42、 ズルいのは自分だけだと思ってんの?
「朝美、 俺は…… 」
朝美さんの頬を伝う涙を目にして、 たっくんは彼女の襟元から両手を離した。
ポンと放り出される形になった朝美さんは、 そのまま地面に両手をついて、 視線を宙で浮かせている。
ーー ああ、 朝美さんの言う通りだ……。
嫌われるのを覚悟で全身で想いをぶつけているこの人に比べて、 私はなんてズルくて臆病なんだろう。
私は確かに嫉妬まみれで真っ黒だ。
たっくんの過去に、 たっくんに関わる女性みんなに妬いておきながら、 自分だけ清廉潔白みたいな顔をして、 たっくんの隣に立っている。
たっくんにキスされて、 強く抱き締められて、 あんなに喜んでいたくせに、 快感に震えていたくせに …… そんな自分を認めたくなくて、 たっくんだけを『汚い』と悪者にした。
心の中に欲望を隠している自分の方が、 よっぽど汚いのに……。
私はたっくんに並んで、 再び朝美さんの前にしゃがみ込んだ。
「朝美さん、 その通りです。 私も汚いんです、 真っ黒なんです」
「小夏! 」
横で止めようとするたっくんを見ずに、 私は朝美さんに向かって話し掛ける。
「確かに朝美さんの方が、 たっくんのことを分かっているのかも知れない。 私はたっくんに相応しくないのかも知れない…… 」
朝美さんがハッと私の方を見て、 ようやく視線が重なった。
「あの日、 たっくんが私を追いかけて来なかったら、 私もそう思って諦めていたかも知れません。 だけど、 あの雨の夜 …… たっくんは、 久し振りに再会したあなたを置いて、 私を追いかけて来てくれた。 私の方を選んだんです」
唇を噛んで黙ったままの朝美さんに、 私は一方的に話し続ける。
「私がいない6年間で、 彼に何があったのかは知らない。 もしかしたら、 その間にあなたに心が動いた瞬間があったのかも知れない。
だけど、 私にだって、 あなたが知らないたっくんと過ごした時間がある。 そして…… 絶対に忘れられないいくつもの思い出と、 共通の傷があるんです」
私が前髪を上げてこめかみの傷を見せると、 朝美さんが驚いた表情でたっくんの方を見た。
「拓巳と同じ…… 傷? 」
それを受けてたっくんは、 黙って頷く。
「私はズルいんです。 たっくんと同じこの傷があることで、 他の女の人よりもたっくんに近い存在でいられるって思ってるんです。 傷痕が残って良かったって、 喜んでいるんです」
たっくんは私のその言葉を聞くと、 私の傷痕を指でそっと撫で、 目を細める。
「小夏、 ズルいのは自分だけだと思ってんの? 俺だってな…… お前に酷い傷が残って、 世界中の男に相手にされなければいいって、 ずっと思ってたよ。 再会してやっぱり傷痕があるのを確認して…… 俺の印だって、 心の中でほくそ笑んでたんだ。 ズルいなら俺だって一緒だよ」
「そっか…… 私たちはもっと早く、 こういう話をすれば良かったんだね」
ニコッとたっくんに微笑みかけてから、 もう一度朝美さんに向き直る。
「朝美さん、 私も必死なんです。 あなたと同じなんです。 だけど…… たっくんが今一緒にいたいと思ってくれているのは私です。 ずっと私だけだって、 私のことを変わらず思い続けているって言ってくれたんです。
だったら、 これからのたっくんを支えるのは私でありたい。
今も何かに苦しんでいるというのなら、 私がその傷を癒す手助けをしたい、 側で助けてあげたい…… そう思っちゃ駄目ですか? やっと会えたんです! 私はもう2度と、 彼と離れたくないんです! 」
そこまで言って私が言葉を切ると、 朝美さんは溢れる涙を拭いもせずに、 口角を吊り上げて口を開いた。
「そう…… ようやく自分の本心を認めたってわけ…… でも残念ね。 もうあなた達は永遠に結ばれないわよ! さっきの私の言葉が呪いの呪文になって、 あなた達が身体を重ねようとするたびに襲いかかるの! 」
「おい、 お前ら、何やってんだ! 」
その時、 校庭の向こうの方から、 生徒指導の飯田先生が駆けてくるのが見えた。
生徒の誰かがこの騒ぎを職員室まで伝えに行ったのだろう。
「小夏、 行こう…… 」
たっくんが私の手を引いて立たせ、 背中を押して歩き出すと、 その背中に向かってヒステリックな声が投げつけられた。
「拓巳、 あなたに小夏さんを汚すことなんて出来ない! 絶対に抱けやしないわ! あなた達は一生愛し合えないのよ! ザマアミロ! 」
たっくんはピタリと立ち止まって振り返ると、 地面に手をついて叫んでいる朝美さんを見下ろした。
「朝美…… 理由がどうであれ、 お前にこんな事をさせたのは俺なんだよな……。 どんなに歪な形であろうと、 俺は確かにあの時、 お前に救われていたんだと思う。…… 好きになれなくてごめんな」
それだけ言うと、 私の手を引いて歩き出した。
後ろから激しく泣き叫ぶ声が聞こえたけれど、 私たちは振り返らなかった。