28、 ずっと言い続けて来ただろ?
校舎の影で薄暗くなっているその場所で、 私たちは膝を付き合わせてジッとしゃがみ込んでいた。
もうとっくに始業のチャイムは鳴り終わっている。
教室では今頃HRが始まっているはずだ。 先生は私の不在に気付いただろう。
もしかしたら、 朝の下駄箱での騒ぎが伝わっているかも知れない。
千代美たちは何て説明しているんだろう……。
いろんなことが頭の中を駆け巡るけれど、 ここから動こうという気にはなれなかった。
「小夏…… 本当に、 ごめん」
すぐ前から、 もう何度目かの謝罪の言葉が降ってきた。
たっくんは一体何に対して謝っているんだろう。
たっくんの取り巻きの誰かに私がこんな嫌がらせを受けたこと?
ずっと私だけだったと言いながら、他の女と平気でキスをしてホテルに行くような関係だったこと?
それを私に隠していたこと?
「私…… 分からない」
「えっ? 」
「たっくんの『好き』は1人だけじゃないの? そんなに簡単に分け与えられるものなの? そんなに…… そんなに安っぽいものなの? 」
膝に顔を埋めたままの、 くぐもった声で問い掛けると、 たっくんはしばらく言葉に詰まって黙り込んでから、 私の両腕を掴んできた。
「小夏、 顔を上げて」
「…… 嫌だ」
「…… 俺が好きなのは小夏だけだよ」
「……。」
「昔も今も、 ずっと小夏だけだ。 他のヤツを好きになったことは一度もない」
「…… ウソだ」
「ウソじゃないよ。 俺はずっと言い続けて来ただろ? 俺はウソなんて言ってない。 俺はずっと小夏を…… 」
「だったらどうしてあんな事をしてるのっ?! 」
バッと顔を上げると、 すぐ目の前にたっくんの顔があった。
青い瞳が揺れ、 綺麗な顔が、 今にも泣き出しそうに歪んでいる。
ーー なんでそんなに悲しそうにしているの?
泣きたいのは私の方なのに……。
さっきたっくんが封筒から取り出した1枚目の写真は、 濡れ髪にバスローブ姿で冷蔵庫を開けているたっくんを斜め後方から写したものだった。
私が拾って見た写真の寝顔といい、 たぶん全部、 誰かが隠し撮りしたものなんだろう。
そしてその誰かは、 たっくんと付き合っていて、 たっくんが大好きで…… そして私が憎くてたまらないんだ。
「俺は…… 」
たっくんが話し出そうと口を開いた時、 チャイムの音が鳴り響いた。
たっくんは舌打ちをしながら校舎を見上げ、 そして私の顔を見た。
「どうせもう今日は授業どころじゃないだろ…… 小夏、 来い」
たっくんが私の手を引いて立ち上がらせようとしたけれど、 私はその手をバッと振り払って自力で立ち上がった。
「たっくんのアパートには行かない。 私の家に来て。 お母さんは仕事でいないから」
スカートの裾をパンパンと払いながらそう言うと、 たっくんは黙って頷いた。
***
チーーン……
丁寧に正座をしてリンを鳴らした後は、 線香のくゆる仏壇の前で手を合わせ、 長い時間頭を垂れている。
たっくんのその後ろ姿は、 凛として美しく、 とても清廉に見えるのに、 彼は大嘘つきで節操のない男だったのだ。
ここに来るまでの間、 私たちは一言も口をきかなかった。
もしも途中で一言でも発したら、 雪崩のように言葉が止まらなくなると思ったから。
ひとたび口を開いたら、 きっと私は電車の中だろうが駅だろうがお構いなしに、罵詈雑言の数々をたっくんに浴びせ、 醜く顔を歪ませて喚き散らしていたことだろう。
たっくんをここに連れて来たのは、 他の女も通っていたであろうあのアパートに足を踏み入れたくなかったという事と、 あの夏の思い出のある場所で、 たっくんがどんな顔で話をするのか見てやろうという嗜虐心からだ。
大好きだったおばあちゃんと、 幼い頃の純粋でひたむきだった自分自身に見守られながら、 身も心も汚れたこの男が何を語るというのか……。
これは完全なる私の意趣返しだ。
こんなことを考えつく私も、 もうあの頃の純粋な私じゃなくなってしまったんだろう。
和室の黒い座卓に向かい合い、 雑然と広げられた5枚の写真を目の前に…… たっくんはゴクリと唾を飲み込んでから、 ゆっくり口を開いた。