73、小夏が隣で支えてくれるんだろ?
たっくんの卒業式は、高校の体育館で午前10時からアットホームな雰囲気のなか執り行われた。
今年度の卒業生は、男子10名に女子9名の計19名。校長先生に名前を呼ばれると1人ずつ登壇し、卒業証書を授与される。
その後、卒業生の中でも特に成績が優秀な数名だけが壇上に呼ばれ表彰されるのだけど、そこにはなんと、たっくんの名前もあった。
2年生までの単位を既に取得してあったとは言っても、母親の看病の傍ら残り2年分の単位を1年間で取得するのは容易な事ではない。
自由時間を削り、睡眠時間を削り、きっと移動のバスの中でも参考書片手に勉強に励んだんだろう。
壇上で表彰状を片手に胸を張ってすっくと立っている姿は、ギリシャ神話に出てくる英雄のように神々しく、美しい。
ーー私はこんなに素晴らしい人の恋人なんだ……。
それを心から誇りに思うと同時に、こんな人に身も心も深く愛されているという事実に改めて感動して身震いがした。
式の終了後、退場していく卒業生には在校生から花束が渡されるのだけど、たっくんは一足先に3年間で卒業したから、見送ってくれているのはかつての同級生。
花束を渡してくれた年上らしい男性がたっくんの肩をバシバシ叩いて声を掛けていたり、他にも年齢もまちまちな元クラスメイトたちが、次々とお祝いや激励の言葉を掛けてくれている。
陽向高校は一緒に卒業出来なかったけれど、たっくんにもたっくんの高校生活があって、一緒に頑張ってきた仲間がいるんだな……としみじみと思った。
ーーそれに……。
今日の式には、たっくんのお祖母様と伯父様も来ていて、伯父様に至ってはずっとカシャカシャと写真を撮りまくっている。
月島家からは誰も来ないだろうと勝手に思い込んでいた私と母は、保護者席でたっくんの晴れ姿を見守っている2人の姿を見かけて驚き、そして嬉しく思った。
式の後で母と一緒に挨拶に行ったら、『拓巳の写真を見せたら穂華が少しは元気になるかと思って……』と伯父様が立派なカメラを掲げてみせた。
穂華さんは今ではすっかり覇気が無くなって、ベッドで寝ている時間がどんどん増えているらしい。
肝硬変の症状の1つに、皮下組織に余分な水分が溜まっていく『 浮腫』があるのだけれど、それが酷くなってきていて、今は運動も制限されている状態だという。
『今日ここに来る前に、勇気を出して穂華の顔を見に行ってみたんですが……ボンヤリしていて、目の前にいる私のことも良く分かっていないようでした。私と妻が枕を投げつけられた時の勢いが懐かしいですよ』
初めて施設を訪れた時のことを思い出して、伯父様が寂しそうに目を伏せる。
みんなで揃って校庭に向かうと、ちょうどたっくんも校舎から出てきた所だった。
皆から口々にお祝いの言葉を贈られた後で、たっくんは真っ直ぐに姿勢を正して、そして丁寧にお辞儀をした。
「今日は俺のために式に参列して下さりどうもありがとうございました」
ゆっくり頭を上げると、全員の顔を見回しながら感謝の言葉を述べていく。
「母さんは昔から自分勝手で我が儘で、周りの人に沢山迷惑をかけてきました。挙句に病気になって舞い戻って来て、今も迷惑を掛けっぱなしで……正直、情けないなって思ったりもするし、お祖母さんや伯父さんにも申し訳ないなって思ってる」
「拓巳くん、あなたは何も悪くないのよ!」
「拓巳、穂華がしでかした事とお前は関係ないんだぞ!お前は被害者なんだ、何一つ謝る必要はない!むしろ謝るのは、お前に全部背負わせている俺たちの方で……」
「いいんです」
たっくんが首を横に振る。
「母さんはお祖父さんが遺してくれた遺産で今の施設に入って、恵まれた環境で暮らせている。俺、母さんは男を見る目は無かったけど、終の 住処はいい場所を選んだな……って、そこだけは感心してるんだ」
たっくんが苦笑してみせると、漸くみんなの顔にも微かに笑顔が浮かんだ。
「お陰様で俺は今日、無事に高校を卒業することが出来ました。ずっと母さんの面倒を見てくれて、金銭的にも援助してくれているお祖母さん、俺のアパートの保証人になってくれた伯父さん、2人には本当に感謝しています。ありがとうございました」
そして次に母と私に向き直り、
「早苗さんには横浜のアパート時代からお世話になりっぱなしで……どれだけ感謝の言葉を言っても足りないくらいです。母さんが失礼なことを沢山してきたのに、それでも見捨てないで助けてくれた。俺にとって早苗さんは……理想の母親で、数少ない尊敬できる大人だった。正直、小夏が羨ましかった」
「そんな……私は拓巳くんにそんな風に言ってもらえるほど立派じゃないわ」
「いえ、早苗さんと小夏がいなかったら、俺は生きていられなかったかも知れない。今の俺があるのは2人のお陰です。本当にありがとうございました」
そしてもう一度全員の顔を見回し、澄んだ青い瞳で宣言する。
「これからは自分の行動に責任を持って、社会人として恥ずかしくない生き方をしていく所存です。……そうは言ってもまだ未成年だし迷惑を掛けると思うけど……これから働いて、少しずつ恩返しをして行くつもりですので、よろしくお願いします!」
再び深く頭を下げられて、私たちも思わず一斉にお辞儀を返していた。
ーー凄いな、たっくんは。一足先どころか、どんどん先に大人になって行く。
それは本人が望んだ事ではなく、育った環境のせいで、そうせざるを得なかった。
だけど泥沼の中、自分の力で必死に足掻いて、とうとうここまで辿り着いたんだ……。
だから私も大学で必死に学んで、たっくんを支えられるような人間になるんだ、絶対に。
「たっくん、本当に卒業おめでとう。私もこれから沢山勉強して、いつかたっくんを手伝えるようになるからね。だからたっくんも、美容師見習い頑張って!」
「ああ、いつか俺が自分の店を持ったら、小夏が隣で支えてくれるんだろ?」
「うん、絶対に!」
お互いに見つめあって、ニカッと笑った。