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 王立エルド学園では、ダンスの授業がある。机にかじりついてばかりでは体に悪いとの教育方針により、回数は少ないものの、一定の時間が取り分けられているのだ。しかし、貴族の端くれであれば当然のように踊れるので、授業というよりは単なる技量披露会となる。不必要な接触を避けるため、授業は男女別だ。それでも毎回、ダンスの授業では女生徒達による抗争が勃発する。


(いっそのこと男女混合にして、大炎上でもすれば廃止になるかもしれないわね)


 来月、王城でパーティーが開かれるからか、令嬢達の目はいつになくギラついている。そんな中、アディナは我関せずといった顔で、やや物騒なことを考えていた。

 アディナと組みたがる生徒はいないし、仲の良い友人もいない。だが、公爵令嬢を虐める勇気のある猛者もまたいないので、アディナはこの時間を、大抵独りで自由に使っている。第一、アディナのダンスはすでに完璧だ。ただし、ルカが同じ会場内にいる場合、という脚注はつく。


(今日は全学年の合同授業だし、余計に空気が悪いわ)


 時々、学園側の都合で、他の学年と合同で練習することもあるのだが、まさに今日がその日だった。全女生徒が集まろうと併設された講堂には、まだスペースが有り余っているので、そこは心配いらない。アディナが憂鬱なのは、これだけ女が集まって何も起きないはずかない、この一点に尽きた。一応、教師は同じ空間にいるのだが、こんな大人数を監視しきれる訳がない上に、滅多なことがなければ動かない。良く言えば、生徒達の自主性に任せているのだ。


「嫌ですわ。あなた、ワルツも踊れませんの?」

「我が学園…いえ、貴族の恥ですわね」

「やはり所詮は卑しい成り上がりですのね。エミリー様」


 先程から、いやらしい笑い声が聞こえることに不快さを感じていたアディナは、場所を移ろうとした。ところが、知っている人間の名前が出たことで、思わず足を止めてしまう。


(またあなたは…どれだけ面倒事に巻き込まれれば気が済むのかしら)


 ちらりと見た限り、五、六人の令嬢に囲まれて小さくなる、桃色の髪が確認できた。


「さすがはエミリー様。名だたるご令息の方々を手当たり次第、籠絡させるだけの育ちの"良さ"が出ていますわ」

「そんなこと…していません…」


 覇気の無いエミリーの声は、完全に無視されている。アディナは、もうこれ以上の面倒事は御免だった。精々、自力で頑張りなさいと心の中で応援するだけに留めて、静かにと立ち去ろうとした。

 だがしかし、運悪くそんなアディナを呼び止める声がかかってしまう。


「アディナ様もそうお思いになりませんか?」


 何やら不可解な力がエミリーとの間に働いているみたいで、アディナは妙な苛立ちを覚えた。それを押し隠して振り返ると、廊下の一件で見かけた二人組がにこやかに笑っていた。


(…そう。あなた達、まだ懲りていなかったのね)


 あの時、せっかく見逃してやったのに、恩を仇で返すとは。いや、アディナの恩情を理解していないのか。どちらにせよ、腹が立ってきた。

 エミリーに味方するつもりは無かったが、気が変わった。エミリーを利用して、鬱陶しい令嬢達にひと泡吹かせてやる。アディナの赤い瞳が、ゆらりと燃えた。


(わたしを巻き込んだのは愚策だったと思い知りなさい)


 二人組は、アディナが同調してエミリーを貶してくれると期待しているのだろう。だが、それは大間違いだ。事なかれ主義のアディナは、そもそも他人を侮辱するのが大嫌いなのである。下らない噂話に乗らないのは、自身の言動の影響力を自覚しているのに加え、そういう理由もあった。


「仮にも子爵家のご令嬢がワルツの一つも踊れないなんて、有り得ませんわ」

「アディナ様のような素晴らしい踊りを披露しろとは私達も言いませんが、それにしても酷いものですわ」

「常識というものをご存知ないのかしら」

「アディナ様もそうお感じになりません?」


 二人組に乗じて、調子付いた他の令嬢達も、ここぞとばかりにエミリーをこき下ろす。哀れなエミリーは、ひと言も反論できずに俯くだけだ。


「…エミリーさん。あなた、本当に何も踊れないの?」


 同意を求める声には反応せず、アディナはエミリーに問いかける。ようやく顔を上げた彼女は、雨の日に捨てられた子犬のような顔をしていた。


「……何も、という訳では…ないのですが…」

「はっきり喋りなさい」

「は、はいっ。長らくイゾレ国におりましたので、あちらの国の踊りでしたらできますっ!」


 ソルジェンテ国では馴染みの無い踊りのため、余計に変な目で見られるとでも思ったのだろう。エミリーは恥ずかしさから真っ赤になった。しかし、アディナの一言で、そんな羞恥は消えることとなる。


