますよ。私は他に読まなければいけない本が、たくさんありますから」
「エミリーさん!ありがとう!!」
「ど、どういたしまして、です。でも意外でした。アディナ様が恋愛小説をお好きでいらっしゃるなんて…」
「わたしの恋の教科書だもの」
「??」
「では今週末、受け取りに伺うわ」
「えぇっ!?」
「ご都合が悪かったかしら?なら別日に…」
「そんな畏れ多い!私がお届けにあがります!」
「本を譲っていただくのに、届けさせる訳にはいかないわよ」
エミリーは恐縮したのだが、強引なアディナにより、マスキル家訪問は押し切られてしまったのだった。




