21、 なんで泣いてんの?
穂華さんと『涼ちゃん』が知り合ったのは、 たぶん9月の終わりか10月に入った頃だ。
というのも、 穂華さんの外泊が増えたのがその頃だったし、 彼女が我が家で一緒にお昼を食べていた時に、「今度は大丈夫なんでしょうね? あなたはダメンズホイホイなんだから気をつけなさいよ」と、 母が顔をしかめて言っていたからだ。
母が使った『ダメンズホイホイ』という言葉は言い得て妙で、穂華さんの恋愛パターンを見事に言い表していた。
穂華さんは惚れっぽくて一途で飽きっぽかった。
そしてたぶん、 面食いだったと思う。
彼女が付き合っていた人は、 幼い私がチラッと見ただけでも、 総じて『カッコいいな』と思える容姿をしていたから。
そして穂華さんは絶望的に、 人を見る目がなかった。
彼女が恋をするときに、 相手の性格や肩書きは重要ではないらしい。
顔や雰囲気を見て『いいな』と思って、 次に目が合えば、 もう好きになっているのだと言う。
「小夏ちゃん、 恋は直感なのよ。 ビビビッと来たら、 それが運命の出会いなの。 運命には逆らえないんだもの、 好きになって当然だと思わない? 」
相手が7歳の少女だろうが小学生だろうが、 そしてそれが息子の前だろうが、 穂華さんにとってはあまり関係ないようだった。
彼女はまだ小2だった私に夢見る瞳で恋愛話をしては、 イタズラっぽくフフッと笑った。
その度に私は、 なんともいえない違和感といたたまれなさを感じるのだった。
とにかく穂華さんはそんな風だったから、 付き合う相手はことごとく『顔だけの男』で、 お金をたかられたり、 酔うと暴れたり、 二股をかけられていたり。
二股ならまだマシな方で、 中には既婚者なのを隠して付き合って、 奥さんにバレた途端、 一方的に連絡を絶ってきた男もいたらしい。
穂華さんは冷めるのも早かったから、 夢中になっている間は相手にとことん尽くすけれど、 しばらくすると我にかえってアッサリ別れる。
それでも懲りずに、 またすぐにロクでもない男を好きになるのだ。
何年後かに母から世間話のついでみたいに聞かされて、 私は思った。
「ああ、 まさしく『ダメンズホイホイ』だ」
そして、 私が知る限りでの彼女の最後の恋人、 皆川涼司は、 その『ダメンズ』の最たるものだった。
***
私が持っていた合鍵で玄関に入ると、 たっくんは人差し指を口に当てて、 ゆっくりとドアを閉めた。
短い廊下の突き当たりにはドアがあって、 その向こう側のLDKから母親たちの声が漏れてくる。
耳を澄まさなくても2人の会話はよく聞こえた。
2人が興奮したように大声を出していたから。
「早苗さんには分からないのよ! 」
「分からないわよ! 子供より大事なものなんて私には無いわよ! 」
「子供がいたら恋愛しちゃいけないってわけ?! 」
「そんな事言ってないでしょ。 ただ、 拓巳くんの事を一番に考えてあげなさいって言ってるの」
「あの子のことだってちゃんと考えてるわよ! だけど、 恋愛するのは自由でしょ?! 私は自分だってシアワセになりたいの! 」
「シアワセになるなら、 拓巳くんと一緒にシアワセになりなさい。 あなたは母親なのよ」
「好きで母親になったわけじゃないわよ! 」
「穂華さん、 あなた、 いい加減になさい! 」
バシン!
ーー あっ……。
バッと横にいるたっくんを見たら、 彼はショボショボと激しく瞬きを繰り返し、 焦点の定まらない目で、 ただ廊下の先を見つめていた。
そんな表情をしたたっくんは初めてで、 それを見た私は心臓がバクバクとして、 だけど芯のところはキンと冷え込んで、 全身が震えだした。
これ以上はたっくんに聞かせちゃいけない。
瞬間的にそう思って、 勢いよく靴を脱いで廊下に上がった時……。
「早苗さんには関係ないでしょ、 放っておいて! 」
バン! とドアが開いて、 中から穂華さんが飛び出してきた。
「穂華さん! ちゃんと話を…… 」
穂華さんを追いかけてきた母が、 立ち止まっている穂華さんの後ろからこちらに気付いて、 ギョッとした顔をした。
「小夏?! …… 拓巳くん! 」
穂華さんは一瞬気まずそうにしたけれど、 そのまま振り返らずツカツカとこちらに歩いて来て、 たっくんの腕を掴んだ。
「拓巳、 行くよ」
たっくんは特に抵抗することなく、 そのままフラフラとついて行く。
「たっくん! 」
私が靴も履かずに飛び出すと、 たっくんが振り返って、 薄っすらと泣き笑いの顔をした。
「小夏…… お前がなんで泣いてんの? …… 泣くなよ」
たっくんのアパートのドアがパタンと閉まるのを、 私は潤んだ視界の中で、 ただ呆然と見送っていた。