3、 内緒にしておいてくれる?
あの夜に病室で起こった事は、 夢だったんじゃないかと思うことが時々ある。
たっくんに会いたくて仕方なかった私が見せた幻だったんじゃないか…… って。
だって、 あの時のたっくんは、 優しく微笑んで抱きしめて、 私と一緒にいるって、 離れないって言ってくれた。
あの日の口づけは、 一生を誓った神聖な儀式だ。
たっくんがその誓いの後で私を置いて何処かに行けるはずがない。
だからきっと、 あの夜のたっくんはいなかったんだ、 私の目の前には現れていなかったんだ……
そう思うたびに、 柔らかい唇の感触と熱を思い出して、 やはり夢でも幻でも無かったのだと思い知る。
忘れたい。
だけど、 あの日の誓いの儀式を無かったことにはしたくない。
たっくんとの思い出を一つたりとも忘れたくはない。
だから苦しみながらも、 何度も何度も思い出す。
たっくんとの日々を、 2人で重ねた思い出の数々を。
青い瞳に初めて出会ったうさぎ小屋の前。
公園で掘ったトンネル。
たっくんに背負われて登った滑り台。
うさぎ事件とミルクの葬式。
誘拐事件と消毒の匂い。
夏の日の花火と金魚。
雪の中の真紅の華。
最初で最後の口づけ。
たった10行の手紙……。
それらは今もなお私を苦しめ続けて、 傷は塞がることなく、 私の胸をジワジワと痛めつけている。
たっくんを心から憎んで恨んで呪いまくって……
自分に跳ね返った呪いは、 6年経ってもまだ、 たっくんを忘れることを許してくれないままだ……。
***
「ええ〜っ、 ちょっと何その純愛ドラマ。 泣けるんだけど…… 」
言ってることはあながち嘘ではないらしく、 千代美はポケットからタオル地のミニタオルを取り出して、 目元を押さえている。
今日は入学式のあと、 各教室で教材を受け取って解散だったので、 千代美と清香に頼んでそのまま家に来てもらった。
心配を掛けたので、 事情を説明したかったのだ。
入学式の見学に来ていて、 家まで一緒に帰ってきた母は、 私たちのためにおやつの準備だけして仕事に行った。
「それにしても、 そんな偶然ってあるものなのね。 横浜で離ればなれになった2人が転校先の名古屋で再会って…… ロマンチックよね」
「もう、 清香までそんな事を言う……。 別にそんなドラマみたいでもロマンチックでも無いよ。 6年も前の思い出話」
そう、 もう6年も前の話。
たっくんの事だって、 もう二度と会うこともない、 夢の中の人みたいに感じていたのだ。
それが、 こんな所であんな形で再会するなんて……。
入学式のあと、 私を図書館に連れ込んだのは、 間違いなくたっくんだった。
それはあの仕草と会話、 そして右手の火傷の痕で確信した。
だけど、 髪も目の色も違う。
それに、 言葉では表現しにくいけれど、 たっくんの雰囲気が昔とは全然違っていた。
そりゃあ成長すれば人は変わるものだと思う。
でも、 それだけでは無い何か。
彼の醸し出す空気が、 私の知っているたっくんを否定しているかのように感じたのだ。
もっと話したかったし、 聞きたいこともあった。
だけど私は泣くことしか出来なくて、 その後は教室に戻らなくてはいけなかった。
「またな」
教室の前で、 そうたっくんは言ったけれど、 私がたっくんに会ったことは母には内緒にしておいて欲しいと言われた。
「悪いけど、 しばらく俺のことは早苗さんに内緒にしておいてくれる? 」
どうして内緒にするの?
6年前に何があったの?
今までどうしていたの?
私は夢にまで見たたっくんと再会しながら、 やっぱり6年前と同様、 何も分からないままここにいる。