43、 自分が何言ってるか分かってんの?
アパートに着くまでの間、 私たちは一言も発することなく、 ひたすら無言で歩いていた。
だけど繋いだ手は緩めることなく、 むしろ汗ばむほど強く強く握りしめ、 必死にお互いの存在を確かめ合っていた。
なんとなく確信があった。
私たちが再会してから、 今が一番、 たっくんの本音に近付いている。
固く固く閉ざされた過去の扉が、 ようやく今、 ほんの少しだけ開きかけているような気がするのだ。
私はそこに手を挟み、 足先を無理やり突っ込んででも、 扉の奥に入らなくてはいけない。
そうしなければ、 たっくんの心は『天の岩戸』の如くぴったりと閉じられ、 2度とは開かないだろう。
そうなったら最後、 私たちの恋は暗闇に閉じ込められたまま、 腐り枯れ果ててしまうに違いない。
だから……。
ーー もう私は逃げない。
せっかく掴んだこの手を、 絶対に離すものか…… と思った。
たとえその先で、 見たくないものを見、 知りたくなかったことを知り、 傷つき苦しむことになったとしても …… だ。
玄関に入ってドアを閉めるとすぐに、 私たちはきつく抱きしめあった。
そうするとお互いの気持ちが流れ込んできて、 さっきまでの不安や恐ろしさが和らぐような気がした。
しばらくして漸く身体を離し、 顔を見合わせたとき、 たっくんの瞳に熱が籠っているのが分かった。
「たっくん…… キスして」
自然にその言葉が溢れ出た。
私は今この瞬間、 たっくんとキスしたいと自然に思えたし、 もっとたっくんと触れ合いたいと思った。
だけど私のその呟きを聞くと、 たっくんは急に怒ったような顔をして私の手首を掴み、 部屋の中に引っ張っていき、 黒いローソファーに放り投げるように座らせた。
そして自分は冷蔵庫から水のボトルを取り出して、 立ったままゴクリと一口飲むと、 蓋を閉めながら私の隣に座った。
「お前、 自分からキスとか言うなよ」
「…… えっ? 」
「お前、 自分が何言ってるか分かってんの? 2人きりの部屋でさ、 そんな風に言われたら、 男は歯止めが効かなくなるんだよ。 自分から煽ってんじゃねえよ! 」
そう言うと、 ペットボトルをガラステーブルの上に乱暴に置いた。
「第一さ、 お前って無防備すぎるんだよ。 最初の時だって、 簡単に男1人の部屋に来てんじゃねえよ! ちょっとは警戒しろよ! 」
「たっくんだからだよ! たっくんを信用してるからに決まってるじゃない! 」
「それでもっ……! 」
そこまで言うと、 たっくんは気まずそうにソファーにもたれ、 体ごと半分だけ向こうを向いた。
たっくんの言いたいことが分からない。
自分の部屋に誘ってくれたのも、 最初にキスをしてきたのも、 全部たっくんからじゃないか。
どうして私が無防備だとか言われなきゃいけないのか……。
「何よ、 たっくんだって他の女の人を簡単に部屋に連れ込んでるくせに」
腹立ちまぎれに、 女の嫉妬丸出しの台詞を口にした。
紗良さんと朝美さんの顔が頭に浮かんだ。
「連れ込んでねえよ! そんなヤルだけの女を自分のテリトリーに入れるわけないだろ! 」
「本当? 」
「本当だよ! ここに来たのはお前だけだ! 」
こんな風にお互い喧嘩腰になっているのに、 たっくんの言葉を聞いて喜んでいる自分がいる。
「今日はもうダメだ ……お前、 家に帰れ」
「えっ……? 」
「早く帰れよ。 つべこべ言ってると、 お前もヤッちまうぞ」
たっくんは私から顔を逸らしたままソファーから体を起こすと、 片手で自分の前髪を搔き上げて、 ガシガシッと乱暴に乱した。
ーー あっ、 ダメだ…… たっくんが閉じていく……。
「…… やってよ」
「はあ?! お前、 何言って…… 」
驚きで大きく見開かれたその瞳を見つめ返し、 私は迷うことなく、 こっくりと頷く。
「他の女の人にしたことを私にもしてよ。 そしたらたっくんの事がもっと分かるんだよね? たっくんともっと近くなれるんでしょ? 」
「…… お前にはしねえよ」
「なんで?! 」
「お前はまだ子供なんだよ」
「たっくんだって同じ歳じゃん!」
「お前と俺とは違うんだよ!」
「じゃあ、 どうしたら大人になれるの? そういうことをシたら大人になれるの? だったらたっくんがシてよ! たっくんが今すぐ私を大人にしてよ! 」
「しねえよ! 」
「なんで?! 」
「なんでもだよ! 」
「意味わかんないよ! だったら他の人にシてもらえばいいの? 他の人とシて大人になったら、 たっくんが相手してくれるの? 」
たっくんは、 今度は本当に怒った顔で私の肩を掴み、 ガクガク揺らしながら、 ビックリするくらいの大声を出した。
「馬鹿野郎! そんなこと言うんじゃねえ! 俺が絶対に許さねえぞ! そんなこと、 俺が絶対にさせねえからな! 」
肩を揺すられながら、 涙がポロポロ溢れだす。
肩に指が食い込んで痛いからじゃない。 心が痛いんだ。
こんなに言葉を交わしているのに、 気持ちは1ミリも交わっていないからだ。
「たっくん、 意味わかんないよ。 どうしたらいいのか……。私はただたっくんのことを分かりたいだけなのに……たっくんのそばにいたいだけなのに…… 」
悔しい、 悲しい、情けない……。
たっくんを知ろうとすればする程、 その形が曖昧で朧げになっていく。
これでも私たちは恋人同士だと言えるの?
口を開けば喧嘩ばかり。 ついさっき、 心が通い合ったと思っていたのは、 私だけだったの?
「たっくん …… 好きなのに…… 」
たっくんの瞳がユラリと揺れて、 そこに戸惑いと哀しみの色が浮かんだ。
「小夏…… 」
たっくんは泣きじゃくる私にゆっくりと顔を寄せ、頬を伝う涙を優しく親指で拭うと、 そのままそこに口づけて、 次に私の唇に唇を重ねた。