29、 俺に愛想を尽かした?
「この写真は…… 俺が知らない間に勝手に撮られたものだ。 写真を撮ったのも、 それをお前の下駄箱に放り込んだのも…… 俺が遊んでいた女たちの誰かだと思う」
「この写真は? これはお酒を飲む場所だよね」
知らない誰かに贈られた写真のうち4枚は、 いずれもホテルの部屋で撮ったと思われる、 情事の後を匂わせるものばかりだった。
だけどたった1枚だけ、 毛色の違うこの写真には、 バーのカウンターらしき所でお酒の並んだ棚を背に女性客と談笑している、 白シャツに黒いベストを着た大人っぽいたっくんが写っている。
「たっくんは、 飲食店でバイトを始めたって…… 」
「ショットバー。 昔よくツルんでた先輩の兄貴のお店。 飲食店には違いないだろ? 」
「でも、 お酒のある所なんて…… 」
「普通に喫茶店とかで働くよりも時給がいいんだよ。 知り合いだから融通が効くんだ。 大学生ってことにしてもらってる」
「女の子たちとお喋りするんだね」
「客と喋らないわけにはいかないだろ」
「知ってる女の子も来たりするの? 」
「そりゃあ…… 先輩の兄貴の店だからな」
「…… 紗良さんも? 」
その質問には、「ああ…… 」と少しだけ詰まってから、
「共通の知り合いの店だからな。 だけど、 客として来てるだけだし、 俺もカウンター越しに話をするだけだから」
と、 ぶっきらぼうに答えた。
たっくんは気まずそうに私をチラッと見てから、 目の前のグラスを掴んで麦茶をゴクゴクと飲む。
コトンとグラスを置いたそこに水の輪が出来ていて、『あっ、 コースターを敷くのを忘れたな』なんて、 この場に全く関係ないことを冷静に考えている自分に驚く。
「…… たっくんは前に、 紗良さんは彼女じゃないって言ったよね」
「紗良も…… この前電話をかけて切ったヤツらもみんな、 彼女なんかじゃない。 これっぽっちも恋愛感情なんて無いし、 お互いに割り切って付き合ってて…… 」
「割り切れてなんか無いよ! 」
「いや、 それは…… 」
「割り切れてたら、 こんな写真を撮ったりするはず無いじゃない! 私の下駄箱に嫌がらせなんてする必要ないじゃない! みんな、 たっくんの事が好きだったんだよ! 大好きだから、 こんな風に視線の合ってない、 自分を全く見てくれてないような写真でも欲しかったんだよ。 どんな手段を使ってでもたっくんの側にいたかったんだよ! 」
ーー そしてたっくんは……。
「たっくんは、 そんな彼女たちの気持ちを利用したの。 気付かないフリをして、 弄んだんだよ。 そして…… 私にウソをついた」
「小夏、 それは違う、 俺はウソなんてついてない! 俺は小夏と離れてから6年間、 ずっと小夏の事だけを想ってきたんだ。 他の女を好きになった事なんて無い! 」
「たっくんの好きって何なの? 好きでもない相手と所構わずキスして、 平気でホテルにも行けるの? そんなの私が知ってる『好き』じゃない! そんなに軽くて薄っぺらい気持ちなんて、 私はいらない! 」
「何も知らないくせに、 薄っぺらいなんて言うなよっ! 」
たっくんがガタンと座卓に手をつくと、 指先に触れたグラスが勢いで倒れた。
まだ半分ほど残っていた麦茶が氷と共に溢れ出し、 ポタポタと軽快な音を立てて畳に染みを作っていく。
布巾を取りに行こうと腰を浮かした私を制して、 たっくんが立ち上がる。
「いい、 俺がやったんだから俺が行く」
勝手知ったるという足取りで廊下に出て行くたっくんを見送ると、 途端に脱力感が襲ってきた。
ーー 疲れた。
いろいろ起こり過ぎた。
高校に入学してたっくんに再会して、 変わりきった姿に驚いて、 追い掛けられて…… そしてまた好きになって。
これからは本当に恋人として付き合っていくんだと覚悟した途端、 目の前に大きな崖が現れた。
その崖は深くて険しくて、 覗き込んだだけで足が竦んで……。
疲れきった私には、 その崖を飛び越える勇気も覚悟もないんだ。
キッチンから戻ってきたたっくんが、 無言で畳に這いつくばり、 布巾を動かす。
「…… 悪かったな、 怒鳴って」
畳に落ちた氷をグラスに戻しながら、 ぼそりと呟く。
カランという音だけが、 辺りに虚しく響いた。
「小夏は…… 俺に愛想を尽かした? 俺のことを嫌いになった? 」
「…… 分からない」
「もう顔を見るのも嫌? 俺から離れたい? 俺から逃げる? 」
「そんなに一遍に言われたって答えられないよ! ただ、 いろいろショックでパニックで…… たっくんのことが信じられなくなっただけ」
「信じられない? 」
私の言葉を聞いて、 たっくんの表情が一気に険しくなった。
「小夏、 俺が言ってることは一貫して変わってないよ。 分かってないのは…… 小夏、 お前の方だ」
「えっ? 」
たっくんは濡れた雑巾をその場にポイッと放り出すと、 座卓を回り込んで来て私の目の前に立ち、 冷たく見下ろしてくる。
そして、 その場にしゃがみ込んで片肘だけ座卓に置くと、 私をジッと見つめ、 低い声音でハッキリ言った。
「小夏、 寝るのなんて簡単だよ」