37、 うさぎみたいで可愛いだろ?
待ち合わせ場所に行くと、 朝美さんが赤いパラソルの立った丸テーブルから小さく手を振ってきたので、 私もペコリとお辞儀をしてから向かい側の席に座った。
彼女が指定したのは、 私の家からバスで1時間ほどかかる郊外のカフェで、 どうやらそこが、 彼女の通う大学から近い場所らしい。
わざわざオープンカフェを選んだのは、 外の方が周りの喧騒に紛れて、 他人に話を聞かれにくいと考えたのだろう。
「ごめんなさいね、 こんな所まで来てもらっちゃって。 午後からの講義があって、 あまり遠くに行けないものだから…… 」
先端にラメの入った桜色の指先がストローを回すと、 アイスコーヒーの氷がカランと音を立てた。
その仕草がなんだかサマになっていて、 女優さんの芝居を見ているみたいだと思った。
「あれから拓巳は何か言ってた? 」
「いえ、 何も…… 」
たっくんは私を追いかけて来てくれたけど、 この人はあれからどうしたのだろう? お店でリュウさんと話をしたのだろうか?
昨日この人は…… たっくんに会うためだけに、 あそこに足を運んだのだろうか?
聞きたいことは山ほどあるのに、 聞くのが怖い気もする。
私は店員さんから受け取ったメニューを開いて、 彼女からじっと注がれる視線を遮った。
「拓巳の部屋にね」
「えっ? 」
私の目の前にアイスティーが置かれたのを見届けてから、 朝美さんが口を開いた。
「ナイトテーブルの上に、 あなたと撮った写真が飾ってあったの。 あれは小学校の入学式なのかな? あなたと拓巳が、 指先に摘んだ花びらを見せ合って笑っているの」
「はい、 私もその写真を部屋に飾ってあります」
まだあの男が現れていなくて、 母親同士も仲が良くて楽しかった頃の思い出の1枚…… あれをたっくんも飾ってくれていたんだ。
「拓巳の部屋に行くたびに見てたから、 きっとあなたの顔が記憶に焼き付いてたのね。 お下げ髪の印象が強かったから一瞬分からなかったけれど、 顔を見たらそのままだから、 すぐに気付いたわ」
つまり彼女は何度もたっくんの部屋に出入りしていたということだ。
これは話の流れで意識せずに言っただけなのか、 わざとなのか …… なんだか後者のような気がする。
「拓巳がうちに来てすぐの頃、 私がその写真を見て『この子は誰? 』って聞いたら、『初恋の相手』って。 『うさぎみたいで可愛いだろ? 』って。 それを聞いてあなたが羨ましかったな …… だって私は一目惚れだったから」
「えっ? 」
「私は拓巳に初めて会った時から彼が好きだったの。 だって、 あんなに綺麗な子っていないでしょ? 4歳も歳下とは思えないほど大人びていて、 色っぽくて……。 あの憂いを含んだ、 深い海の底のような暗い瞳が印象的で、 一瞬で惹かれて…… 一緒に住めることになって嬉しかったな…… 」
私が真っ青な空みたいだと思った瞳が、 この人には海の底に見えたんだ……。 その頃にはもうたっくんは、 ヒマワリの笑顔を失っていたんだろうか……。
「でも、 2人は義姉弟になったんですよね」
「親同士は再婚したけれど、 拓巳は私の父親と養子縁組してないの。 苗字を変えるために籍を移しただけ。 血の繋がりもないし、 付き合うことに何の問題もないのよ。 強いて言えば、 世間体が気になるくらいなものかしら」
「…… 2人は付き合っていたんですか? 」
私の問いに朝美さんは、 小首を傾げて「う〜ん」と考える仕草をして、
「拓巳は私のことをなんて言ってたの? 」
逆に聞き返して来た。
「たっくんは、 あなたがお母さんの再婚相手の娘さんだって…… 」
「まあ、 表向きの説明としては、 それで間違ってないわね。 でも、 2人の関係は何かと言われたら …… 私があの子の母親であり、 聖母であり、 恋人代わりであり…… 一言では説明しにくいわね」
ーー聖母? 恋人代わり?
不審げに眉を寄せた私を見て、 朝美さんは満面の笑みを浮かべ、 歌うような口調でサラリと言った。
「ああ、 ハッキリしてるのは、 あの子にセックス を教えたのが私ってことかしら? 」
ああ、 また胸にドス黒いヘドロが溜まっていく。
なんだか頭痛が酷くなってきた気がする……。
たっくん、 ごめんね。
私は全然うさぎみたいに可愛くないよ。
私はこんなにも…… 真っ黒で醜い。
ガンガンと鐘を鳴らすようなこめかみの拍動を感じながら、 私は胃から込み上げてくる吐き気と必死に闘っていた。