「あらそう。充分じゃない」


 瞠目したのは、エミリーだけではない。

 彼女を取り囲んでいた令嬢達もである。


「ダンスで最も重要なのは情熱よ。ワルツだろうが、イゾレ国の踊りだろうが関係無いわ。魂を込めて踊れるダンスがあるのなら、その陰気な顔を今すぐやめなさい」

「…っ、はい!!」


 エミリーの愛らしい顔が、いっそう明るく輝いた。反対に他の令嬢は非常に面白くなさそうな様子である。


「アディナ様っ、差しでがましいお願いなのですが…私にワルツのステップを、教えていただけませんか?」


 白桃のような頰をして、一生懸命に頼むエミリー。もうひと押しとでもいうように、アディナは極上の笑みを浮かべた。


「構わないけれど、等価交換よ。教える代わりに、異国の踊りを見せてちょうだい」

「はい!喜んでお見せいたします!」


 アディナの指導は割とスパルタだったが、それすらもエミリーは嬉しそうに聞くのであった。




「…って感じで、むしゃくしゃしてやったわ」

「そんな犯罪者みたいな」


 帰りの馬車の中でアディナは、ルカに今日の出来事を話して聞かせた。ルカはそれを聞きながら、優しげに目を細めていた。

 女同士の諍いなんて煩わしいものに、極力関わりたがらないアディナだが、実は情に厚い人間である事を、ルカが一番よく知っている。


「エミリー嬢も、これで安泰ですね」

「何を言っているのよ。わたしが目をかけたとなれば、悪化の一途を辿るだけだわ。エミリーさんを利用して、ちょっと悪かったかしらって反省しているところなのに」

「違いますよ」

「どういうこと?」


 確かに、クリュシオン家の人間が助けたとなれば、エミリーの立場はなおさら厳しくなるだろう。しかし、ルカが言いたかったのは、そういう意味ではない。


「お嬢様にもらった勇気があれば、大丈夫ということです」

「?」


 怪訝そうな顔をするアディナを見て、ルカはふっと笑う。まったく、このお嬢様は不思議な人で、目が合い、笑いかけてもらえるだけで力が湧いてくるのだ。


「むしろ、気をつけるべきなのお嬢様の方ですよ」

「わたし?心配しなくても、簡単に潰されたりしないわよ」

「いえ。そうではなく、お嬢様が力加減を間違えないか、をですね…」

「どんな心配してるのよ!」


 情に厚いからこそ、アディナを本気で怒らせたら恐ろしい。ルカが知る限り、アディナがブチ切れたのは一度きりだ。とはいえ当時、ルカはその場面に居合わせていなかったので、伝え聞いているだけである。その時アディナは七歳だったにも関わらず、子供とは思えない剣幕で怒りを露わにしたらしい。


「わたしは他人を痛めつけて喜ぶ変態ではないわ!もちろん、痛めつけられて喜ぶ方でもないけれど!」

「そんな話でしたか!?」


 今のアディナからは、てんで想像もつかないルカだった。


 馬車が屋敷に着き、玄関ホールに足を踏み入れるとすぐに、奥から小さな影が飛び出してくる。


「お姉さま!おかえりなさいませ!」

「ただいま、フローラ」


 可愛らしい出迎えに、アディナも笑顔で応えた。駆け寄ってきた妹のフローラを抱き止め、オレンジ色の巻き髪を撫でてやる。するとフローラはにこにこと上機嫌になるのだ。


「おかえりなさい、アディナさん」


 少し遅れてもう一人の女性が、アディナに近付く。フローラとよく似た髪質の、ゆったりとした雰囲気を漂わせる女性は、母親のブレンダだ。


「ただいま帰りました。お義母様」


 ただしアディナからすれば義理の、である。

 クリュシオン公爵家の家族構成は、少しばかり複雑だ。ありがちと言えばそれまでなのだが、ブレンダは後妻で、フローラは腹違いの妹だった。

 アディナにとって、本当の意味で血族といえるのは、父のランドルフだけである。


「おなかがすきましたわ。お母さまも、お姉さまも、はやくいらしてください」

「フローラ。アディナさんは、帰ったばかりでお疲れなのよ。急かすものではありません」

「お義母様、大丈夫ですわ」


 それでもアディナは、ブレンダを慕っていたし、半分しか血の繋がらない妹も、とても可愛がっている。ブレンダの方も出来た女性で、お互いに尊重し合える関係を築くのに、心を砕いていた。おかげでクリュシオン家の家族関係は、至極良好だ。

 しかしふとした瞬間に、アディナは疎外感を覚えてしまう。例えば今、目の前で手を繋ぐブレンダとフローラを見た時とか。

 温かくて良い家族だが、その輪の中に入っていけない場面もある。父と義母と義妹が仲睦まじくしていると、アディナは決まって一歩後ろに引いていた。邪魔をしてはいけない、そんな気持ちに支配されるからだ。どれだけ言い聞かせても、どうしたって遠慮という壁は取り除けなかった。

 ランドルフが再婚した際、アディナはすでに色んな事がわかる年頃になっていた。新しくやってきた母親を、本当の母親を見るのと同じ目で見ろと言われても、できなかったのだ。だが、できないなりにアディナが懸命な努力を傾けてきたからこそ、現在の関係がある。


(…初めから、ブレンダ様が本当のお母様なら良かった。"あの人"ではなく……)


 アディナが"あの人"としか呼ばなくなった人物。その女性こそが、アディナを産んだ母親であり、たった一度だけ彼女が激昂した相手でもあった。

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