16、 あんなキスに意味なんてないだろ?
たっくんを追い掛けて学校に戻ったけれど、 校庭には姿が見えなかったから、 急いで玄関まで走った。
玄関にはまばらに人がいたけど、 そこにもたっくんはいない。 なんだか凄く焦る。
もう一度玄関を出て、 今度は校舎裏に回り込んでみた。
中庭に向かう細い道を辿って行くと、 校舎の影で薄暗くなった非常階段の下に人がいるのが見えた。 ゆっくり近寄って見ると、 それがたっくんと紗良さんだった。
校舎の壁にもたれてクスクス笑っている紗良さんと、 彼女の肩越しに壁に右手をついて立っているたっくん。
傍目に見ると、 仲の良い恋人がこっそり逢引きしている現場という感じだ。
ーー と言うことは、 今ここにいる私が、 逢引き現場に偶然居合わせた邪魔者……ということか……。
胸がざわざわして、 これ以上ここにいてはいけないと、 脳が信号を発した。
だけど意思に反して足は動かなくて、 目は2人に釘付けになっている。
たっくんが紗良さんの耳元に口を寄せて何か囁やくと、 今度は彼女が顔を寄せて何か言いながら、 両手でたっくんの左手を引っ張った。
ーー あっ……。
次の瞬間、 たっくんが紗良さんの左頬にキスしたのを見て、 頭が真っ白になった。
両手で口を押さえながらゆっくり後ずさりして、 踵を返そうとしたら…… ザッと勢いよく転んだ。
「あっ! 」
思わず声が出て、 手のひらと膝に熱い痛みが走ったけれど、 私はそれよりも、 今のでたっくん達に気付かれやしなかったかということの方が気になった。
だって、 こんな惨めで情けない姿を、 あの2人に見られたくない……。
だけど、 私のそんな願いは無残にも打ち砕かれて、 立ち上がりながらそっと振り返った先には、 目を見開いて驚いているたっくんと、 口角を上げて嘲るような目で見ている紗良さんがいた。
ーー 気付かれた!
恥ずかしい、 悔しい、 悲しい、 腹立たしい……。
いろんな感情が一気に押し寄せてきたけれど、 心の大半を占めていたのは、 とにかくここから立ち去らなくてはいけないという考えだった。
膝についた砂を払いもせずに、 私は一目散に駆けだした。
「小夏っ! 」
遠くの方で聞こえた声が、 あっという間に近付いてくる。
「小夏、 待てよっ! 」
私の全速力は、 たっくんにとってはスキップ程度のものらしい。
駅まで逃げきるどころか、 学校の玄関前であっけなく追いつかれてしまった。
後ろから腕を掴まれたと思ったら、 そのまま玄関の中に引っ張り込まれ、 下駄箱の隅に追いやられる。
両手を壁について私を閉じ込めている姿が、 さっきの校舎裏の2人と重なった。
「お願い、 手をどけて…… 」
顔を背けながら、 かろうじてそれだけ言うことが出来た。
「小夏、 違うんだ…… 」
何が違うと言うんだろう。
そういえば、 たっくんのアパートで紗良さんから電話が掛かってきた時にも『違う』って言っていた。
たっくんの言う『違う』って何なの?
何度も電話を掛けてきて、 2人きりで会っていて、 頬にキスをする間柄。
それは私から見たら、 もう立派な恋人同士だ。
それを『違う』と言うのなら、 私とたっくんの感覚はかけ離れて過ぎている……。
「小夏、 頼むから話を聞いて。 お願いだから…… ちゃんと俺の目を見て話してよ…… 」
その切羽詰まった声音に、 思わず視線を合わせると、 揺れるブルーの瞳の中に、 泣きそうな顔の私がいた。
「…… も…… 言ったの? 」
「えっ、 何? 」
「紗良さんにも…… 同じようにこうやって壁に手をついて…… 『違うんだ』って言ったの? 」
「小夏、 何を言って…… 」
「私、 たっくんが分からないよ! 紗良さんがいるのに、 どうして私に『彼女になれよ』なんて言ったの? 嘘までついて会いに行くくらいなら、 最初から私に構わないで欲しかった! 」
「アイツは彼女じゃないって…… 」
「でも、 キスしてた! 」
「あれは…… 頼まれて頬っぺたに唇を押し付けただけだ。 あんなキスに意味なんてないだろ? 」
「意味なんて無い…… って……。 頼まれたらそんな簡単にキス出来ちゃうの? 私は無理だよ」
たっくんは困った顔をして右手で髪をガシガシ掻いていたけれど、「仕方がねえな」と言って、 口を開いた。