エピローグ
『azure』と黒と金色の筆記体で書かれた自動ドアを開けて店内に入ると、 俺はキョロキョロと指導係の姿を探す。
「あっ、 隼人さん、 オモテの掃き掃除とガラス拭きを終わりました!」
俺の指導係であり、先輩美容師の隼人さんにそう告げると、彼はお店の奥に向かって大声を出した。
「拓巳さん、 新人の夏季が掃き掃除を終わったんですけど、 次は何をさせますか? 」
すると奥から、 俺の憧れの人、 拓巳さんが颯爽と姿を現した。
ーー うわっ、 超カッコいい!
やっぱ凄い、 この人はカリスマだ……。
真っ白いカッターシャツに、 細い足にピッタリとフィットした黒のスキニージーンズ。
たったそれだけの格好なのに、 モデル並みに人の目を惹きつける。
……って言うか、モデルや俳優でも十分通用するだろう。そこらのアイドルよりもよっぽど整った顔立ちをしているし、第一華がある。
29歳と言うけれど、 もっと若々しくも見えるし、 逆に達観した渋さも持ち合わせているし…… 。
要は、 年齢不詳の不思議な魅力を持った人物っていうことだ。
朝礼の挨拶の時も感じたけれど、 この人が姿を見せるだけで、 店内の雰囲気がパッと変わる。
スタッフ全員がピシッと背筋を伸ばし、 頬を上気させ、 空気が華やぐ。
みんながこのお店のスタッフであることを、 拓巳さんと共に働けることを誇りに思っているのが、 ガンガン伝わって来るんだ……。
テレビや雑誌でも紹介されるような横浜の人気ヘアサロン『azure』に、 どうして俺が採用して貰えたのかは未だもって謎だ。
だけど、 地元の千葉で美容師の専門学校を卒業後、 1対1での面接を経て、 俺は昨日から憧れの拓巳さんのお店で働ける事になった。
面接の時の拓巳さんとの会話は良く覚えている。
お店の待合のソファーで向かい合いながら、
『とにかく何でもいいから自己アピールしてみてよ』
そう言われた俺は、 緊張しながらも大声で自己紹介をした。
「藤田夏季、 1月29日生まれの20歳。 血液型はO型、 千葉県生まれの千葉県育ち。 趣味はサーフィンとネズミーランド。 ネズミーランドは地元なんで年パス持ってます! 冬生まれなのに『夏季』って名前なのは、 両親が夏が好きで、 趣味のサーフィンで出会ったからです。 俺も冬は寒いので苦手です! 以上です! 」
「…… 採用」
「へっ? 」
「夏季くん、 君、 採用決定ね」
「へっ?…… ええっ?! 」
大きく仰け反ってソファーの背もたれに両肩をぶつけた俺を見ながら、 拓巳さんがニカッと笑う。
「俺も俺の奥さんも、 夏が好きで冬は苦手だ。 あとな、 俺はネズミーランドで誘拐されかけた事があるんだぜ」
「ええっ?! 」
「1月29日生まれは水瓶座、誕生石はガーネット。誕生花はラナンキュラスだな」
「えええっ?!」
「ちなみにラナンキュラスの花言葉はな、『I am dazzled by your charms』あなたの魅力に目を奪われる……だ」
「えぇ〜〜っ?!」
目を白黒させている俺を見ながら、拓巳さんが悪戯っ子みたいにクククと肩を揺らしていた。
あの時のことを思い出してボケ〜っとしていたら、 拓巳さんにポンッと肩を叩かれて我に帰る。
「夏季、 お前はまだアシスタント2日目だから、 出来るのは掃除とスタイリストの手伝いだけだ。 店の棚と倉庫にある物の、 品名と場所をしっかり覚えておけよ」
「はいっ! 」
気をつけの姿勢で勢いよく返事をしている間に、 拓巳さんは受け付けの小夏さんの元に行き、 今日の予約の確認を始めた。
その姿を見ながら、 隼人さんにスススと近付いて耳打ちする。
「拓巳さん、 めっちゃカッコイイっすよね〜。 俺、 雑誌であの人の記事を読んで憧れて、 美容師になろうって決めたんですよ」
「ああ、 この店で働いてるヤツはみんな拓巳さんを目標にしてるからな。 カリスマだな」
「青い瞳といいスタイルといい、 モデルみたいっすもんね。 あの拓巳さんを射止めた奥さんって、 一体どんな人なんすかね? 」
「ああ、 お前はまだ知らないんだったな。あそこで受付してる小夏さんが奥さんだよ」
「へっ?! 」
ーーええっ?!
「隠してる訳じゃないけど、 わざわざ公表もしてないからな。 でも、 見てればすぐに…… 」
「ええっ?! あの地味な…… いや、 大人しい感じの人ですか?! それに、 苗字だって……」
「ああ、 拓巳さんは奥さんちに婿養子に入ってるから、 今の本当の苗字は『折原』なんだよ。 ただ、 独身時代の名前で売れてるから、 通り名はそのまま『月島』を使ってるだけで…… 」
「ええっ、 勿体ない!……いやっ、 小夏さんは穏やかで優しくていい人だとは思いますけど……」
言葉をオブラートに包んで言ってはみたけど、 小夏さんはどう見ても地味系だ。
大人しい清純派を好むようなオヤジ連中にはウケがいいだろうけど、 こういう華やかな業界で、 特に拓巳さんのように芸能人並みの騒がれ方をしている人から見たら、 アレは物足りないんじゃないだろうか?
