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たっくんは疑問形  作者: 田沢みん(沙和子)
<< 番外編 >>
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最高のバレンタインプレゼント

azure(アジュール)』とロゴの入ったドアの鍵を閉めて、2人並んで歩きだす。

 たっくんが「んっ」と左手を差し出して、私がその手をぎゅっと握りしめて。

 それが当たり前の今日この頃。


 たっくん31歳、私が30歳のバレンタインデイは日曜日で、2月なのに薄っすらと雪が積もって息が白い。

 駐車場に停めてあった車に乗り込むと、たっくんが急いで暖房をつける。


「車の中もさっむいな」

「うん、暖房が効いてくる前に家に着いちゃうんじゃない?」

「本当だな」


 そんな会話をしながら車を発進させ、たっくんがカーラジオをつけた。

 女の子のアイドルグループが歌っているバレンタインデイの曲が流れてきて、2人で「仕事が忙しくてバレンタインどころじゃなかったね」と笑いあう。



 私達が名古屋の実家近くに『azure』名古屋店を開店させて、ほぼ1年。

 たっくんは基本的に名古屋店にいるけれど、月に数回は常連客のヘアカットのために横浜店にも顔を出している。


 今はずいぶん落ち着いて来たけれど、名古屋に開店すると決まってから開店後しばらくは、本当に目まぐるしい忙しさだった。

 たっくんの抜けた横浜店のフォローも必要だったし、新しい店舗の準備も必要で。


 お店のことだけでてんてこまいだった私達を、母が支えてくれた。

 食事に行く時間も無いだろうと2人分のお弁当を作ってくれて、店舗の内装が予定通りにいかずに弱音を吐けば叱咤激励してくれて。

 婿養子となったたっくん共々、陰になり日向になり支え続けてきてくれたのだった。



「なあ、早苗さんに花でも買って帰る?」

「えっ、どうして?」


 するとたっくんは、本当のバレンタインデイは、男女関係なく愛する人にカードや花などを贈るものだと教えてくれた。


「去年は開店準備で忙しくてそれどころじゃなかっただろ? でも同居してからのこの1年間、早苗さんが凄く支えてくれたしさ。今年はちゃんと愛と感謝を伝えるべきじゃないかと思って」


 さすがたっくん、細かいところにも気がまわる。

 私は自分の母親だから当然のように甘えてしまっているけれど、たっくんはそれを当然だと思ってはいけないと教えてくれているんだ。


「うん、お母さんはお花ももちろん喜ぶだろうけど、それよりも今日は早く帰ったほうが喜ぶと思うよ」

「えっ、なんで?」

「えっと……嬉しい報告が待ってるから」

「どういう意味?」


 たっくんは益々わからないという表情で私に視線を向ける。

 あまり集中力を欠いて事故でも起こされては困るので、私はここで種明かしをすることにした。


ーー本当は家に帰ってから報告しようと思ってたんだけどな……。


「実はね、赤ちゃんが出来たの」

「えっ、ええっ!」

「ちょっと、赤信号!」


 キキーーーッ!


 集中してもらうつもりが余計に動揺させてしまった。


「今日の午前中、用事があるからって少し抜けさせてもらったでしょ? あのとき実は産婦人科に行ってて……それで、今は妊娠8週で3ヶ月に入ったとこだって」

「マジか……」

「うん、マジ……」


 見るとハンドルを握るたっくんの手が、肩が震えている。

 鼻をすする音がしたと思ったら、たっくんが洋服の袖で涙をグイッと拭った。


「そうか……俺に子供が……血を分けた家族ができるのか……」


 私が箱からティッシュを取り出して渡したら、たっくんはそれで鼻をかんで、「もう一枚」と言った。


ーーそうだよ、たっくん。もうすぐたっくんの家族が増えるんだよ。



 たっくんはずっと家族の愛を求めていた。

 父親を知らず、母親に放置され、母親の愛人に虐げられ。

 やっと会えた祖母には頼ることができず、叔父夫婦にも邪魔者扱いされた。


 そんな彼に家族を作ってあげたいと、私はずっとそう思っていた。

 私と結婚して妻ができ、養子となって母親もできた。

 だけどそれだけではまだ足りないんじゃないかって私は感じていて。

 

 私や母がどんなに頑張っても与えてあげられないもの、それは血の繋がりだ。

 たっくんの血と肉を受け継ぎ、彼の肌や髪や目の色を引き継いだ彼の子ども。

 離れていても、どこにいたって彼と繋がっている存在。

 それが今、私の中に宿っている。

 そしてその子は私とたっくんをさらに深く結びつけてくれるに違いない。


 私はそれが嬉しくて、とにかく嬉しくて。


 だから今日は最高のバレンタインプレゼントとして、それを家で発表する気でいたのだけれど……。



「小夏、もう一枚」

「はい、どうぞ。安全運転してね」

「当たり前……絶対に……事故らない」


 このぶんだと家に帰るまでにティッシュ一箱使い切っちゃいそう。


「……たっくん」

「んっ?」

「ハッピーバレンタイン。これから、もっともっとしあわせになろうね、パパ」

「パパっ!?」


 勢いあまってブオンとアクセルを踏み込んでから、たっくんが私の手を握る。


「うん、最高のプレゼントをありがとう、本当にハッピーなバレンタインデイだ」


 私はたっくんの手をギュッと握り返しつつ、もう片方の手でバッグを胸に抱きしめる。


ーーこれを今見せたら興奮して事故っちゃいそうだな。


 家に帰ってそれを見せたときのたっくんの顔を思い浮かべながら、私は超音波エコーの写真が入ったバッグを持つ手に力をこめた。




Fin


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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に素敵な作品で、一日かからず読んでしまいました。 話が重くて、ほんとに重くて途中で読むのを辞めそうになりましたが、最後はハッピーエンドで終わって本当に良かったです。 良ければ新人くん視点…
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