新婚旅行〜サンディエゴの夕陽〜 (3)
その晩は前日と同じホテルに連泊し、翌日はフェリーで対岸の島に渡った。今夜はここで宿泊となる。
チェックインまで時間があったので、それまで島の観光をして時間を潰すことにした。
『湿っぽいのはもう終わりだ』
『今ここで母さんの弔いをしたら、残りの3泊4日は俺たちの時間を楽しまないか?』
昨日たっくんがそう言ってくれたから……今日からは単純に楽しもうと思う。
私が湿っぽくしていたら、たっくんだって嬉しくないに決まってる。
それになんといっても、これは新婚旅行なんだし。
美容師というたっくんの仕事柄、こんな機会でもなければ1週間も休めることはもう無いだろう。
4泊5日のサンディエゴの旅が、最初で最後の海外旅行かも知れないな……なんて考えた。
ショッピングモールでお土産を物色し、大きなハンバーガーにかぶりつく。
簡単な挨拶程度しか英語が喋れない私とは違い、たっくんは英会話が得意なので、買い物にも不自由しない。なんとも頼もしい限り。
「ちょっとトイレに行ってくる。ここから動くなよ」
そう言ってたっくんがいなくなった時に、事件が起こった。
目の前の雑貨屋が気になった私が1人でフラフラとお店の前でアクセサリーを見ていると、メキシコ人らしい浅黒い2人組の若者に話し掛けられたのだ。
ーーえっ、何って言ってるの?
2人はニコニコ愛想が良くて、悪い人では無さそうに見える。だけど早口でペラペラ話し掛けられては何を言われているのかさっぱり分からない。
とりあえず黙って頷いていたら、『あっちへ行こう』みたいなジェスチャーで左手首を掴まれグイッと引っ張られた。
ーーええっ?!
慌てて「NO!」と足を踏ん張っていると、
「Keep your hands away from my girl!(俺の女に手を出すな!)」
聞き慣れた声で流暢な英語が飛んで来て、グイッと肩を後ろに引き寄せられた。
ポスンと後頭部が柔らかいものに当たり、そのまま後ろから抱き締められる。
「たっくん!」
振り返ったそこには焦ったような怒ったような必死な表情。
たっくんが英語で若者2人と一言二言言葉を交わすと、彼らはそそくさとその場から退散して行った。
「はぁ〜〜っ、ビビった〜!」
たっくんがその場でしゃがみ込み、大きく溜息をつく。
「たっくん、ごめんね」
私もしゃがみ込んでたっくんの顔を覗き込んだら、ギロッと鋭い目で睨まれた。
「お前なぁ〜、だから動くなって言っただろ!」
「ごめん……私が小さいから万引きか迷子かと間違われたのかも」
「アホかっ!ちげ〜〜わ!」
大声で怒鳴られて、ビクッとなった。
「あんなのナンパに決まってるだろっ!」
「えっ……」
ーーええっ!
「嘘っ!」
「嘘じゃないっつーの!」
たっくんは肩をガックリ落として、またしても深い深い溜息をつく。
「俺が『俺の女に手を出すな』って言ったらそそくさと逃げてっただろ」
「へぇ〜っ、そうなんだ」
「『そうなんだ』じゃないだろっ!」
たっくんは、「お前の暴走癖、マジでヤバいな」とか「早苗さんの言う通りだった」とかブツクサ呟いていたけれど、最後にバッと立ち上がって、
「まあ……小夏を1人にした俺が悪かった。もう絶対離さないからな」
そう言って私の手を掴み、スタスタ歩き出す。
その背中が完全に怒っていたので、私はショボンとしながら、黙って手を引かれて歩いた。
「小夏……お前は俺の奥さんなんだからさ……人妻なんだから、勝手にホイホイ他のヤツについて行くなよ」
「はい……」
「さっきのヤツらにもさ、彼女は俺の奥さんだ!人妻にちょっかいかけんじゃねぇ! って言ってやった」
「人妻……っ!」
なんだか新鮮な響き。ちょっとドキドキする。
「凄い! 私でもちゃんと人妻に見えてたのかな。ナンパってことは、大人の女性に見えてたって事だよねっ」
チビだの幼いだの言われがちな私だけど、ちゃんとそれなりに成長しているということなんじゃ?
「……くっ……ハハッ」
急にたっくんが立ち止まり、私は勢い込んでその背中にトンとぶつかる。
「小夏……さっきの2人組は高校生だぞ。アイツら、小夏がティーンエイジャーだって……中学生か高校生かと思ってたって……ハハッ」
そこで漸くたっくんが振り向いてくれた。その顔が笑っている。
「ふっ……いくら小さいからって……ハハッ、お前、若く見られすぎっ」
ーーガーン! 中高生?! あの人たち、人妻の色香を感じたんじゃないの?!
