11、 いいモン見せてやろうか?
トン…… トン……トン……
まるで幼い子供をあやすように、 背中を規則正しいリズムで叩き続けていたら、 たっくんがゆっくり身体を起こして私を見つめてきた。
「ごめん…… 重いよな」
「うん…… だけど、 なんかたっくんが子供になったみたいで、『愛しいな』って思ったよ」
「『愛しい』…… って、 子供扱いかよ」
たっくんは私から離れてソファーにもたれ掛かると、 「あ〜あ」と言いながら天井を見上げた。
「まあいいや。 それでお前は俺の何を知りたいの? 聞いてみれば? 」
「…… どうしてコンタクトレンズなんかしてるの? 」
私がさっきから気になっていた最初の質問を投げかけると、 たっくんは顔を動かさずにチロッとこちらに視線を向けて、
「う〜ん…… 飽きた?……から? 」
つまらない質問とばかりに、 また天井を見上げた。
「たっくん、 ちゃんと答えてよ」
「ちゃんと答えてるだろ」
「真面目に答えてくれてない」
「だから、 今こうして答えただろっ! …… 次は? 早く聞けよ」
「…… 髪の色は? 染めたの? 」
「これは地毛、 天然モンだよ。 生え変わるたびに徐々に黒くなってった。 アジア系の血の方が濃く出たんじゃね? 」
「苗字が変わったのは? 」
「母親の再婚」
「穂華さんは? 」
「知らね…… 」
「どうして1人暮らしをしてるの? 」
「家庭の事情」
ーー 答えになってない……。
答えているようで、 肝心なところは全部はぐらかしたまま。
結局たっくんは、 私に何も教えようとは思っていないんだ。
私が溜息をつくのを見て、 不機嫌さを感じ取ったらしい。
「なあ小夏、 いいモン見せてやろうか? 」
私の顔を覗き込んで媚びるようにそう言うと、 部屋の隅にある黒い三段ボックスの下の段から、 青い本を取り出してきた。
「…… ほら、 これ」
「えっ? …… あっ! 」
それは見覚えのある青い表紙。
「これって……『雪の女王』?! 」
私がそう叫ぶと、 たっくんが満足げに頷いて、 そっとページを開いて見せる。
たっくんがデタラメに開いたそのページには、紺色のフードを被ったカイと、 真っ白い雪の女王の絵。
「この本、 たっくんが持ってたんだ……。私、 何度も探したんだよ」
青い表紙は記憶のものよりも随分と色褪せて、 所々に皺が寄っているけれど、 間違いなく思い出の本。
後から駐車場や周囲の茂みを探したけれど見つからなくて、 除雪の際に雪に紛れて捨てられたものだと思っていたけれど……。
「…… うん。 あの日…… 病院から帰った日に、 真っ白い雪の中にチラッと青いものが見えてさ、 雪をどけて見たら、 そこにこの本が埋まってた。 あの時に小夏が落としたんだろ? 」
「うん、 そう。 あの時は必死だったから…… 」
開いた絵本の上で、 たっくんが私の右手をギュッと握りしめて、 懐かしそうに語り出す。
「俺さ、 何かあるたびにこの本を開いては、 小夏のことを思い出してたんだ。 顔をくっつけて一緒にページをめくってたシアワセな時間を思い出すとさ、 どんなに辛い時でも、 どんなに嫌なことがあっても、 生きていようって思えた」
『生きていようって…… 』のところで、 握る手に力がこもった。
「俺は結局さ…… 完全に諦めきれてなかったんだろうな。 いつか小夏に会えるかも知れない。 死んだら二度と小夏に会うことは出来ないんだぞ…… って」
淡々と語りながらも、 その横顔は哀しみの表情を浮かべていて、 青い瞳はどこまでも深く、 遠くの何処かを見つめていた。
ーー ああ、 私は大馬鹿ものだ。
言いたくないから話さないのに、 話してくれないと責めるなんて……。
この6年間の間に私にいろいろな出来事があったように、 たっくんにだってたっくんの時間があったんだ。
死にたいと思うほど、 生きていようと自分に言い聞かせなければならないほどの日々なんて、 たぶん私の想像をはるかに超えている。
今の彼は、 そんな辛い日々の中で、 必死にあがいて戦って出来上がったたっくん。
なのに私は、 今のあなたを好きではないと言いながら、 その同じ口で、 あなたの全部を教えろと迫った。
ーー 私は本当に……傲慢で身勝手だ。
ふと隣に意識を戻すと、 目の前の壁を見つめていたはずのたっくんが、 目を優しく細めながら、 フワリと微笑みかけていた。
嬉しそうに、 愛おしそうに、 そして大切な宝物を愛でるようなその眼差しを見たときに、 胸にじんわりと新しい感情が込み上げてきた。
ーー ああ、 好きだな……。
それは、 あの頃に見たヒマワリのような屈託のない笑顔でも、 王子様のような上品な微笑みでもない。
どこか憂いと物悲しさを含んだその表情は、 私の心を震わせ締め付けて、 一瞬のうちに捕えてしまった。
この感情をどう言い表わせばいいんだろう。
あの頃のような激情もトキメキも無いけれど、 心の奥の奥からジンワリと染み出てくるような愛おしさ。
もしかしたら、 それを人は『同情』と呼ぶのかも知れないし、『共鳴』と言うのかも知れない。
だけど私は、 今目の前にいるたっくんを抱きしめたいと思ったし、 一緒にいてあげたいと思った。
ーー 言ってみようか…… 言ってしまおうか、 今の気持ちを。
そう思って唇を動かしかけたとき、 テーブルの上に置かれていたたっくんのスマホが震えだした。
明るくなった画面には、『紗良』という表示。
ーー 紗良…… 女性の名前?
私は口許まで出かかっていた言葉を飲み込んで、 震える画面を黙って見つめていた。