38、 俺の何が知りたいの?
朝美さんはテーブルの上で白い指を組んで、 ニコニコと微笑んでいる。
知らない人が見たら、 彼女は妹か従姉妹とカフェでお茶を楽しんでいる、 優しくて綺麗なお姉さん ……といったところだろう。
だけど私は知っている。
この人が母親や聖母だなんて、 絶対にあり得ない。
目の前の相手を苦しめ牽制するためにこんな言葉を口にする人が、 人を慈しみ育てるような存在になれるはずがない。
私が唇を噛んで黙っていると、 その反応に気を良くしたのか、 彼女は満足げに目を細め、 滑らかに話を続ける。
「あなた…… まだ拓巳とは寝てないでしょ。 女の匂いが全然しないもの」
「そんなの…… あなたには関係ありません」
「ふふっ…… そうね、 関係ないわよね。 でもね、 私と拓巳のことにも、 あなたは関係ないのよ。 私はただ、 拓巳の居場所を知りたいだけなの」
真っ直ぐに見つめるその瞳は、 微笑んでいるように見せながら、 実は全く笑っていない。
「ねえ、 小夏さん、 あなたは拓巳が今どこに住んでるのか知ってるわよね? お願いだから教えてくれないかな? 」
「そんなの…… 本人に直接聞けばいいじゃないですか」
「教えてくれないから聞いてるのよ! 」
急に声を荒げられてビクッとしたら、 朝美さんは取り繕うように笑顔を作り、 猫撫で声で懇願する。
「小夏さん、 私は拓巳に帰って来て欲しいのよ。 あの子ったら父の世話になるのを遠慮してるの。 1人でいるよりも私たちといる方がいいに決まってるのに。 …… だから、 ねっ、 せめて連絡先だけでも教えてくれない? 」
「…… 嫌です。 たっくんが望んでいない事を私が勝手にするわけにはいきません。 第一、 たっくんは家出をしたってわけじゃないですよね? ちゃんと学校にも通ってるんだし、 保護者の了承を得て1人暮らししてるはずです。 住所を知りたいなら、 あなたのお父さんに聞けばいいじゃないですか」
私がきっぱり断ると、 彼女はバンッ! と両手でテーブルを叩いて、 感情を露わにした。
「だから、 その父親も教えてくれないのよ! あのクソ親父も拓巳とグルになって、 居場所を隠してるのよ! だから私は必死に…… 」
「グルって、 どうして…… 」
「そんなの知らないわよ! 父親が私と拓巳の関係に気付いたか、 拓巳が何か言ったのかも知れない …… とにかく父親が口を割らないから、 私が自分で探すしか無かったのよ。 せっかく探し当てたバイト先も、 リュウさんって人が、 拓巳はたまに手伝ってもらってるだけだから、 次はいつ来るか分からないって言うし…… 」
「それって…… まるでストーカーじゃないですか」
「ストーカーだなんて、 とんでもない! あの子には私が必要なの。 いい? 小夏さん。 あの子が本当に苦しくて自暴自棄になってた時、 側で支えたのは私なのよ、 あなたじゃないわ。 私は生きるのさえ辛かったあの子に、 心と身体を捧げて救ったの」
「でも、 そんなの…… 」
『身体だけの繋がりに意味なんて無いじゃないか』……いつかたっくんが言っていたセリフを口にしようとして、 思い留まった。
だって私は、 2人の間に何があったかも、 どんな感情が流れていたのかも知らない。
「別にあなたに説得してくれなんて頼んでないのよ、 私が直接会ってあの子と話すから。 だから、 せめて電話番号…… ううん、 どこの学校に通ってるかだけでも教えてもらえれば…… 」
「そんなこと、 やめて下さい! 学校にまで来られたら、 たっくんの居場所が無くなっちゃう! 」
「居場所が無くなったら私の元に帰ってくればいいだけよ。 いいわ、 あなたが教えてくれないのなら、 また自力でどうにかするわよ。 あのバイト先から通える範囲の高校を片っ端から当たればいいんだもの」
「そんな…… どうしてそこまで…… 」
すると朝美さんは、 心外だとでも言うように目を大きく見開いた。
「だって…… 好きだったら執着するものじゃないの? いなくなって簡単に諦めるくらいなら、 最初から好きになんてならないわよ」
ーー ああ、 この人もそうなのか……。
紗良さんといい、 この人といい、 みんなたっくんのことが好きで好きで仕方ないんだ。
だから憎まれるのを覚悟してでも必死で追いかけて……。
私だってそうなんだ。
憎くて仕方なかったくせに、 それでも諦めきれなくて ……再会した途端、 また恋をした。
そして今は、 彼に内緒で彼の秘密を暴こうとしている。
やっている事は、 目の前のこの人と大して変わらないのかも知れない。
「ねえ、 協力してくれるなら、 私といた頃の拓巳のことを、 もっといろいろ教えてあげてもいいわよ」
だけど、 私と彼女では、 決定的に違うことがある。
たっくんは私を好きだと言ってくれている。
そして私ももう、 たっくんのことを疑いたくはない……。
「あなただって、 私に聞きたいことがあったから、 わざわざ学校を休んでまでここに来たんでしょ? いいわよ、 聞きなさいよ。 拓巳の初めての時はどうだったかとか、 どんな言葉を囁いてくれたかだって…… 」
そして私は知っている。
悪魔は綺麗な顔と甘い言葉で誘惑してくるのだということを。
だから私は絶対に悪魔と契約してはならない。
強い心でそれを跳ね返さなくてはいけないんだ。
「…… 結構です」
「えっ? 」
「私が間違っていました。 私はあなたから何を聞いたって、 きっとたっくんの事を疑ってしまうんです。 だったら直接本人に聞いてみます。 たとえ騙されるとしても、 たっくん本人からの方がいいから」
キッパリ言い切ってから、 私は椅子から立ち上がった。
初めてたっくんのアパートに行った時の言葉を思い出す。
『小夏はさ、 俺の何が知りたいの? 』
たっくん、 私が知りたいのはね、 たっくんが今、 『何を考えているのか』だよ。
だから私は…… たっくんに会いに行くよ。