タイトロープ編みをアップしてバレッタで留めたヘアスタイルは可愛らしいけど、 赤いメタルフレームのメガネが魅力を半減させている気がする。
せめてコンタクトレンズにすればいいのに……。
「拓巳さんのあの外見なら、女優でもモデルでも食い放題じゃないすか。 昨日来てたグラビアアイドルも、 あからさまに拓巳さん狙いでしたよね。 正直言って不釣り合いっていうか、 もっと上を狙えるって言うか……」
すると隼人さんが鼻でフフンと笑う。
「お前はまだ子供だな。『本当にいい女』の魅力ってのが分かってないんだ」
「ええっ?『本当にいい女』って……」
「そのうちに分かるよ。『男を心からの笑顔にさせる女』の威力がさ。ここの女性スタッフも、 それで早々に拓巳さんのことを諦めたくらいだ」
「はあ、『心からの笑顔』…… ですか……? 」
「因みにな、 小夏さんの髪は拓巳さん以外には触らせないんだぜ。 ヘアアレンジも毎日拓巳さんがやってんだ。 拓巳さんのヘアモデルは学生時代からずっと小夏さんで、 3年前にコンテストで優勝した時も、 モデルは小夏さんだった」
「3年前って、あのヘアスタイルコンテストですか? 俺、何度も動画を見ましたよ。拓巳さんの『女神』、断トツで素晴らしかったっスよ! あの翌年に独立して『azure 』をオープンしたんですよね……ってか、あの女神が小夏さん? マジっすか?!」
俺が口をあんぐり開けていると、隼人さんは『まあ見てろよ』とでも言うように目配せした。
俺は棚に並べられたシャンプーを見るフリをしながら、 受付けカウンターでの2人の会話に耳を澄ませる。
「あっ、 小夏、 お前の髪、 ちょっと乱れてるぞ」
「えっ? ああ、さっき棚のファイルの角で髪を引っ掛けちゃったから…… 」
「直してやるよ」
「後でいいよ、 開店準備しなよ」
「2分で済むから」
「もう…… 」
拓巳さんは小夏さんの肩を掴んで店の椅子に座らせると、 後ろに立ってサッと髪をほどいて、 その場で髪を整え始めた。
指を差し入れて、 ゆっくりと丁寧に髪を梳き、 目を細めて艶やかな黒髪を見つめる。
その指先は、 その目つきは、 まるで大切な宝物を扱うようで……。
「出来たぞ」
「ありがとう! さすが、 あっという間だね」
「当たり前だろ。 どんだけ年季が入ってると思ってんだよ」
「ふふっ…… 小学校からだから…… そろそろ20年?以上になるよね? 」
「違うよ! 小学校に入学した直後だったから、 もう23年だよ! 」
「細かっ! 」
「当たり前だろっ、 俺たちの歴史だぞっ! 細かく覚えとけよっ! 」
「はいはい」
「ホント、 俺ばっか…… 」
「…… 俺ばっか? 」
小夏さんが鏡ごしに拓巳さんの顔をジッと見つめると、 拓巳さんが顔を真っ赤にして言い淀む。
「いや…… その…… 俺ばっか、 ずっと夢中……」
すると小夏さんはクルッと振り向いて、 拓巳さんをズイッと見上げた。
ちょっとだけ唇を尖らせて、 不満げな顔をする。
「誰が…… 誰にばっか? 」
「いや…… その…… 俺が…… 」
「1度ならず2度までも勝手に消えた人が? あの時わざわざ会いに行ったのは誰? 横須賀まで追い掛けてったのはどっちだった? 」
「あの時はっ! ……でも、 高校で再会した時は、 俺の方が先に小夏って気付いたし、 お前は全力疾走して逃げただろ? 」
「だってあの時はたっくんがコンタクトをしてたからっ! …… じゃあ、 お互い様だよね? 両方が追い掛けたんだから、 夢中なのはたっくんばっかじゃないよね? 」
「…… じゃないな」
「そう言うことです! 」
「ハハッ、 小夏には敵わないな」
拓巳さんが後ろから抱きついて顔を寄せると、 小夏さんがその手に自分の手をそっと重ねて、 鏡の中で見つめ合う。
「何ですか、 アレ。 ゲロ甘じゃないっすか」
「なっ? 拓巳さんのあんな笑顔を引き出せるのは、 世界中で小夏さん、 ただ1人だ」
隼人さんは俺の肩を軽くポンッと叩いて、 店の奥へと消えて行った。
俺はもう一度、 鏡をジッと見つめている2人に視線を戻す。
拓巳さんが耳元で何か囁いて、 小夏さんが「もうっ!」って言いながら頬を染めると、 拓巳さんが「ハハハッ」て心底嬉しそうに大きく口を開けて笑った。
ーー本当だ…… ひまわりみたいな笑顔だ。
完
あけましておめでとうございます。
『たっくんは疑問形』無事完結いたしました。
これもひとえに応援し、読み続けて下さった皆様のおかげです。
皆様からいただく感想やレビュー、ブックマークや評価ポイントが毎日の支えになっていました。
心より御礼申し上げます。
改めまして、沢山の作品の中から『たっくんは疑問形』を見つけてくださりありがとうございました。
また新作でもお会いできることを楽しみにしています。
今年もよろしくお願い致します。
2020年1月1日 沙和子拝