3、 お前んち、そこなの?
「俺のこと呼んだ? 俺がたっくんなの? 」
ボケっと突っ立っていたら、 もう一度聞かれてハッとする。
「ごめんなさい…… 」
コクリと頷きながら謝ったら、 たっくんが怪訝そうな顔で、 また聞いた。
「なんで謝ったの? 」
「勝手にたっくんって呼んだから…… 怒ったかと思って」
「怒ってないよ」
「怒ってないの? 」
「怒ってないってば。 だけど、 もしもお前が呼んだのが俺なら、 返事をしなきゃいけないだろ? 俺がたっくんなの? 」
「うん…… 拓巳って言ってたから…… ごめんなさい」
「ハハッ、 だから、 謝らなくていいってば」
そう言って大きな口を開けて笑った彼は、 夏空の下でパッと大きく花開くヒマワリのようだった。
私は眩しいのが夕日なのか彼の顔なのかもよく分からないまま、 目をショボショボさせて、 エヘヘと小さく照れ笑いをした。
「小夏、 お友達? 」
そう言えば、 お母さんと一緒だったことをすっかり忘れていた。
私は2人を交互にチラチラ見ている母親を見上げると、 繋いでいた手を離して目の前のたっくんを紹介した。
「えっと…… たっくんは拓巳くんで、 保育園の子」
私のつたない説明でも母親にはちゃんと伝わったようで、 母は「ああ」と納得顔をして、 もう一度たっくんをまじまじと見つめている。
「 鶴ヶ丘保育園のお友達なのね。 たっくん、 こんにちは。 お父さんかお母さんは一緒じゃないのかな? 」
「お父さんはいない。 お母さんは彼氏とデート」
悪びれるでもなくサラッと答えたたっくんに、 母は一瞬顔を曇らせたけれど、 それでもすぐに笑顔を取り繕って、 中腰で話しかけた。
「…… そうなのね。 家はどこ? 近所なの? いつも1人で遊んでるの? 」
たっくんは母の矢継ぎ早な質問に臆することなく、 腕をスッと前に伸ばして、 自分の目の前の建物を指差した。
「家はあそこ。 お母さんが、 この公園とあそこのコンビニは行っていいって言うから…… 」
私と母で、 彼が指差した方を同時に振り向くと、 そこには今しがた自分たちが出てきた古い木造アパートがあった。
「あのアパートに住んでるのね? 私たちも同じアパートに住んでるのよ、 この子は小夏っていうの、 5歳よ。 よろしくね」
「まだ5歳なの? 俺はもう6歳」
たっくんは口角を上げてちょっと勝ち誇ったような顔をしてから、 また砂場にしゃがみこんで、 黙々と砂遊びを始めた。
母が近くのベンチに座って見守りの態勢に入ったので、 さて私はどうしようかと立ちすくんでいると、
「お前は遊ばないの? 」
砂場から見上げたたっくんと目が合った。
「そっちから固めてよ」
そう言われて砂場に足を踏み入れると、 私はたっくんの向かい側から砂の山をペタペタと手で固め始めた。
たっくんはペットボトルに入った水を器用にちょっとずつ砂に加えては、 どんどん山を大きくしていく。
「ペチペチ叩くんだよ」
「分かった」
言われるままにペチペチと力を加えていると、 固くて立派な円錐の山が出来上がった。
「そっちから掘って」
「うん」
今度は言われるままにトンネルを掘る。
崩れないようにちょっとずつ掘り進んでいくと、 真ん中でたっくんの手と合流した。
「出来た! 」
「やった! 」
真ん中で触れた指をそのままに、 トンネルの両側から微笑み合う。
たっくんはすぐにトンネルから腕を抜いて立ち上がると、 出来上がったばかりの砂山を満足げに見つめた。
それはほんの数秒だったんだろうけど、 砂の中で触れた指先の暖かさと、 なんだかくすぐったいような感覚は、 その後もしばらく私の中に残っていた。
夏の日の入りが遅いとはいっても、 夕方6時半を過ぎると日が陰ってくる。
母がベンチから立ち上がって私を呼んだので、 そちらに駆け寄ろうとしたけれど、 私はなんだか気になって、 足を止めて振り返った。
「たっくんは帰らないの? 」
「…… 帰るよ」
瞳を伏せたたっくんに、 近付いてきた母が声を掛けた。
「もう暗くなるわ。 さあ、 たっくんも一緒に帰りましょう」
「…… うん」
母が差し出した手をたっくんが握り返し、 私たちは仲良く並んで歩き出す。
真ん中だけ背の高い3つの影が、 足元から長く伸びていた。
「たっくん、 お母さんはまだ帰ってこないの? 」
「大丈夫、 鍵があるから」
母はたっくんがこの時間まで1人なのを心配していたけれど、 それ以上は追求せずにアパートの前で手を離した。
階段の近くで バイバイと手を振って別れた…… けれど、 3人同じ方向に歩き出す。
たっくんがドアの前でポケットから鍵を取り出して、 右を見た。
「えっ、 お前んち、 そこなの? 」
「うん、 102号室」
「俺んちここ、 101号室」
「えっ?!…… 」
お隣さんは、 同じ歳の女の子でも、 綺麗で優しいお姉さんでもなくて、 青い目の男の子だった。