「え〜っ、失礼! チビだけどちゃんと人妻なのに!」
「ハハハッ、お前、ナンパされたからって、自分に人妻の色気があるとか思って盛大に期待しただろ」
「えっ……そんなこと、別に……」
ーーちょっとだけ、そう思ったけど。
たっくんは笑顔を引っ込めると、
「お前……俺以外の男にホイホイついてくなよな」
人差し指で私のオデコをツンと突く。
「他のヤツの目なんて気にすんなよ。若く見られようが老けて見られようが、そんなのどうでもいいじゃん。俺の目に映る小夏はいつだって可愛くて綺麗でキラキラしてて……今は人妻の色気がムンムンしてて、めちゃくちゃいい女なんだからさ……」
それでいいじゃん……そう言われたら、顔を真っ赤にしてコクコク頷く以外にない。
たっくんがストレートな物言いをするのはいつものことだけど、新婚旅行で夫から言われているのだと思うと心臓がトクンと鳴る。
「くそっ……もう駄目だ」
「えっ?」
甘い言葉の余韻に浸ってたら、たっくんの切羽詰まったような声。
「そろそろチェックインの時間だ。ホテルに行こうぜ。ムラムラしてきた」
「ええっ?!」
たっくんは私の手を引きながら、早足でグングン歩き出す。
「もう待てないや。なんてったって俺の奥様は人妻の色気が溢れまくってるからな」
「あ〜っ、馬鹿にしてる!」
「……してないよ……俺にとって小夏が誰よりもそそる女だよ」
肩を抱き寄せられ、「あんなに必死になるのも抱きたくなるのも、俺には小夏だけだから……さ、早く2人きりになりたい」
耳元で囁かれ、腰が砕けそうになる。
ますます茹で蛸のようになった私にフッと笑うと、
「さあ、新婚らしくヤリまくるぞ〜!」
大声で言われて驚愕した。
「ちょっ、ちょっと、たっくん!」
「ハハハッ、日本語だし誰も聞いてねえよ。部屋に入ったらすぐにエロいキスするぞ」
楽しそうにズンズン進むたっくんと、俯いて手を引かれる私でホテルに向かい、チェックインを済ませると、その後は宣言通り、全身に濃厚なキスの雨が降り注いだ。
「勝手にナンパされたお仕置き」そう言ってベッドに押し倒されたけれど……
その言葉とは裏腹に、私に触れるたっくんの指先も吐息も、突き立てる欲情さえも……全てが蕩けそうなほど、とてもとても甘く優しかった。
「たっくん、見て、凄い!」
ホテルに入って3時間後。
先にシャワーを終えた私は、ベランダの手摺りから身を乗り出して、漸く目の前の景観を堪能することが出来た。
振り返り、バスローブ姿で出てきたたっくんに呼び掛けると、彼は後ろから私を抱きしめながら、「本当……綺麗だな」と感嘆の声をあげた。
ホテルのウィングから望むサンセットは、濃いオレンジの光を放ちながら、その姿をロマ岬の向こう側に沈めようとしている。
その荘厳な景色に、改めてここに来て良かったな……と思った。
「胸が震えるな……。俺、今日ここで見た景色、一生忘れない」
「うん、私も」
後ろから抱き寄せる腕に力が籠もり、髪にたっくんの頬がスリスリと擦り付けられる。合間に耳や頬や首筋に唇が柔らかく押し当てられる。
「ほんっと綺麗……」
「うん……オレンジ色が濃くて大きくて……圧倒され……ん……ふふっ、たっくん、くすぐったい」
「夕焼けに照らされて黒い瞳がキラキラ輝いてさ……白い肌も暖色に染まって……ヤバい、マジ綺麗、女神……」
「えっ?! あっ…」
チュッと首筋を吸われて鼻にかかった声が出た。
「小夏……愛してる……ホントもう、止まれない……」
「きゃっ!」
そのまま膝裏から抱き上げられて、部屋へと攫われる。
必死で首にしがみつきながらもう一度眺めたサンディエゴの夕陽は、海の向こうで揺らめきながら、たっくんの美しい横顔を暖かく照らしていた。
Fin
『新婚旅行〜サンディエゴの夕陽〜』これで終了です。
穂華にマイクのいた景色を見せる事が出来て、小夏と拓巳だけでなく私も漸くスッキリ出来ました。
今後も本編で描ききれなかった甘々エピソードを不定期で追加していきたいと思っていますので、よろしくお願い致します。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。